残響詩篇
宗一郎
プロローグ:白の頁
第1話-1:灰色の朝に落ちていたもの
世界は、自分だけのものではない“記憶”で織られている。
全ての記憶、生きた証はエーテルへと溶け、
エーテルを通して、体内で記憶が響き合い“残響”となる。
人は皆、自分ではない何かの記憶を宿し、生まれてくるのだ。
ある者には、大戦を終結に導いた英雄の記憶が。
ある者には、村一つを焼き払った大罪の記憶が。
山嶺を優しく撫でたそよ風の記憶。
あらゆるものを流し去った洪水の記憶。
慌ただしくも優しく、友人に囲まれて生涯を終えた者の記憶。
嘘と罪にまみれ孤独な晩年を送った者の記憶。
だが、全ての残響が等しく祝福されるわけではなかった。
英雄の記憶は賞賛され、罪の記憶は忌まれる。
大書院はその“残響”を読み取り、人を二つに分類する。
正典。世界の理に沿い、人々を安寧に導く記憶。
外典。理に反し、滅びを連れてくる忌むべき記憶。
祝福される者と、排斥される者。
光へ刻まれる物語と、闇へ落とされる物語。
だが――
綴られなかった物語は、本当に語る価値がないのだろうか。
全ては、ひとりの外典の青年と、
“残響を失った少女”が出会った朝から始まる。
⸻
【1】
都市の外れ。
灰色の窪地に追放者達が寄り添う“焚き火の集落”。
小さな炎を囲んで、一人の青年と、老人達の笑い声が弾けた。
「じーさんども、今日はご馳走だぞ!」
鍋を掲げたのは、翠玉色の髪の青年――カズヤ。十九歳。
歳の割に、目や表情に苦労の跡が垣間見える。
「具が多いぞ!」「塩気が染みるなぁ」
素朴な喜びが夜に溶けていく。
その時――。
「おいカズヤァ!!」
地鳴りのような声。
焚き火の向こうから現れたのは壮年の男――ダン・ミロク。
片腕に古傷を刻んだ、大雑把で頼れるこの集落の長だ。
「お前、また大書院の連中とやり合ったらしいな」
「……売ってきたのは向こうだ。
ジーナの婆さんは散歩してただけなのによ」
「“外典”は何言っても信用されねぇんだ。
言い返す前に守るもん考えろ。ジーナやガキどもが危ねぇだろが」
正論にカズヤは唇を尖らせた。
その様子を見て、ダンは呆れながらも続ける。
「俺に言われんのが嫌ならさっさと一人前になれ。
剣、持ってこい。
納得いかねえなら、剣で意見通してみろ」
「……上等だ、ジジイ!」
「始まったぞー!」
「加減してやれよダンさん!」
冷たい夜風の中、笑いと火の粉が舞う。
世界に捨てられた人々の、ささやかな家族のような時間だった。
⸻
【2】
リムランドの夜は骨身にしみる。
“外典”と判定され、
行き場を失った者達は焚き火を囲んで暮らしていた。
“外典”、それは忌むべき記憶を宿した者。
〈
ある者は、恋敵を殺した者の記憶を宿す。
〈
ある者は、一家を食い殺した獣の記憶を宿す。
目を閉じれば、その時の光景が、臭いが、感情が、脳裏に描かれる。
――だが、それらは“本人が実際にやったこと”ではない。
蓄積されたエーテルの巡り合わせで、
たまたま背負ってしまっただけの“残響”だ。
しかし世間は恐れる。
ある日、忌むべき記憶に呑まれ、衝動に駆られてしまうかもしれない、と。
どれだけ善良であろうと、外典として記録の外に落ちた者に居場所など無かった。
だから彼らは追放され、
ここ、“焚き火の集落”へ流れ着く者も多くいる。
そんな人々の中心に立つのがダンであり、
幼少時、ダンに拾われて生きているのがカズヤだ。
彼は誰より働き、誰より他人を放っておけない。
世界から捨てられたからこそ、同じ境遇の者を見過ごせなかった。
――それが何よりも辛いことだと知っているから。
⸻
【3】
その朝も、カズヤは廃墟の通りを歩いていた。
空は灰色、砂塵が舞い、世界全体が眠っているような静けさ。
――ごとり。
音がした。反射的に振り向く。
朽ちたエーテル灯の根元。
そこに、ひとりの少女が倒れていた。
白い外套は泥にまみれ、灰と白の混じった髪は埃で固まっている。
全身には無数の切り傷。
息が浅い。冷たい。
まるで今にも消えてしまいそうな様子。
「おい……!おい、大丈夫かよ!」
慌てて肩を支えると、薄く瞼が開く。
焦点の定まらない瞳。
「……たす……け……」
か細い声は途中で途切れ、少女の身体が崩れた。
吐きてしまいそうな命の灯火。
「くそ……っ。
寒いだろ。とりあえず俺らんとこまで連れてってやっから」
返事はない。
それでも、その目にはかすかな光だけが残っていた。
少女を背負い直し、カズヤはゆっくり歩き出す。
いつもの日常のつもりだった。
一昨日も同じように老婆を助けた。一ヶ月前も子供を。
だが、この朝だけは何かが違った。
静かな朝。
消え去りそうな、些細な出会い。
――しかし、この静かな朝に宿った変化は、
すぐに “追跡という現実” によって叩き割られることになる。
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