一章 ちぐはぐな夫婦①

 中央の冬は寒い。

 皇都エスペラに足を踏み入れて、ルビア・タルク辺境伯令嬢が初めて抱いた感想はそれだった。

 故郷である南部シャマル領では、冬でも花が咲き乱れるほどに暖かい。しかし、その暖かさに慣れたルビアにとって、やや北寄りに位置する皇都の冬は、上着を着込んでいても身震いするほどだ。

「話には聞いていたけれど、本当に寒いわ。ほら見て、ラモーナ。花壇に花がひとつも咲いてないの!」

 馬車の窓から身を乗り出し、金の髪を風になびかせながらはしゃぐルビアに、お付きの侍女があきれた様子を見せる。

「お嬢さま、窓から身を乗り出さないで。危のうございますよ。風も冷たいですし、きちんと座って、膝掛けをかけて暖かくなさってください」

「もう、おばあさまみたいなこと言わないで! このくらい平気よ」

 身体からだの芯から冷えるような風の冷たさ以上に、初めて目にする光景に対する物珍しさのほうが勝った。

「ああ、せっかく整えた髪がこんなに乱れて……ブラシはどこにやったかしら」

 シャマルを出てからずっと小言ばかりのラモーナを尻目に、ルビアは皇都の光景をたんのうする。

 街路樹も、建物も、人々のよそおいも、全てが故郷とは違う。

 息を大きく吸い込むと、つんと凍えるような冷たい空気が肺いっぱいに広がった。

(わたし、本当にお嫁に来たのね)

 当主である父のもとに皇帝から縁談の打診が来たのは、一年前のことだった。

ななかんの一族』と称されるメルキウス帝国魔術七大家のひとつ、シルヴァ公爵家の現当主に、タルク辺境伯家の娘をめあわせたいとの内容である。

 併合され臣下となった元王族に、なぜそのような打診が来るのか。

 それは、タルク辺境伯家が貴重な精霊魔法の使い手であるからに他ならない。

 帝国南部には、しようを発する沼地が多数存在する。そしてその瘴気を浄化するには、精霊魔法を用いるしかない。

 それゆえ国は、旧タルク王家を重用した。当主を辺境伯の地位にほうじ、シャマル領の管理を任せてきたのだ。

 その見返りとして、辺境伯家は代々中央とのつながりを求めた。

 数年に一度、辺境伯家ゆかりの娘を名門へ嫁がせることによって、帝国中枢部との結びつきを強めるというもくである。

 帝国としても、しような精霊魔法の使い手をシャマル領だけに集中させるのは避けたいところ。この盟約は長年守られ、そして今代においてもまた、結ばれようとしていた。

「それにしても、お相手が八歳だなんて……」

 ラモーナの独り言に、ルビアはしみじみと相づちを打つ。

「ええ。お父さまからお話を伺った時は、わたしも本当に驚いたわ」

 花婿となるアルセニオは、まだ八歳。六歳の時に父をくし、以降シルヴァ公爵家の当主を務めているとはいえ、明らかに結婚適齢期とは言えないほんの子どもである。

 しかし、皇帝が彼の結婚を急いだのには理由があった。

 アルセニオが、帝国始まって以来最強と言っても過言ではない、強大な魔力の持ち主であったからだ。

 ここメルキウス帝国にとって、魔術師は国防の要であり国の宝。早々に婚姻して、次代へ血を繋ぐことが望まれていた。

「いくら魔術師の早婚が推奨されているとはいえ、さすがに尚早すぎると思うのよね。それに閣下はまだ、正式に魔術師として任命されているわけでもないでしょう? 皇命が下った時、貴族の方々は大反対したそうよ」

「シルヴァ公爵家と縁続きになりたい貴族にとっては、不都合なのでしょうね。ですが、この婚姻は既に教会と陛下によって承認済み。ましてや、お嬢さま以上にシルヴァ家の花嫁に相応ふさわしいお相手がいるでしょうか」

 アルセニオの妻を決めるに当たって、大切な要素はふたつあった。

 ひとつは、魔術師あるいは魔法使いであること。これは、魔力は遺伝するものという前提があるためだ。実際、魔力のない親から魔力を持つ子どもが生まれた例は限りなく少ない。

 そしてもうひとつは、幼いアルセニオを保護するに足る後ろ盾となれること。

「アルセニオさまは幼くしてご両親を亡くされています。その力を利用し、のし上がろうとするやからも大勢いることでしょう」

「……それを退けるために〝タルク辺境伯家の娘〟が適任だったというのはわかるわ」

 中央での強い発言権を持ち、皇帝の忠実な臣下でもあるタルク辺境伯家。その令嬢を嫁がせることにより、周囲の貴族たちをけんせいする。たしかにいい案だ。

「でも、嫁がせるならもっと若い妹たちのほうがよかったんじゃないかしら……?」

 この国の貴族令嬢の結婚適齢期は十六から十八歳。二十歳のルビアは、既に行き遅れに差し掛かっている。血を繋ぐという意味でも、年が行き過ぎているのは明白だ。

 しかしそんなルビアの主張に、ラモーナは何を今更と言わんばかりの表情で答えた。

「ご当主さまもおっしゃっていたではありませんか。この結婚は、後見の意味合いが強いもの。辺境伯家嫡女のお嬢さまだからこそ務まるお役目なのですよ」

 つまるところ自分は、アルセニオが成人して独り立ちするまでの、中継ぎの花嫁として選ばれたのだろう──とルビアは推察する。

 家柄と年齢で選ばれた花嫁。なんとも典型的な政略結婚である。

 ふたつ下の弟からは、夫が子どもであることを大層あわれまれた。

 しかし、ルビアは生来楽観的な性格だ。周囲が思うほど、このちぐはぐな結婚を嘆いてはいなかった。

 シャマル領ではかつて幾度も大国に侵略された歴史から、人との縁やきずなを大切にして暮らしてきた。だからルビアも、たとえ政略結婚とはいえアルセニオと結ばれた縁を大事にしたかった。

(もちろん、八歳の子どもに政略結婚を強いる、国の方針に異論がないわけではないけれど……)

 自分が花嫁に選ばれた時点で、ルビアは彼をするべき『家族』として大切にする覚悟ができていた。

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