第21話 Video_05:【閲覧注意】儀式の祭壇.mp4
床に転がったまま、私はモニターを見上げていた。
首の骨がきしむ音がする。
動けない。
金縛りではない。私の脳が、筋肉への指令コードを忘れてしまったのだ。
「立つ」という動作プログラムが、「見る」という処理に全リソースを奪われている。
画面の中で、動画が再生される。
『Video_05:【閲覧注意】儀式の祭壇.mp4』。
あの、漆原の形をしたノイズが「クライマックス」と呼んだ映像だ。
◇
<動画再生開始>
タイムコード:2023/08/12 11:45:00
場所は、深い洞窟の中のようだった。
カメラのLEDライトが、湿った岩肌を照らし出す。
水滴の落ちる音が、ピチャ、ピチャと響く。
だが、その音は三十年前の廃村の音とは思えないほど生々しく、私の部屋のスピーカーから、まるで耳元で水が滴っているかのように聞こえてくる。
「……ここか」
漆原の声。
震えている。恐怖と、酸素不足による息苦しさが混じっている。
「はい。ここが子宮です」
小島の声。
以前のような怯えは微塵もない。
落ち着き払った、神官のような厳かな口調だ。
カメラは漆原が持っている。
前を歩く小島の背中が映る。
彼の歩き方は奇妙だった。
上半身は微動だにせず、足だけが機械のように動いて滑るように進んでいく。
洞窟の奥が開けた。
円形の広場になっている。
その中心に、それはあった。
祭壇だ。
だが、石や木で作られたものではない。
それは「ビデオテープ」で組み上げられていた。
数千、数万本のVHSテープが、ブロックのように積み上げられ、巨大な四角い台座を形成している。
黒いプラスチックの塊。
テープの磁気リールが、血管のように絡み合い、祭壇全体を縛り上げている。
その祭壇の頂上に、一つの「箱」が置かれていた。
白木の桐箱だ。
古びて黒ずんでいるが、そこに貼られたお札だけが、鮮血のような赤さを保っていた。
「さあ、漆原さん。開けてください」
小島が祭壇の脇に立ち、促す。
カメラが小島を向く。
ライトに照らされた小島の顔。
その目は、完全に真っ黒だった。
白目がない。瞳孔が眼球全体に拡大し、光を一切反射しない「闇」になっていた。
「……中身は、何だ」
「サグメ様の本体です。あるいは、私たちの『真実』です」
「……これを撮れば、終わるんだな?」
「ええ。終わります。そして始まります」
漆原が祭壇に近づく。
足音が、カシャリカシャリと鳴る。
床にもビデオテープの残骸が散らばっているのだ。
カメラが箱に寄る。
手が伸びる。
漆原の手だ。泥と脂汗で汚れている。
ゴクリ、と唾を飲む音がマイクに拾われる。
彼は、震える手でお札を剥がした。
ベリベリという音。
そして、箱の蓋に手をかける。
「開けるぞ」
カメラがズームする。
蓋が持ち上げられる。
中は、暗闇だった。
底が見えないほどの深い闇。
いや、違う。
ライトの光が、中身を照らし出した。
箱の中にあったのは、「水」だった。
黒い液体が、なみなみと満たされている。
揺れもしない、鏡のような水面。
「……水か?」
漆原が覗き込む。
カメラも、その水面を真上から捉える。
水面に、漆原の顔が映る。
……はずだった。
だが、水面に映っていたのは、漆原ではなかった。
ボサボサの髪。
無精髭。
充血した目。
鼻から黒い血を流し、恐怖で顔を引きつらせて、床に転がっている男。
私だ。
「……え?」
漆原の声が漏れる。
「……誰だ、こいつは」
漆原が、水面の中の「私」を見ている。
そして、今の私も、モニター越しに、三十年前の「漆原」と目が合った。
時空が繋がった。
カメラとモニターという二つの窓を通じて、過去と現在が直結した。
「おい、小島! なんだこれは! 知らない男が映ってるぞ! こいつ、俺たちを見てやがる!」
漆原が叫ぶ。
水面の中の私は、動けないまま、ただパクパクと口を開閉させている。
『逃げろ』と言おうとしているのか、それとも『助けて』と言おうとしているのか。
小島が、静かに笑った。
「見つけましたね」
「何だと?」
「それが『次』です。
漆原さん、あなたはもう古くなった。
テープが擦り切れてしまった。
だから、ダビングするんです。
その男に。
箱の向こうで覗いている、その新しい『器』に」
「ふざけるな!」
漆原が箱を閉じようとする。
だが、箱の中の水面から、バシャッと何かが飛び出した。
黒い手だ。
無数の黒い手が、水面から――いや、モニターの向こう側から伸びてきて、漆原の首を掴んだ。
カメラのレンズを掴んだ。
『うわあああああああ!』
漆原の絶叫。
カメラが激しく揺れ、落下する。
地面に転がったカメラが、斜めのアングルで祭壇を映し出す。
漆原が、箱の中へと引きずり込まれていく。
上半身が、あの小さな箱の開口部へ、ありえない角度で折りたたまれながら吸い込まれていく。
まるでシュレッダーにかけられる紙のように。
「高木さぁーん!」
小島が叫んだ。
カメラに向かって。
いや、私に向かって。
「受け取ってくださいね!
これが漆原さんの全部です!
容量(データ)がいっぱいになるまで、たっぷり可愛がってあげてください!」
ズズズズズ……!
骨が砕ける音。肉が圧縮される音。
漆原の足が、最後にピンと伸びて、そして箱の中へ消えた。
パタン。
蓋がひとりでに閉じた。
静寂。
小島が、床に落ちたカメラを拾い上げる。
レンズを覗き込む。
その真っ黒な目が、画面いっぱいに広がる。
「配信(レコーディング)、完了」
プツン。
◇
映像が消えた。
私の部屋に、完全な静寂が戻った……わけではなかった。
ドサッ。
私の腹の上に、何かが落ちてきた。
天井からではない。
モニターの中から、何かが吐き出されたのだ。
重い、肉の塊。
生温かい。
私は、動かない首を無理やり動かして、自分の腹の上を見た。
そこにあったのは、古びたビデオカメラだった。
漆原が使っていたものと同じ機種。
だが、そのボディは、黒いプラスチックではなく、人の皮膚のような質感で覆われ、血管が脈打っていた。
そして、液晶モニターの部分には、人の目が埋め込まれていた。
漆原の目だ。
その目が、ギョロリと動いて私を見た。
『……た……の……む……』
カメラから、微かな声がした。
スピーカーではない。
カメラそのものが、声帯を震わせて喋った。
『……へん……しゅう……して……くれ……』
『……おれを……かたちに……してくれ……』
「う、うわあああああ!」
私は金縛りを引きちぎるようにして跳ね起きた。
カメラを床に叩きつける。
ベチャッ、という嫌な音がした。
だが、カメラは壊れない。
床の上で蠢き、レンズを私に向けてくる。
PCの画面が変わっていた。
いつの間にか、フォーマットは完了していた。
そして、新しいウィンドウが開いている。
『Log_03:作業日報(空白)』
空白の日報。
これから私が書くべき記録。
いや、私が漆原という素材を使って作り上げる、最後のドキュメンタリーの脚本。
「……逃げられない」
私は悟った。
箱の中身は、未来の私だった。
私が漆原を見た時、漆原も私を見ていた。
そして、彼は私の中に「転送」された。
この肉塊のようなカメラこそが、漆原京介の成れの果てであり、私へのバトンだ。
私は、よろめきながらPCの前に座り直した。
鼻血は止まっていたが、代わりに涙が止まらなかった。
悲しいのではない。
眼球が、新しいレンズとして機能するために、余分な水分を排出しているだけだ。
「わかった……やるよ」
私は、蠢くカメラを拾い上げ、PCにUSBケーブルで接続した。
ケーブルを差し込んだ瞬間、ドクン、とPC全体が脈打った。
編集を始めよう。
彼を、世界に解き放つために。
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