一章 ちぐはぐな夫婦③

    ***


 アルセニオからの『歓迎』は翌朝から始まった。

 自室として与えられた部屋の寝台で目覚め、朝の支度を済ませて食堂に向かおうとしたルビアは、部屋の前に何かが置かれていることに気づいた。

 それは、綺麗に包装された箱だった。箱の上のメッセージカードには、拙い文字で『ルビアへ』と書かれている。

「きっと閣下からの贈り物ですよ。開けてみては?」

 かたわらにいたラモーナが嬉しそうに言う。

 促されるがままに、ルビアはワクワクしながら包装を解き、蓋を開けた。

 その瞬間、ラモーナが悲鳴を上げる。

「きゃーっ!! ミ、ミ、ミミ……っ」

 箱の中でうごうごとうごめいていたのは、大量のミミズだった。

「ラモーナ、落ち着いて。ただのミミズよ」

「いやーッ!! こっちに近づけないでくださいませ!」

 大半の人間がそうであるように、ラモーナはミミズが大嫌いだった。他にムカデや芋虫などの、足がなくてウニョウニョしているタイプの生物も嫌いである。

「結構可愛かわいいと思うけど……。それに、ミミズは土壌改良にも役だつし」

「捨ててきてください! 今すぐ! 即刻!」

 ミミズをつんつんと指先で触るルビアを、ラモーナが信じられないものを見るような目で見つめる。

 これ以上ラモーナに刺激を与えるのも可哀かわいそうなので、ルビアは箱を持って庭に出た。幸いにして公爵邸の庭には広い花壇があり、ミミズを放す場所には困らない。

「一箇所に固まったらいけないから、適当に分けておかないと……」

 ルビアはミミズを潰さない程度にわしづかみにし、花壇の隅から隅まで丁寧にき始める。

「〝ぽんぽん種まきぽんぽんぽん。小さな種が芽を出して、おひさまおひさまごきげんよう~〟」

 家族からはよく「腰を抜かすほど調子外れ」だとか「シャマル一の音痴」などと言われるが、歌なんて楽しければそれでいいのだ。

「〝ぐんぐん芽を出せぐんぐんぐん。緑の草の芽のびのびと~〟」

 歌いながら、ちょっとしたステップ交じりで畑にミミズをちりばめる。

「な、何をしているんだ」

 途中、外に出てきたアルセニオが狼狽うろたえた様子で聞いてきたので、ルビアは朗らかな笑顔で答えた。

「おはようございます、閣下。歌って踊ってミミズを撒いています」

「それは見ればわかる! そうじゃなくて! なんで平気でミミズをつかめるんだっ! 普通は気持ち悪がるものだろう」

「実家ではよく土いじりをしておりましたので……。あ、せっかくたくさんミミズがいることですし、よろしければお庭で唐辛子を育てても? きっとすごく美味おいしい唐辛子が育つと思うんです」

「か、勝手にしろ」

 アルセニオは顔を引きつらせたまま、珍獣でも見るような目つきでその場を後にした。

 ──また次の日。

 食事を終えて部屋に戻ろうとしたルビアは、アルセニオに引き留められ、不敵な笑みでこんなことを告げられた。

「この家は呪われた家だ。夜になると、恐ろしいことが起こる」

 その時は特に気にも留めなかったルビアだが、就寝の準備を整え、いざ寝台に入ろうとした時、驚くべきことが起こった。

 突然部屋の扉が開き、うさぎやクマ、猫にリスといった可愛い動物のぬいぐるみが、ふよふよと浮遊しながら現れたのだ。

「か、可愛い……っ!」

 ふわふわのぬいぐるみが宙を旋回するさまは、得も言われぬ趣がある。

 その晩、ルビアはぬいぐるみの空中浮遊を長い間堪能し、満足した気持ちで眠りについた。

 翌朝、朝食の席に現れたアルセニオはどこかご機嫌な様子だった。

「昨晩何か変わったことはなかったか? 例えば、物が勝手に動いたりとか……」

「はい、ぬいぐるみが素敵なダンスを披露してくれました。とても可愛らしかったので、また見たいです」

 素直に答えると、アルセニオはあからさまにがっかりした様子で、パンをもそもそとしやくしていた。

 ──またその翌日。

 寝台に入って眠ろうとしていたルビアは、枕の下に封筒が忍ばされている事に気づいた。

「何かしら……」

 封を開けてみると、中には一枚の便箋が入っていた。

『この手紙はおばけからの手紙だ。この家を出て行かないと、すごく怖いことが起きるぞ』

 よく見るとそれはどこか見覚えのある、子どもの字だった。

 読み終えてふと部屋の外から誰かの気配を感じ、扉のほうに顔を向けると、アルセニオが顔だけを覗かせている。

「どうだ! この家は呪われているんだ。出て行きたくなっただろう!」

 そう言うと、彼はさっと顔を引っ込め、小走りに去っていった。

「まあ……ふふっ」

 薄々──というか完全に気づいていたが、やはり連日の可愛いいたずらの数々は、アルセニオがルビアを追い出すために仕掛けたものだったらしい。アルセニオの得意げな顔があまりにあどけなくて、ルビアは思わず笑ってしまう。

 翌朝、ルビアはラモーナに頼んで封筒と便箋を用意してもらった。『おばけさん』に返事を書くためだ。

『おばけさんへ 初めまして。わたしはルビアです。お近づきのしるしに、美味しいはちみつキャンディを用意しました。わたしの故郷で作られているものです。どうか召し上がってくださいね』

 手紙とキャンディは『おばけさん』の目に付くように、食卓の端に置いておいた。

 その日、アルセニオからはちみつの甘い香りが漂っていたのは言うまでもない。

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