第34話 「三つ巴」
ゾルデの首筋が、氷の指でなぞられたように粟(あわ)立った。
視界の外で何かが動き出した。
彼の獣の勘が告げる。それは理屈ではなく、本能的な警鐘。
(来る……!)
周囲には、さっきまで暴れていた吸血鬼たちの残骸だけが転がる。
団員たちは勝利の余韻にひたりかけていた。そこへ、不自然な静寂が沈む。
ゾルデが空気を裂くように怒声を放った。
「お前ら、気を抜くなっ――来るぞ!」
夜気がめくれ上がり、五つの影がふっと立ち現れた。
どれも人の輪郭をしていながら、纏う存在感が濃すぎて、まるで空間が重くなる。
重圧というより“沈降”する闇。
中央に立つ黒髪の男は、髪を後ろへ撫でつけ、静かに微笑んだ。
「狩人ども。我らの行いを妨げた代償……その命で払ってもらいましょう」
その声に被せるように、柔らかな女の声。
「あらあら、ジェイムズさん。悪いけれど、私たちも喉が渇いているの。その獲物、分けてくださらない?」
遅れて姿を現した五人の女吸血鬼が、屋根に並ぶ。
人間離れした美しさが、夜に咲いた毒花のようだった。
リゼンが小さく息を呑む。
「まさか、まだこれほどまで潜んでいたとは……」
吸血鬼は一体見つけるだけでも骨が折れる。
すでに五体倒したはずだ。それなのに、さらに十体の吸血鬼が姿を見せている。
間違いなく先ほどの吸血鬼たちよりも上位。
まだ敵を殺せるという喜びよりも、危機的状況に陥った戸惑いの方が勝る。
(さすがに分が悪い)
それがリゼンが抱いた率直な感想である。
この戦力差で闘えば、聖銀旅団の全滅もあり得る。リゼンはチラリと隊長であるゾルデを見た。
しかし、ゾルデは息を奪われたように固まっていた。
その場に現れた、純白の髪をした吸血鬼を見て。
「……リリー?」
その名が口からこぼれた瞬間、胸の奥に封じていた痛みが蘇る。
在りし日の彼女の姿がよぎる。
ゾルデが生涯でただ一人愛した女。
願い、夢見て、婚約を交わした。
あの日、目の前で忌まわしい吸血鬼に連れ去られた残酷な記憶。
リゼンはその名を聞き、驚きで声が震えた。
「リリー……まさか、あそこにゾルデさんの婚約者が?」
その一言で、聖銀旅団の空気がざわつく。
動揺は一瞬で連鎖し、戦場全体を震わせた。
一発触発の気配。
今にも、吸血鬼たちは互いをけん制しながら、狩人たちに襲い掛かる寸前。
狩人たちもまた緊張で爆ぜそうになる。
張り詰めた糸が限界へと近づいた――その時。
路地の奥から、聞こえる足音に空気がふっと止まった。
夜をまっすぐ切り裂く気配。
吸血鬼たちの視線が同時に一点へ吸い寄せられる。
――現れた青年と少女。
青年は静かに黒鋼剣を抜き放つ。
瞬間、紅いオーラを纏い、血で剣の強化が行われる。
夜風に触れた途端――あたりに血の匂いが広がる。
それを嗅いで、吸血鬼たちの目がぞくりと細まり、喉の奥で吐息を鳴らす。
「お前らの目当ては俺だろ? この血が欲しいなら相手してやる。
全員まとめて、かかってこい!」
ノアは剣先を真っすぐ向ける。
吸血鬼たちの眼が、一斉に獣のような光を帯びた。
「間違いない……“王の血”だ。これほどとは!」
「なんと濃厚な香り。一口で良いから、舐めたい……!」
狩人の存在が完全に霞(かす)むほどの執着。
吸血鬼の本能がざわめき、飢えがむき出しになる。
すでに、狩人など眼中から消え失せていた。
――次の瞬間。
バチィィ――ン!!
その空気を断ち切るように、蒼白い雷が一人の男へと落ちた。
地面を焦がしながら、ゾルデが雷を纏い前に出る。
夜を裂くその光に、全員の視線を引き付ける。
「お前ら何してる……吸血鬼は一匹残らず皆殺しだ。誰が混じっていようが関係ねぇッ!」
団員たちの迷いを、ゾルデ自身が噛み砕いた。
眷属に堕とされた最愛の者に手を駆ける苦しみ。
それは、この団員なら誰しもが想像に余りある苦痛だと知っている。
にもかかわらず、ゾルデが自ら檄(げき)を飛ばしたのだ。
奮い立たない者など、ここには居ない。
全滅を避け、逃げるなどという選択肢など無かったのだと気づかされる。
リゼンもまた、ゾルデの気迫に身震いする。
「えぇ……その通りです! だからこそ、貴方になら命を預けられる!」
「うおおおおぉぉ!! 兄貴に続くどおぉ!!」
リゼンが叫び、ルバルが咆哮(ほうこう)を上げる。
団員の全員が覚悟を決めた。
「お前ら――行くぞぉおお!!」
ゾルデのその叫びが、火蓋を切り裂いた。
吸血鬼、狩人、そして“王の血”。
三つの意志が激突する夜の戦いが、ついに幕を上げた。
◇◆◇
(啖呵(たんか)を切ったのはいいけど、さすがに吸血鬼が多すぎるだろ……!)
どいつもこいつも、血の気が濃すぎて吐き気がする。
クロエが「一人じゃ絶対に勝てない」と言っていた理由も分かる。
それに――なんでここにゾルデがいるんだよ!
偶然? そんなわけあるか。あの男の性格を考えれば、俺を追ってきた可能性の方が高い。
あの蒼雷は身体が震えるレベルでトラウマだっての!
前回は、あの男に半殺しにされたんだぞ。
しかも今日は、見た瞬間わかるくらい完全にブチ切れてる。
怖すぎるっての……。
(ざっと見た感じ、この中で特にヤバそうなのは三人か)
ゾルデ、オールバックの吸血鬼、そしてボブカットの女吸血鬼。
……いや、まだいる。遠くの屋根の陰から別の気配がこっちを伺(うかが)ってる?
最悪だ。このままぶつかれば街が壊れる。人も死ぬ。
被害を最小限に抑えるにはどうするのが正解だ?
最善手は決まってる。
成功するかは分からないが……こうなりゃ、一か八かの賭けだ。
「ゾルデ――!! 俺は一度も人間の血を吸ってない! 一時共闘だ、まずはこいつらを倒そうぜ!」
ゾルデが驚くように、こちらを向いた。
あの目は完全に野生の獣。それでも、その奥に微かな理性が光る。
「ノア……お前を殺すことに変わりはねぇ。だが、その案、乗った!」
吠えるようにそう言うと、団員へ命じる。
「ノアは後回しで構わん! まずは、こいつらから皆殺しだ!」
さすが判断が早い。話が通じる男で良かったと一安心する。
ノアは知らないが、血痕羅針(ヘマコンパス)によってゾルデはどこまでもノアを追える。
例えここで逃がそうとも、いつかは捕らえられる算段がある。
それに共闘を断り、ノアが吸血鬼側に付くのが考え得る最悪の展開。
本人が、狩人側に付いて共闘を持ちかけてきてくれたのだ。
願ってもない展開であり、この絶望的な状況でも勝機が生まれる。
「話が早くて助かるぜ! 俺が囮(おとり)になるから、ゾルデたちはどんどん削ってくれ!」
俺はすぐさま、クロエと共にこの場から離れていく。
なるべく吸血鬼たちを散らして、各個撃破し易くするためだ。
見え透いた作戦だが、それでも奴らは確実に追ってくる。
このまま逃げられる訳には行かないのだから。
その様子を見てジェイムズは肩を震わせて笑っていた。
「舐められたものですね。王の血が狩人と共闘しようなどとは……滑稽(こっけい)です」
ジェイムズは笑いながらも、こめかみには血管が浮き出ている。
彼の本気の怒りを物語っていた。
「プフェン、バッカス。私と共に“あの子”を追います。残りは狩人を始末しなさい」
ジェイムズたちはノアの後を追う。
屋根の方でもまた、毒花みたいな女吸血鬼のカトレアが笑っていた。
「リリー。あの雷男と知り合いなのね? いいじゃない。面白いわ……。
貴女の手で吸って、殺してあげなさいな。坊やは私とラベンダーが追うわ。
あなた達は狩人と遊んでなさい」
吸血鬼の全体が、すぐさま二つに割れた。
ひとつは俺の追跡。
ひとつは狩人狩り。
それを見届け、ゾルデは思う。
(いい動きだ――ノア! これで格段に俺たちが戦いやすくなる)
聖銀旅団の元に残ったのは、五名の吸血鬼。
これで団員が数で上回った上に、ノアを追う吸血鬼の背後を狙える展開となった。
「リゼン! ここは任せたぞ。お前たちであの吸血鬼どもをどうにかしろ! 向こうは俺がやる!」
ゾルデはノアを追う吸血鬼へ、雷をまとって一気に駆けだす。
屋根上へ跳び移り、猛スピードで後を追撃する。
――が、その前へ。
そうはさせまいと、ゾルデの前にふわりと影が落ちた。
一歩、ゾルデの前へ。純白の髪が夜に揺れる。
元婚約者、リリー。
「……リリー」
その声色には、怒りでも憎しみでもなく――痛みが滲んでいた。
リリーはまっすぐゾルデを見据えて言う。
「貴方の相手は私よ。行かせないわ」
夜風が二人の間を切り裂く。
雷の焦げた匂いと、吸血鬼の血の匂いが混じる。
――三つ巴の戦いが始まった。
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