07.バステト――依頼

 南枝なみえだは短い黒髪で、日本的な顔立ちの女性だった。


UNKNOWNアンノウンだ。依頼内容はこっちの猫が聞く」

 アンノウンが端的に告げる。


「猫、ですか?」

 南枝なみえだは困惑の表情を浮かべた。

「私の目には、そちらのかたも人間に見えますが」


「人間だよ」

 バステトは笑って応じる。ずいぶん生真面目きまじめな人らしいな、と彼は思った。

「あだ名みたいなもの。化け猫キャットってよく呼ばれるんだ。今日はよろしくね」


「はあ。化け猫キャットさん。よろしくお願いします」

 よく分かっていない雰囲気で、南枝なみえだは頭を下げた。


 現在、バステトは成人男性の姿になっている。爽やかな好青年っぽいほうが依頼人も話しやすいだろう、と安直に考えたのだ。


「それじゃあ、改めて依頼内容を教えてもらえる? 南枝なみえださん」


「はい。さくらぞの家から、由名ゆなお嬢様を盗み出して頂きたいのです――」

 南枝なみえだは淡々と語っていった。


 過保護に育てられてきた由名ゆな

 妻の死をきっかけに束縛が激しくなった当主。

 無断で決定されていたれい須磨都すまととの婚約。

 その裏に潜むさくらぞのグループの経営難。


「んー。事情は一通り、分かってきたけど……」

 バステトは微妙な表情を浮かべた。

「ほんとに引き受けちゃっていいのかなぁ? この依頼」


「気乗りしないのか?」

 アンノウンがく。


「まぁね。家族を引き離す手伝いをするって、ボクはちょっとごめんだよ」

 と返すバステト。

「その悠里玖ゆりくって人がどんな金の亡者もうじゃになっちゃったのか知らないけどさ。もしかしたら、ただちょっと不器用な人が、大事な奥さんを失って、もっと不器用になっちゃっただけかもしれないじゃん。ほんとにお金目的なのか、まだ分かんないよ」


 家族の縁というものは案外、あっさり切れてしまうものだとバステトは知っていた。

 少し距離を置くだけのつもりが、永遠の別れになることもある。


 バステトには、それがとても寂しいことであるように感じられるのだ。


「お嬢様は、何度もお話しなさろうとしました。ですが、旦那様はもはや誰の言葉にも耳を貸そうとしないのです」

 南枝なみえだは反論した。落ち着いた口調を保っているものの、声音には怒気が含まれている。

「もし貴方のおっしゃる通りに、旦那様が少しばかり不器用なだけだったとしても、その不器用さのためにお嬢様が苦しめられることを、私は許せません」


「そっかぁ……」

 バステトは腕を組んで考え込んだ。

あるじさぁ。どうしてボクを同席させたの? ボク、こういう話はすっごく苦手だよ。家族の話は向いてない」


「バステトの視点には重要な価値がある、とUNKNOWNアンノウンは判断した」

 すぐに答えるアンノウン。


(そんなこと言われても困るよぉ……。まあ、フィデリスちゃんも得意じゃないだろうし、仕方ないのかなぁ)


 内心で思いながらも、バステトは諦めて口をひらく。

「現実的にさ、アンノウンが由名ゆなさんを盗み出したあと、どうするつもりなの? さくらぞの家の目をくぐって、ひっそり暮らしていける?」


「それは……、難しいと思います。正直、お嬢様はその困難さをあまり正確に理解できていません」

 南枝なみえだは言いづらそうに話す。

「ただ、その……。これは私個人の希望的観測ですが、旦那様の胸の内から、お嬢様に対する愛情が消えてしまったわけではないと、私は信じているのです」


 一瞬、バステトはその言葉がどういう文脈で繋がるのか、よく分からなかった。


「なるほど」

 アンノウンが納得した様子で言う。

「つまり、貴方とご令嬢も一枚岩じゃない、と。ご令嬢は外の世界で泥にまみれて生きていく覚悟だが、


 曇りのない目で、南枝なみえだは頷いた。

「はい……。怪盗アンノウンを巻き込むほどの大事おおごとになれば、旦那様もご自分の考えばかりを貫くことはできなくなるはずです。そのときになって初めて、本当の話し合いができると思うのです」


(ボクが指摘したことなんて、とっくに織り込み済みだったわけか)

 バステトは彼女の思慮深さに感心した。


 須磨都すまととの婚約と、悠里玖ゆりくとの関わりかた。目の前の問題と長期的な問題の両方を、南枝なみえだはどちらも視野に入れている。


UNKNOWNアンノウンは依頼内容を承知した。ところで、ご令嬢の写真はあるか? 容姿を把握しておきたい」

 アンノウンが話を進めていく。


「はい。持ってきました」

 手提てさげのかばんから写真を取り出す南枝なみえだ


 写真に収められたさくらぞの由名ゆなの姿は、清らかな大和やまと撫子なでしこといった印象だった。

 つややかな黒髪のロングヘアから、どことなく高貴な雰囲気を感じる。


「なんか、南枝なみえださんと似てるね。背格好とか……」

 バステトが指摘する。

「顔のパーツ一つ一つはあんまり似てないけど、雰囲気が似てるっていうか、骨格が近いのかなぁ?」


「そうなのでしょうか」

 小首をかしげる南枝なみえだ

「あまり自分では意識していませんでしたが……、言われてみれば、確かにそうかもしれません。小さい頃、私とお嬢様は本当の姉妹のように、一緒に遊んでいましたから」


「生育環境が同一で顔立ちが似る、というケースは、血の繋がりがない他人同士においても実際にある」

 アンノウンは言う。

「取り立てて珍しいことではないと、UNKNOWNアンノウンは考える」


「それと、こちらはさくらぞの邸の間取り図です。侵入の際の参考にしてください」


 かくして、依頼人の目的と、盗み出す対象に関する情報は揃ってきた。


「さて。話はこれでいいだろうか、依頼人。UNKNOWNアンノウンに何か、言い忘れたことは?」


「特にないと思いますが……、あの、どうやってお嬢様を盗み出すのですか? 怪盗アンノウンは毎回、予告状を出すと聞きます。旦那様を警戒させてしまったら、お嬢様を盗め出せなくなってしまうのではないでしょうか?」

 南枝なみえだは不安げにいてくる。


UNKNOWNアンノウンはプロフェッショナルだ。槍が降ろうと空が降ろうと、いかなる想定外の事態が起こっても、依頼を完遂する。心配には及ばない」


 アンノウンの力強い言葉に、南枝なみえだは安堵の表情を見せた。


(本当に由名ゆなさんのことを大切におもっているんだなぁ。主人を裏切って怪盗に依頼を出すくらいだから、当然か)

 バステトは思う。


「ありがとうございます……。どうか、お嬢様を盗み出してください」



 その後、バステトとアンノウンは廃ビルを出て、フィデリスと合流した。


「……お疲れ様」


「フィデリスちゃんもお疲れー。南枝なみえださん、どこかで嘘いてた?」

 確認するバステト。


「……ううん。本当のことしか言ってなかった」

 彼女はそう言ったが、表情はややくもっている。何か引っかかっているようだ。


「どうしたの、フィデリスちゃん? 難しい顔しちゃって」


「……バステトが感じたほど、あの人は真面目じゃない。ここに来るまでずっと、眠ってたみたい」

 フィデリスは呟く。

「……頭の中が、綺麗すぎた」

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