幽霊が視える女 3

 30分ほど経った頃、喫茶店の硝子戸をゆっくりと開けて、木幡の同居人はやってきた。拓実と木幡は追加で注文したケーキセットをちびちびとついばんでいたところだった。彼女は木幡に気付き軽く手を挙げると、木幡もそれに応えた。


 近くで見る彼女の第一印象は『デカい美人』だった。顔立ちはお世辞抜きで拓実が今まで見た女性の中で一番整って見えた。としは30歳前後だろうか。日本人離れしたくっきりとした目鼻立ちで、どことなく中性的な雰囲気がある。肩にかかるくらいの長さの黒髪は緩くウェーブしていて、ところどころ寝癖がついているのが逆に気取らない魅力を感じさせていた。背は恐らく180cmを超えているのではないだろうか。ダボっとした服装の上からでもわかるグラマラスな体型と相まって、堂々と立っていればなかなか迫力のある外見だろう。しかし、彼女はそんな容姿を恥じるかのように背中を丸め、申し訳なさそうに頭を下げながら拓実の前へとやってきたのだった。


「この子が私の同居人の──」


「どうも……ササキ、です」


「ササキさん……あ、すみません、なんかお休みのところわざわざ来ていただいて」


「だ、大丈夫です……あの、寝てただけなんで」


「ベティ、立ってないで、ほら座って」


「ベティ?」


「あ、うん。彼女の名前は佐々木ささき・ベアトリーチェ・莉々華りりかっていうの。だから、ベティ」


「はあ、なるほど」


 当のベティは終始恐縮そうに、大きな体を縮こませて木幡の隣へと腰掛けた。


「あ、あの、タクミさん……ササキでもベティでも好きに呼んでもらって大丈夫です。ただ、リリカだけはちょっと……」


 ベティが良くてリリカが恥ずかしい理由はよく分からなかったが、当人にしかわからない何かがあるのだろうと拓実は飲み込んだ。


「あ、じゃあササキ、さんで。良いですか?」


「あ、はい、よろしくお願いします……」


「それじゃあ挨拶も済んだところで──」


 ギクシャクと挨拶する2人の空気を変えるように、木幡はまるで仲人のように声を上げた。


「ベティにはさっき電話で簡単に説明したんだけど、タクミくん念の為もう一回説明お願い出来る?」


「はい」


 そう促され、拓実は伊東理沙の話をもう一回話した。ベティは時折ちらちらと木幡の方を見ながら、ぎこちない笑顔で話を聞いていた。話しながら拓実は、いったい何がこの美人をこんな性格にしたのだろうと思った。きっと、卑屈にならざるを得ない環境で育ったのだろうと、拓実は勝手におもんぱかった。


「なるほど……ええっと、それで『幽霊が視えないようになりたい』って相談なんですよ、ね……?」


「はい。キバタさんから、ササキさんは後天的に幽霊が視えるようになったのだと聞きまして。だから、同じように後天的に幽霊が視えるようになった人間がどうしたら良いのか、何かアドバイスをいただけますか?」


「あ、ああ、はい、えっと──」


 その時、拓実のスマートフォンから通話の着信を告げるベルが鳴った。出ずに切ろうかと思ったが、発信者を見ると大貴からだったので『ちょっとすみません』と女性2人に断り拓実は一度店を出ることにした。


『あ、もしもし』


 スピーカー越しに聞こえる大貴の声は、どことなく沈んで聞こえた。


『いま、大丈夫か?』


「おう、どした?」


『いや、実はさ……さっき理沙とおはらいに行ってきたんだよ』


「え? あ、そうなんだ」


『うん。なんか、ごめんな。もうさ、理沙、常に怯えてる感じになっちゃってさ……気休めでも良いから、何かしてあげたくて』


「全然全然、気にしなくて良いよ。え? で、どうなった?」


『うーん……いや、ダメ、だったのかな。ダメっぽい』


「まだ、視えるって?」


『そうみたい……帰り道もさ、怯えちゃって……』


「そっか……今さ、その、幽霊が視える人とちょっと会ってるんだけど──」


『マジで!? それで、何だって?』


「あ、いや、その辺はこれから聞くんだけどさ」


『ああ、ごめんな、話の途中で』


「大丈夫大丈夫。その、お祓いがダメだったことも伝えておくよ。それで、何かアドバイスもらえたら、またすぐ電話するから」


『……タク、ほんと、ありがとな』


「いいって気にすんなよ。ちなみにさ、理沙さん、やっぱその、こうなった原因とかわかんないのかな?」


『そうだね……でも、やっぱおばあちゃんが亡くなってからかな、って、理沙も』


「そっか。了解。じゃあ、またあとで」


『ああ』


 電話を切って急いで店内に戻ると、女性2人は並んで座り、楽しそうに談笑していたが拓実の姿を見るとピタッと話すのを止めた。拓実はそれにどことなく居心地の悪さを覚え「すんません」と頭を下げながら自分の席へと腰を下ろした。


「今の電話、大貴でした」


「たいき?」


「あ、理沙さんの、ダンナの」


「ああ。それで、何かあった?」


「いや、それが……理沙さんを連れてお祓いに行ったらしいんですけど……効果なかったみたいで……ただ、やっぱり理沙さんのお祖母さんが亡くなってから視えるようになった、って」


「そっか……でもお祓いで駄目となると、お祖母様の霊が取り憑いているわけじゃないのね」


「お祖母さんは関係ない?」


「うーん、そうとも、言えないけど……」


「きっかけになっていないとは言えない、と」


「そうね、死が引き金になってこうなった、って可能性ね」


「まあ一応、取り憑いてる可能性は潰せたってことですかね。でも、うーん、現在進行系で祟られてはいないとして、その場合……どうしたら──?」


「ベティはどう思う?」


 急に話を振られ、ベティは頬張ったケーキを慌てて紅茶で流し込んだ。何だか愛らしい人だな、と拓実は思った。


「あの……友達に、眼鏡だったんですけど、コンタクトにした子がいて」


「はい?」


 思いがけない語り出しに拓実は間抜けな声を上げた。


「友達──って言ってもその子が私を友達って思ってるかはわかりませんけど──とにかくその……知人がですね、ずっと眼鏡だったんですけど。ちょっと前に、コンタクトに変えたんですよ。そしたら、なんか「あたし霊感あるかも」とか言い出して。あ、あの、私はほら視える系? 視える系の人なんで。だから、その、彼女が見えるとか言ってるの完全に気の所為だってわかってて、その……」


「ベティちょっと落ち着いて。ごめんねタクミくん、ベティ人見知りするタイプだから」


「あ、いえ、俺は。はい、大丈夫です」


「あの……ごめんなさい……」


「全然気にしなくて大丈夫なんで、ご自分のペースで、はい」


「あの……アハ体験って、わかります?」


 また話がおかしな方へと飛んで行った。しかし、これが彼女の個性なのだろう。必死に伝えようとしているのも表情から伝わってくる。拓実は戸惑いを心の奥にしまって、真っ直ぐ彼女の目を見て話すことにした。といっても、ベティ自身は出来るだけ相手の目を見ないように努めていたが。


「あ、はい。わかりますよ。あの、徐々に絵が変化していって『あなたは気付きましたか?』みたいなやつですよね」


「そうです、それ! あれって、いっかい答え知っちゃうと、次からは完全にわかっちゃうっていうか、見えちゃうじゃないですか。答え知らなかったときは全然見えてなくても。それって、結局、その答えのところにピントが合ってないってことなんですよね。けっこうああいう画像? 映像って、あんまサイズ大きくないじゃないですか。だから全部視界に入ってるはずなのに。でも、わかんないときって本当にわかんない。全然気付けないんですよね。人間の視界って案外狭いんですよ。だから、何かのはずみに視界が広くなると、普段見えないものまで見えるようになるんです。それは全然オカルトとかじゃなくて、視界の隅のちょっとした光とか、影の動きとか、そういうの。そういうのが見えるようになると、ほら、今まで見えなかったものだから、気になっちゃって。「今なんかいた!?」みたいな風に、こう、気配とか感じちゃったりして。気の所為なんですけどね、全部。そうすると自然と他の感覚まで鋭敏になっちゃって。防衛本能みたいなもんだと思うんですけど。音とか、ニオイとか、気になっちゃって。まあ心霊体験なんてほとんどそんなもんなんですけど……って、あの、ごめんなさい、一気に喋って……」


 ベティは一気呵成いっきかせいに話したかと思うと、恥ずかしそうに頬を赤らめながらお冷やを一気に飲み干した。


「いえ、全然大丈夫です。それで?」


「あ、はい、それで……ほとんどは気の所為なんですけど、でもたまに、本当に見えるようになっちゃう人がいるんですよね。アハ体験的な感じで、幽霊が。その、幽霊って、もともとそこらに普通にいるんで。マジで」


「えっと、つまり……」


「理沙さんは、気の所為の可能性もあるのかな、と……すみません……お祖母さんが亡くなったことをきっかけに、これは完全に想像ですけど、お祖母さんが幽霊になって現れることを想像しちゃったのをきっかけに、こう、視野が広がっちゃったのかなって。そういう可能性もあるかな、って……」


「でも、マジのパターンもあるわけですよね?」


「はい……そうですね……あります」


「その場合、視えないようにする方法はあるんですか?」


「老眼になったら視えなくなったとか、それこそ眼鏡をコンタクトに変えたら視えなくなったとか、そういう話も聞いたことあります。ほら、元の霊能力が強いわけじゃないんで。後天的に視えるようになった人って。ちょっとしたことでまた視えなくなっちゃうみたいです……でも私みたいに、元々の霊能力が強かったりして、もとに戻らないパターンも、あります。すみません……」


「そう、ですか……」


「そうしたらさ」


 暗い雰囲気を吹き飛ばすように、木幡がわざとらしい明るさで言った。


「理沙さんが本当に視えているのか、それとも気の所為なのかだけでも見極めるために、私、今度直接お会い出来るかな?」


 確かに、現段階ではそれしかないように思えた。


「お願い、出来ますか?」


 拓実が頭を下げると、何故かベティも頭を下げた。


 こうして、拓実は木幡と共に伊東家へと行くことになったのだった。

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