第20話 System_Alert:不正なアクセスが検出されました
カチッ。
私の意思とは無関係に、マウスカーソルが『OK』ボタンを押し込んだ。
乾いたクリック音が、死刑執行のスイッチのように部屋に響く。
瞬間、PCの画面がブラックアウトした。
電源が落ちたのではない。
画面の奥底から、ドス黒い何かが湧き上がってくるような「黒」だ。
ファンの回転数が限界を超え、ジェット機のような轟音を立てている。
「……何をした」
私は動かないマウスを握りしめたまま呟いた。
画面中央に、真紅の文字がタイプライターのように打ち出されていく。
code
Code
download
content_copy
expand_less
> ACCESS REQUEST FROM "INTERNAL_STORAGE"
> USER: URUSHIBARA_K (DELETED)
> TARGET: LOCAL_HOST (TAKAGI_A)
> PERMISSION: FORCE_OVERWRITE
「INTERNAL_STORAGE(内部ストレージ)からのアクセス」?
「FORCE_OVERWRITE(強制上書き)」?
違う。これはハッキングじゃない。
外部から攻撃されているんじゃない。
このPCの中に保存されているデータ――漆原がクラウドに残したあの村の記録が、逆に私のPC、いや、私という存在を「上書き」しようとしている。
パッ、パッ、パッ。
画面上に無数のウィンドウが開き始めた。
これまで見てきたファイル一覧だ。
だが、様子がおかしい。
『File_01:音声記録_20230810.wav』
↓
『File_01:お前の声_20241006.wav』
『Document_A:S県「白河村」に関する郷土史メモ』
↓
『Document_A:高木彰に関する検死メモ』
『Video_01:現地取材映像_導入部.mp4』
↓
『Video_01:葬列参加映像_導入部.mp4』
ファイル名が、次々と書き換わっていく。
過去の記録が、現在の、私の記録へと改竄されている。
いや、彼らにとっては過去も現在もないのだ。
一度「箱」に入れば、全ての時間は並列に扱われ、編集可能なデータに過ぎなくなる。
「やめろ……書き換えるな!」
私はキーボードを叩いた。
だが、反応しない。
それどころか、叩いたキーが陥没し、そのまま戻ってこない。
物理的にキーボードが吸い込まれている?
画面上のエクスプローラー(フォルダ画面)が、波打つように歪んだ。
ファイルアイコンたちが、まるで意志を持った蟲のように動き出し、フォルダの壁を食い破ってデスクトップへと溢れ出してくる。
『空キ容量ガ 足リマセン』
『新シイ 領域ヲ フォーマット シマス』
警告ウィンドウが出る。
フォーマット。初期化。
何を?
私のハードディスクを?
直後、私の視界が明滅した。
チカッ、チカッ。
部屋の照明ではない。
私の「目」が点滅している。
「……あ、が……っ」
激しい頭痛。
脳みそに直接、太いケーブルを突き刺されて、高電圧のデータを流し込まれているような感覚。
鼻から、熱いものが垂れた。
手で拭う。
赤い血ではない。
黒い、インクのような液体だった。
『同期ヲ 開始 シマス』
画面上のプログレスバーが伸びていく。
10%……20%……。
伸びるにつれて、私の記憶が薄れていく気がした。
昨日の夕飯は何だったか?
私の母親の名前は?
私が編集していたドキュメンタリーのタイトルは?
思い出せない。
記憶の領域が、黒いデータで塗りつぶされていく。
「やめろ、私は高木だ、高木彰だ……!」
必死に自分の名前を呼ぶ。
しかし、PCのスピーカーから返ってきたのは、嘲笑うような合成音声だった。
『イイエ アナタハ 「記録係」 デス』
『器 デス』
『漆原京介 ハ 一杯 ニ ナリマシタ』
『次 ハ アナタ デス』
Webカメラのウィンドウが勝手にポップアップした。
そこに映っている私の顔。
鼻から黒い血を流し、白目を剥いて痙攣している私。
だが、その背景がおかしい。
私の背後に映っているのは、このアパートの壁ではなかった。
土壁だ。
古びた、シミだらけの土壁。
そして、私の肩越しに、誰かが顔を出していた。
満面の笑みを浮かべた、漆原京介だった。
いや、漆原の顔をした「何か」だった。
『交代だ』
画面の中の漆原が、私の耳元で囁いた。
唇の動きと、スピーカーからの音声が完全に一致する。
『俺はもう疲れた。編集作業は任せたぞ、高木』
漆原の手が、画面の中から伸びてきた。
液晶モニターという「水面」を突き破り、蒼白い手が私の首へと伸びる。
「うわあああああ!!」
私はのけぞり、椅子ごと後ろへ倒れた。
後頭部を強打する。
激痛で意識が飛びそうになるが、恐怖がそれを繋ぎ止める。
床に這いつくばりながら見上げると、モニターから半身を乗り出した漆原が、私を見下ろしていた。
下半身はまだデータの中だが、上半身は実体化しつつある。
その体は、無数の文字コードとノイズで構成されていた。
『逃げるなよ。まだクライマックスが残っている』
漆原が指差す。
画面の中、フォーマットが進むデスクトップに、一つだけ、禍々しい輝きを放つ動画ファイルが生成されていた。
『Video_05:【閲覧注意】儀式の祭壇.mp4』
『見ろ。俺たちが最後に到達した場所だ。
箱の中身だ。
それを見れば、お前の同期(インストール)は完了する』
漆原の形をしたノイズが、ずるりとモニターの中へ戻っていった。
私の体は動かない。
頭痛と、記憶の欠落による眩暈で立ち上がれない。
だが、私の指先だけが、見えない糸に操られるように動いていた。
床に落ちたワイヤレスマウスを手繰り寄せ、クリックする準備を整えている。
私の脳の一部は、既に彼らの制御下にある。
「見たくない」という感情と、「見なければならない」というプログラムが衝突し、火花を散らしている。
同期率、80%。
私は、涙と黒い鼻血を流しながら、最後の砦である「正気」が削り取られていくのを感じていた。
祭壇。
箱。
その中身を見たら、私は完全に「高木彰」ではなくなる。
マウスをクリックする音が、遠くで聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます