縁由

小狸

掌編

「どう、最近は」

 

 彼女からのそんな問いに対し、僕はこう答えた。


「いやあ、実は小説、あんまり書けていなくてさ」


 この場合の「彼女」というのは、恋人、交際相手という意味を含有しないことを、先に念頭に置いておこう。

 

 彼女、風折かぜおりいのりとは、大学1年生の文芸研究会で知り合い――同じく作家を志す友達として仲良くなり、その縁が卒業後も続いている、という具合である。秘密を共有できる親友。今でもこうして、時々飲み会をする仲である。飲み会、とは言い条、僕も風折さんも下戸ではあるので、居酒屋ではなく、ファミレスでの会談である。


 いや、「同じく」というのは、もはや正しい表現ではないのか。


 風折さんは、大学在学中に小説家として既にデビューしている。


「それは、仕事が忙しかったり?」


「仕事は、まあまあ忙しいけれど、時間的余裕はある」


「だろうね、Xエックスで頻繁にポストしているみたいだったし」


 見られていた。作家先生は僕のポストなんて見ないと思っていたから、意外である。


「何か理由があるの? その、書けていないっていうのは」


「ううん、特に理由ってほど理由じゃないんだけど、そうだな。周りのフォロワーの人が、どんどんデビューしたり賞を受賞したりしている中で、僕は落選しまくりの一次選考にも残ることできない始末。自分だけ置いて行かれている感っていうのは、ちょっとあるかな」


「へえ。じゃあ、読書の方ははかどっている?」


「それがさあ、書店や図書館に行くと大量の本があるじゃん? すると、僕みたいな作家志望の落ちこぼれみたいな人間には、こう映ってしまうわけだよ。『どうして世の中にこんなにたくさん小説があるのに、僕の小説はないんだろう』って。だから、正直最近はあまり行きたいとは思えないし、行ってないんだよね。勿論、好きな作家先生の新刊の時には買いに行くけれど、極力他の本っていうのは見ないようにしているかな」


「ふうん」


 自分から聞いておいてあまり興味なさそうに、風折さんは言った。


 これがいつもの彼女である。


「じゃあ、小説家になるって夢は、もう諦めたんだ」


「いや、そうでもない――のかな。どうなんだろう。自分でも正直、分かんないんだよね。日々ネットとか本とかで創作論とか勉強して、それを参考にして書いてみてはいるけれど、中々気に入る小説が書けないというかさ。上手く歯車が噛み合わない感じがずっと続いていて、どうしようって思っている。書く気はあるし、書いてはいる。ただ、世に出せるようなものじゃない。そういう場合って、どうすれば良いんだと思う?」


「うーん、そうだね」


 しばらく悩み、オレンジジュースを飲み干した後で、風折さんはこう答えた。


「贅沢な悩みだなって思うよ」


「…………」


「これは私の意見だから、鵜呑みにするでも良し、『何くだらねーこと言ってんだよこいつは』って思って家で破棄してもらっても良いんだけどね――そうやって世の中の風評や批評を気にしてうじうじしているうちは、君は一生小説家になることはできない」


「断言か――厳しいね」


 少々笑いながら僕は言ったけれど、風折さんは真剣だった。


「駄作だから何? 世に出せるようなものじゃないから何? 出す小説全てが万人に受け入れられる小説家なんていないんだからさ。自分で駄作だと思っても、まずはそれを俎上そじょうに載せてもらえるように自分で努力すること――それをおこたっている今の君は、ずっとそのままだよ」


「それが、どうしようもない駄作で、そんなものをネットやら新人賞やらで投稿したところで、相手にされないし、批評や非難を浴びるものだと分かっていても、かい?」


「そうだよ。君はさ、そんなに完璧でありたいわけ? それとも相手にされたいわけ? そういう自分自身の欠落を埋めるために、小説家を目指しているんだっけ? 違うでしょ。まずは書けよ。余計なこと考えず、面白いと思った物語を作ってごらんよ。それを受け入れるか受け入れないかなんて些細なことは、他人が決めることであって、君がどうこうできることじゃないんだからさ。書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて――書き続けて、それで小説家になれなくとも、書き続けたって事実は消えないんだから、それで良いじゃん」


「なれなくとも良い、か」


「そうだよ。少なくとも、SNSだらだら見ていたり、Xで誰も見ないような創作論垂れ流して『いいね』稼いだりするよりかは、生産的な生き方だと思うけど。今ある君の創作に対する虚脱感は、誰かのせいじゃない、君自身の問題だ」


「…………」


「私は、そうやって書いたよ。そうやって生きたよ。別に成功体験として語っているわけじゃなくてさ。私は小学校からずっと小説を書いて、書き続けてきた。何と言われても、何とそしられても、何となじられても――ただ、新人賞っていうのはどうしても運ってのも絡んでくるからね。編集の好みや、審査委員の好み。ただ単に『面白い』だけの作品が選ばれる、ってわけでもない。その運を掴むことができるまで、書いて書いて、書き続けるんだ。天才じゃない私たちは、そうやって生きるしかない」


「天才じゃない、ねえ。僕は風折さんは、天才の部類だと思うけど」


「私程度で天才だったら、もっとすごい人を形容する言葉がなくなっちゃうでしょう。本当の天才っていうのは、私たちが嫉妬するような余地すらない。誰かから嫉妬されている時点で、それは天才じゃない。たまたま、積み重ねた努力が実っただけなんだと、私は思うよ。そして私も、その類だ」


「でも、誰でもそんな潔くなれると、思うかい。さっき『なれなくとも良い』って言っていたけれど、それはつまり、今までの努力が水泡に帰すということだろう。積み重ねた頑張りが、実らない、全部無駄な時間になるってことだろ。そう考えると、今やっている創作活動って、意味ないんじゃないかって思ってしまうんだよ」


「意味ないと思うんなら、意味ないんじゃない? そんなことを君が思って悩んで立ち止まっているうちに、他の作家志望の人たちはどんどん先に行くよ。足並み揃えて待ってはくれない。小説以外でも言えることだけどさ。物事はいつ始めたかじゃない、いつまで続けたか、なんだ。せっかく続けてきたことを、その程度の理由で諦めるんだったら、君の創作に対する思いは、その程度だったってことでしょ。そのままドロドロ悩んで、すがりついて、後悔したまま生きていけば?」


「…………それは」


 それは、嫌だなあと、思ってしまった。


 そんな他愛もない会話を何度か繰り返した後、僕らは普通に別れた。


 風折さんは風折さんなりに、僕の創作態度について思うところがあったのだろう。


 言いたいことを言いたい放題言われた感じだけれど、不思議と、彼女に対する嫌悪感は無かった。


 僕はファミレスを後にして、時計を見た。


 まだ閉店までは時間がある。


 書店に寄ろうと、僕は思った。




(「えんゆう」――了)

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縁由 小狸 @segen_gen

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