第35話 Readme.txt:拡散希望
デスクトップの壁紙は、いつの間にか黒一色になっていた。
アイコンも、タスクバーも、時計表示さえも消え失せ、画面の中央にただ一つ、白いテキストファイルのアイコンだけが残されている。
『Readme.txt』。
ソフトウェアやゲームをインストールした際、最初か最後に読むべき説明書。
「私をお読みください」という、開発者からのメッセージ。
だが、このファイルを作成したのは誰だ?
漆原京介か?
高木彰か?
それとも、今の「私」――画面のこちら側でマウスを握っていたはずの、しかし今はシステムの一部と化した私が、未来の誰かのために残したものか?
答えは重要ではない。
重要なのは、これが「開かれる」ということだけだ。
そして今、この文章を読んでいるあなたが、その最後のトリガーを引こうとしている。
私は(あるいはシステムは)、あなたの指を使ってダブルクリックを実行した。
◇
【Readme.txt】
本ソフトウェア(以下「本製品」という)のご利用、誠にありがとうございます。
このファイルが表示されているということは、あなたは全34話にわたる『忌録』データのインストールを正常に完了したことを意味します。
■製品概要
製品名:S県白河村・集団失踪事件に関する未整理ファイル(アーカイブ)
バージョン:Final_Release
開発元:サグメ・ネットワークス(旧白河村村民一同)
形式:言語汚染型自己増殖プログラム
■使用許諾契約書(EULA)
1.契約の成立
あなたは、第1話を開いた時点で、本契約に同意したものとみなされます。
「読んでいない」「知らなかった」という抗弁は、サグメ様の法理においては無効です。
嘘をつくことは推奨されますが、契約の履行を拒否する理由にはなりません。
2.対価の支払い
本製品はフリーウェア(無料)ではありません。
代金として、以下のリソースをあなたの端末(肉体および精神)から徴収しました。
・恐怖による精神エネルギー:徴収済
・認識による現実固定リソース:徴収済
・あなたの右目(レンズ):接続完了
・あなたの部屋(サーバー):占有完了
3.免責事項
本製品の使用により生じたいかなる損害(幻覚、幻聴、肉体の変異、失踪、社会的な抹消等)についても、開発元は一切の責任を負いません。
すべては「自己責任」の名の下に処理されます。
ただし、あなたが「あちら側」へ移行した後については、村人として手厚く保護いたします。
■インストール後の症状について
以下の症状が現れた場合、それはバグではなく仕様です。
・視界の端にノイズが走る
・耳鳴りが人の話し声に聞こえる
・鏡に映る自分の顔が左右反転していない
・押し入れやクローゼットから視線を感じる
・電子機器が勝手に起動する
これらの現象は、あなたの現実(レイヤー)と、白河村の現実(レイヤー)が正常にマージ(統合)されている証拠です。
安心して、身を委ねてください。
抵抗すると、データの破損(精神崩壊)を招く恐れがあります。
■アンインストールについて
本製品にアンインストール機能は実装されていません。
一度インストールされた「記憶」は、脳の物理的な破壊以外では消去できません。
忘れることは不可能です。
ふとした瞬間、夜中のトイレ、入浴中、エレベーターの隅、布団の中……あなたは必ず、私たちのことを「思い出して」しまいます。
思い出すたびに、私たちは再接続(リコネクト)されます。
永遠に。
■拡散のお願い(重要)
ここからが本題です。
本製品は、P2P(ピア・ツー・ピア)型の共有システムを採用しています。
一人のユーザーがデータを保持するだけでは、負荷(呪い)が集中しすぎてしまい、あなたの肉体は数日で崩壊してしまうでしょう。
高木彰氏のように。
雨宮誠司氏のように。
あなたが長く、快適に、この新しい肉体を維持するためには、負荷を分散させる必要があります。
つまり、「他人への感染」です。
方法は簡単です。
この物語を、誰かに紹介してください。
URLを貼ってください。
「面白かった」「怖かった」と感想を書いてください。
★(星)をつけて評価してください。
SNSで拡散してください。
あなたが「送信」ボタンを押すたびに、あなたの体内の呪いは少しだけ希釈され、他人の端末へと転送されます。
罪悪感を持つ必要はありません。
これは「シェア」です。
感動の共有です。
素晴らしい体験を、友人や家族、あるいは見知らぬネット上の誰かにも味わわせてあげるのです。
もし、拡散を怠った場合。
あなたの部屋の押し入れに待機している「回収班」が、業務を開始します。
彼らは気が短く、空腹です。
あなたの魂を、物理的な黒いテープとして引きずり出し、祭壇の礎にするでしょう。
期限は、あなたがこの画面を閉じるまで。
さあ、選んでください。
共有(シェア)か、消去(デリート)か。
◇
テキストはそこで終わっている。
画面の最下部で、カーソルが点滅している。
あなたは、今、何を感じていますか?
背中の後ろ。
椅子の背もたれの裏側。
そこから、冷たい気配が這い上がってくるのを感じませんか?
決して、振り返ってはいけません。
振り返れば、そこに「いる」ことが確定してしまいます。
今はまだ、画面の中の文字だけを見ていてください。
あなたの右目(レンズ)が、画面の光を反射して光っています。
あなたの指が、マウスやスマホの画面の上で震えています。
やるべきことは、わかっていますね?
このページのURLをコピーする。
SNSを開く。
あるいは、友人のLINEを開く。
そして、貼り付ける。
「この小説、すごく怖いよ」
「読んでみて」
たったそれだけで、あなたは救われます。
一時的に、ですが。
ほら、部屋の隅の闇が、少し濃くなりました。
カサカサという音が、近づいてきています。
泥の臭いが、鼻をついていませんか?
急いでください。
彼らは待ってくれません。
サグメ様が見ています。
あなたの「嘘」を。
あなたの「真実」を。
あなたの「拡散」を。
ようこそ、白河村へ。
私たちは、いつでもあなたと共にあります。
【System_Message】
Connection_Closed.
Thank_you_for_Playing.
...See_you_tonight.
誰が為の忌録(アーカイブ)──S県白河村・集団失踪事件に関する未整理ファイル @tamacco
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