第35話 「血の制約」


「五人か……ちょうど半分が追って来たね。クロエ、俺の傍(そば)から離れないで」

「はい……っ」


クロエは震えながら、青ざめた顔で返事をした。

先ほどから、彼女を呼び止める怒鳴り声があがるたび、彼女の肩がびくりと跳ねる。

灰色の短髪を逆立たせた巨漢が、鬼の形相で追ってきている。

俺たちは追いつかれないように、必死に走っていた。


「あいつがバッカスか……」


クロエを眷属にしたバッカスという男。

彼女をこれほどまでに怯えさせるのだ、今までどんな扱いをして来たのか……。

絶対に許せない。今日ここで、確実に仕留めてやる。

クロエが人として生きていくために、邪魔にしかならない存在。


「はい……そして、その隣を走るオールバックの男がジェイムズ様です。

バッカス様より上位の吸血鬼……」

「なるほどね。どうりで強そうだ。

五人同時に相手するのは、骨が折れそうだったけど、どうやらそうはならなそうだ」


俺は逃げるのを止め、くるりと向き直った。


「ちょっ……ノアさん!?」


最後尾を追っていた女吸血鬼二人は、距離を開けて静観の姿勢。

本気を出して追ってきている訳ではない。

複数の派閥が俺を狙っているという話しだったが、奴らは仲間同士ではないようだ。

ならば好都合。


「クロエは下がってて! チャンスみたいだから、数を減らしとくよ」

「何言ってるんですか! 無茶です!」


そうはいっても、ゾルデたち狩人組が追ってきていない。

このまま逃げようとしても、クロエのスピードに合わせていたら追いつかれるのが目に見えている。

どこかのタイミングで交戦しなければならない。


「おや、逃走はお終いですか? 大人しく捕まるなら、乱暴はしませんよ。

生きて連れてくるようにローゼリア様より仰せつかっていますゆえ」


ジェイムズという男が投降を勧告する。


「クロエえええぇッ!!!! てめぇ、俺様を裏切りやがったなあああッ!!!!」


怒り狂うバッカスの声に、クロエの膝が震え崩れそうになった。

涙が溢れ、呼吸すら浅くなる。


「……おいお前、うるせぇから黙ってろよ」


クロエの前に立ち、バッカスの視線から彼女を隠す。


次の瞬間だった。


闇から突然、姿を現してくる影。

三人目の吸血鬼――途中から姿を見せていなかった男が、いきなり下から襲い掛かってきた。


(奇襲のつもりなんだろうが、俺にはバレバレだ)


俺の探知系スキルの前に、掠れる音、血の匂い、魔力と熱源感知でも存在が伝わっている。

影に潜ろうとも、無意味だ。


「バレてないと思ったのか?」


襲いかかった吸血鬼の顔面を鷲掴みにすると、屋根瓦へ叩きつける。


「ぐああっ!!」


そして、容赦なく倒れているソイツの心臓へと、黒鋼剣を突き立てた。

あまりに一瞬の出来事。

クロエは理解が追いつかず、奇襲が決まると思っていたジェイムズたちの顔が歪む。


「俺は……“ニコラ”くらいの強さの奴らが、“複数”で来るならと思って隠れてたんだよ」


言葉を続けながら、ゆっくりと動く。

柄を握ると、血が吸い上げられ、刃にまとわりついていく。

干された魂のように、吸血鬼の体が力を失い静かに干からびた。


「お前ら程度の相手なら、いくらでもしてやるよ」

「キースを……貴方よくも!」


ジェイムズの気が爆ぜる。

青筋が浮かび、笑みは消え、口元が引きつる。

どうやら、この吸血鬼はキースというらしい。もう、どうでもいいか。


「おい、バッカス。お前のせいで気が立ってるんだ。

あ、一応言っとくけど、命乞いしてもお前は許さないからな?」


黒鋼剣を軽く振り払いながら言う。


空気が瞬時に凍りつく。

互いの殺気がぶつかり合い、夜気が震えた。




◇◆◇





「バッカス! あのお前の眷属を、さっさと服従させなさい。

腐っても“王の血”を持つ者……全力でやらねば、こちらが負けますよ!」


ジェイムズが苛立ちを隠せず怒鳴る。


「今頃気づいたのかよ」


幸運なことに、後方の女吸血鬼二人はまだ参戦する気配がない。

ノアが一匹仕留めたのを見て、むしろ楽しげに笑っている。

次は自分たちかもしれないという発想がないのだろうか?

何はともあれ、バカで助かった。


ジェイムズとバッカスが、紅いオーラをまとい始める。

血の匂いが濃くなり、夜気がねっとりと重くまとわりついた。


「クロエ!! 俺の《血の制約》を忘れたか!? 今すぐ、その餓鬼を押さえつけろッ!!」


バッカスが手をかざした瞬間、クロエの全身がびくりと跳ねた。

胸を押さえ、苦しげに身を折る。


主の命令を必死に拒絶しているせいだろう。

身体の奥、血管の中を“他人の血”が暴れ回っているようだ。

身体は命令に服従しようと、動こうとしている。

クロエは精神力だけで耐えているのだ。


「ノアさんっ……わ、私を……殺してください!」


クロエが涙声で懇願(こんがん)してくる。


「……ッ、出来る訳ないだろ」

「いいから早く!! 早くしないと……!」


正面で、ジェイムズが血で作り上げたレイピアを構える。

突きが矢のように連発され、夜気を裂いた。

あまりに鋭く速い。その動きは、まさにフェンシングのようだ。


俺はギリギリで捌(さば)きつつ、クロエに気を向ける。

この状態でクロエが敵対行動をとれば、対応が遅れる。

だからといって、斬れるはずもない。

彼女は、もう大切な仲間だ。


「どうしたクロエ!! さっさとしろボケナスがぁ!!」

「うぅ、ぐううぅ……」


バッカスが怒鳴れば、クロエの身体は嫌がるように震え、喉の奥で嗚咽が漏れる。


ジェイムズは口角を歪めた。


「彼女を助けなくて良いのですか?

このままだと、《血の制約》で死ぬかもしれませんよ?」


狡猾(こうかつ)な男だ。言葉で揺さぶりをかけて来やがった。


本当に死ぬのかどうか、知識のない俺には判断がつかない。

クロエの苦しみ方は、どう見ても限界に近い。

本当に死んでしまうかもしれないという、考えがよぎる。


「クソッ……《氷牢結界》!!」


凍気が爆ぜ、ノアとクロエの周囲に巨大な氷のドームが立ち上がる。

ぶ厚い氷壁から、冷気が白く渦巻く。


俺の隠し玉である氷魔法を、こういう形で見せてしまった。

しかし、悔やんでいる暇はない。


「クロエ、大丈夫か!?」

「ノアさん……っ、ううう……っ……!」


氷で遮った位では、血の制約からは逃れられないか……。

歯がガチガチと鳴り、彼女の瞳は真紅に光っている。

指先まで震え、皮膚の下を血が暴れているのが見えるようだった。


予想よりもジェイムズという男がやり手だ。

間違いなく、力では勝っているのだが、この状況を上手く利用してくる。

決して無理をしてこないし、バッカスも迂闊(うかつ)に前に出してこない。

クロエを揺さぶって俺を崩す。俺の性格を読み取って、最も効率のいい戦術を仕掛けてきた。


外で見ている女吸血鬼二人も、いつ加勢するかわからない。

このままでは、徐々に押しつぶされる。


俺は息を呑み、小さく問う。


「クロエ……本当に死ぬ覚悟はある?」


クロエは苦痛の中、微笑んだ。

涙に濡れたまま、それでも意志だけは真っ直ぐに。


「……はい。足手まといは嫌です。どうか、ノアさんの手で」


彼女の顔は、覚悟を決めた人間そのものだった。


拳を握り、指先まで血がにじむほど力を込める。


「……分かった。俺のこと、恨んでいいから」


他に突破口が、どうしても見えない。

俺程度の頭脳じゃ、現状を打破する考えなど、易々とは思い浮かばないのだ。


ほんの一瞬だけ目を閉じた。

彼女はすでに覚悟ができている。

ならば俺だけがひよっている訳にはいかない。


クロエによって、自身の心にも覚悟が灯る。

そして、静かに瞳を開いた――。

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