一章 ちぐはぐな夫婦②

 故郷から護衛のために付いてきた騎兵が、窓の外から声を掛けてきたのは、それからしばらくってのことだった。

「ルビアお嬢さま、見えて参りましたよ。あちらがシルヴァ公爵家のおしきです」

 少しうとうととしていたルビアは、その声に慌てて外を見た。

 そして、馬車の前方に見える巨大な屋敷を確認し、思わず感嘆の声をこぼす。

「あれが……! すごくれいなお屋敷ね」

 規模で言うならば、タルク辺境伯邸も見劣りはしない。しかし、白壁が特徴的な直線的デザインの生家と比べ、優雅な曲線美が見事な公爵邸は、いかにも都会的で華やかだ。

 特に目をくのは、一番高い場所にある丸窓に配された、精緻なステンドグラスだ。メルキウス帝国では、宮廷魔術師は屋敷の窓にステンドグラスを用いることが定められている。ひと目でそこが、魔術師の住む場所だと分かるようにするためだ。

「見てラモーナ! あのステンドグラス、魔術円環を描いてるわ。なんて美しい模様なのかしら……! 実物を目にしたのは初めて。あれは音紋と、振動紋、それから光輝紋ね。本で読んだことはあるけど、律音の術式が組み込まれてる。音は……三種かしら。多分、皇城からの緊急招集用に使うものでしょうね。音の種類によって──」

「お嬢さま、お嬢さまが魔術がお好きだということはじゅうぶん存じ上げておりますが、ひとまずシルヴァ公爵閣下とのお顔合わせの際は、その熱気で迫らないようお気をつけくださいませ」

「あ、ごめんなさい。わたしったら、つい……」

 ラモーナが指摘した通り、ルビアは魔術愛好家だ。

 自分たちの使う精霊魔法とは成り立ちもことわりも異なる『魔術』というものに、子どもの頃から深い興味を抱き、古今東西のさまざまな文献を読みあさってきた。

 それはもはや『研究』とも呼べるレベルの打ち込み具合で、同世代の男の子たちからは『本の虫』とからかわれ、祖母からは『お前は本と結婚するつもりなのか』と呆れられたものだ。

 だから、アルセニオとの結婚が決まった時、正直こう思った。

 ──結婚すれば、今までよりもっと間近で魔術の知識に触れられるかもしれない……と。

 実際、ステンドグラスに描かれた魔術円環は本当に見事だった。

 あれほど複雑な術式を、なんのも矛盾もなく組み合わせることができるなんて。

(ああ、もっと近くで見てみたい……! そしてかなうことなら、発動しているところを実際にこの目で確かめたいわ。閣下にお願いしたら、見せていただけないかしら。あっ、そういえば魔術は精霊魔法と違って、術式を編む際に魔石を埋め込んだつえを必要とするのよね。それもとっても興味深いわ)

 内心静かに興奮を続けていると、やがて馬車がゆっくりと停止する。

 いつの間にか正門をくぐり抜け、屋敷の玄関前に到着していたようだ。

 馬車の扉を開けると、既に前庭にせいぞろいした使用人たちが、深々と頭を垂れているのが見えた。いずれの所作も美しく、さすが公爵家の使用人といったたたずまいだ。

「お嬢さま、お足下にお気をつけくださいませ」

 ラモーナの手を借りて馬車から降り立ったルビアは、ドレスを軽く手で払う。

 ひらひらした長い袖が特徴的などういろのガウンと、金糸で細かく施されたしゆうが美しい詰め襟の白いドレス。薄絹でできたヴェールに、同じく薄絹の手袋。

 これらは、母が作ってくれたシャマル式の婚礼衣装だ。

 シャマルでは昔から、娘が嫁ぐ際の衣装は母親が手作りするものと決まっている。守護の意味を持つ模様や家紋を、ひと針ひと針思いを込め、丁寧に縫い付けるのだ。

 今朝、隣町を出立する際、宿屋で着替えてきた。

(公爵閣下は結婚式を挙げることを望まれなかったけれど、せっかくお母さまが仕立ててくださったんだもの。せめて輿こしれの日だけでも身に着けないとね)

 花婿が姿を現したのは、それからすぐのことだった。

 仕立ては良いが、飾り気のない青い衣装に身を包んだ少年。

 背は年相応に低く、小柄なルビアの胸ほどまでしかない。

 しかし彼が一歩踏み出すごとに、張り詰めたような魔力の波動が近づいてくるのを、ルビアは肌で感じていた。

(とんでもない魔力量だわ……。お父さまや、長老さまにも負けないくらい……!)

 これまで感じたこともないほどの強大な魔力に本能的な畏怖を覚え、思わず全身があわってしまうほどだ。

「ようこそ、花嫁殿。僕が君の夫となるシルヴァ公爵家当主、アルセニオ・シルヴァだ」

 ルビアの前で足を止めたアルセニオは、あまり温度の感じられない声でそう言った。

 八歳とは思えぬほどしっかりした言葉遣いに驚きながら、ルビアは軽くドレスの端をつまんで膝を折り曲げる。

「初めまして、シルヴァ公爵閣下。タルク辺境伯家から参りました、ルビアと申します。お目にかかれて光栄です」

 そうして改めてアルセニオと視線を合わせ、思わず目をみはった。

(なんて綺麗な子!)

 間近で見るアルセニオは、信じられないほど美しい少年だった。

 形よい卵形の輪郭。さらさらの黒髪と滑らかな乳白色の肌。くっきりとしたりよう。形のよい唇。どれをとっても、神から特別な祝福を受け、この世に生まれついたのだとしか思えないほどだ。

(それに……)

 中でも最もルビアの目を引いたのは、彼の瞳だ。黒く長いまつに縁取られた黄金色の瞳に、一瞬で吸い寄せられる。

「まったく、皇帝陛下も無茶を言う。言っておくが、この結婚は僕にとってすごく──」

「なんて綺麗な瞳なのかしら……!」

「──不本意な……今、なんて言った?」

 話を遮るように発せられたルビアの言葉に、アルセニオが言葉を切ってげんそうに聞き返す。

「綺麗な瞳と申しました。もっと近くで拝見しても?」

「な──何を言っているんだ。これは悪魔の目で……っ」

 断られる前にと、ルビアはじりじりとアルセニオに近づき、距離を詰める。そして、そのぷにぷにとした頬を両手でわしっと包んだ。

「お、おい。放せ!」

「溶かした星のかけら……朝焼けのひとしずく……天上の雨粒? ううん、そんな言葉じゃ、到底この美しさを言い表せない……っ」

「──は、はぁ!? お前、おかしいんじゃないのか!?」

 うっとりと目を細めるルビアをしばらくぜんとして見つめていたアルセニオが、ようやく我に返り、ルビアの両手を振りほどく。

 ブツブツと独り言をつぶやきながら瞳をのぞき込んでくる年上の花嫁は、さぞかし不気味だったことだろう。先ほどまで不機嫌丸出しだった彼の顔が、今度は潰れた芋虫か腐ったリンゴでも見たかのように、盛大に引きつっている。

 並の人間なら少し傷つくところかもしれないが、故郷で変人扱いにはすっかり慣れたルビアである。むしろ、アルセニオが年相応の表情を見せてくれたことをうれしいとすら感じていた。

「よく言われます!」

「元気よく答えるところじゃないだろう! それに、僕の目が綺麗だなんて、見え透いたお世辞は必要ない」

「すみません。でも、閣下の瞳は本当に綺麗ですよ。思わず見とれちゃうほどです」

「だから……っ」

 ぐっと、アルセニオが唇をかみしめる。彼はしばらく何か言い返そうとしていたが、やがて疲れたように肩を落とした。

「もういい。どうせそう言っていられるのも、最初の内だけだ」

「閣下?」

「後のことは家令に頼んである。わからないことがあれば、彼に聞け」

 そう言い残すと、彼は立ち去ろうとする。

 遠ざかっていく背中をしばらく見送った後、ルビアははっとして口を開いた。肝心なことを言い忘れていたことに気づいたからだ。

「ふつつか者ですが、よろしくお願いします! 妻として、誠心誠意務めさせていただきます!」

 アルセニオが肩をぴくりと揺らし、やがてゆっくりと顔だけで振り向く。

「その友好的な態度が、いつまで続くか見物だな」

 皮肉な笑みと不穏な言葉を残し、彼は今度こそ屋敷の中に消えていった。

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