幽霊が視える女 4
翌週末、拓実と木幡は伊東家へと出向いた。ベティも連れてきたかったが、人見知りの激しさを考えると今回は止めておこうと判断した。
部屋は8階建てマンションの5階。築年数はそれなりに経っているようだが綺麗に手入れされていて、お洒落な外観の建物だった。インターホンを押すと、ほとんど間を置かずに玄関ドアがガチャリと開き、疲れた顔の大貴が顔を覗かせた。
「いらっしゃい。タク、と──木幡さん、ですね。今日はありがとうございます。とりあえず、中へどうぞ」
そう言って、真っ直ぐリビングへと通された。リビングでは理沙が4人分のティーカップをテーブルに並べているところだった。
「理沙。こちらタクと、木幡さん」
「理沙です。今日は本当にすみません……こんな、なんて言ったら良いかわかりませんけど……」
理沙は今にも泣きそうな顔で頭を下げた。心身ともに疲れているのが、その顔色からも見て取れた。
「気にしないで下さい。私、ひとより少し、こういったお話は詳しいんです」
木幡がそう言って微笑むと、理沙もつられて少しだけ笑った。どうやら、愛想笑いをするくらいの余裕は辛うじて残っているようだ。
それから4人は席につき、理沙が淹れてくれた紅茶を飲みながら少しだけ雑談をした。誰もがこれからの本題を気にしていたので、全員どことなく上の空だった。
「ところで──」
切り出したのは木幡だった。
「良かったら理沙さん、ちょっとだけ私と2人でお散歩しませんか?」
「え? 散歩ですか……え? いつ?」
「良ければ、今から」
「あ、はい、構いません、けど……」
理沙はちらと大貴の方に目をやった。大貴は「行っておいで」とでも言うかのように、深く力強く頷いて応えた。
「じゃあ行きましょう。タクミくんと大貴さんは少し待っていて下さいね。それじゃあ理沙さん、行きましょうか」
「は、はい」
そう言って木幡と理沙の2人は出かけていった。拓実と大貴はわけもわからず、拓実が買ってきたクッキーを無言でつまんだ。
2人が戻ってきたのは15分ほど経ってから。木幡は、怯えたように震える理沙の肩を抱いていた。
「理沙!」
大貴が慌てて立ち上がり、木幡から理沙の体を預かった。そしてゆっくりと椅子へ座らせた。
「木幡さん、その……理沙に何が……?」
「説明しますね。理沙さん、怖い思いをさせてしまってごめんなさいね」
「いえ……」
理沙は俯いたまま口元だけで微笑み、応えた。
「結論から先に言うと……理沙さんは、本当に幽霊が視えています」
「そんな……」
なんてことだ、といった表情で大貴は木幡と理沙の顔を交互に見た。理沙は落ち着いてきたのか、震えは止まったようだ。
「『何となく視えるかも』くらいのレベルであれば『気の所為』で済ませてしまった方が良い場合もあるのですが……理沙さんの場合、もう『気の所為』では済まないくらい、はっきり視えているようです」
「そうなのか……?」
大貴の問いに、理沙は首肯して応えた。
「お祓いは効果がなかったということですし、実際、私から視ても理沙さんに何かが取り憑いているということはありません。そしてこの家の中にも、何か悪さをするような霊はいないようです」
「それじゃあ……どうしたら……?」
「理沙さんには先程お伝えしたのですが……基本的には、慣れていただくしか──」
木幡のその言葉を聞いて、理沙がぽろぽろと涙をこぼした。大貴が慰めるようにその肩を抱く。拓実はいたたまれない気持ちでその様子を見ていた。拓実は『幽霊が視えるようになりたい』と切に願っている。しかし、望まずに視えるようになってしまうことはこんなにも悲劇的なのかと、驚くと共に戸惑っていた。自分も、実際に視えるようになったとして、本当に喜べるのだろうか。
「本当に、どうしようもないのですか?」
「数珠やお札、仏像などで多少遠ざけることは出来ます。お経を唱えることでも、多少は。ですが視えなくするわけではないので、根本的な解決には……」
「もとには戻らない、と……?」
「一度視えるようになったものを、能動的に視えなくさせることは、私が知る限りは、出来ません。自然と──成長や老化、体質が変わることで視えなくなることはあるようですが」
「そう、ですか……」
「ただ、こんな事を言っても気休めにもならないかも知れませんが、悪さをしてくるような悪霊や怨霊なんていうのはほとんど、めったにいません。たいていはただぼんやりとそこに『居る』というだけで、それこそ話し掛けられたり触れられたりという経験は、少なくとも私はありません」
「本当ですか? 私、それが……怖くて……」
「視えても気にせず、視線を向けないことが大切です。危害を加えられることはまずありませんが、ついてきてしまう霊もいるので……」
「どうして……理沙は、どうしてこんなことになってしまったんでしょうか?」
「それは私には──」
「あの──」
木幡の言葉を遮るように、理沙が声を上げた。まだ怯えの表情は残っていたが、何かを覚悟したような目つきだった。
「私、ひとつ思い出したことがあって」
「はい」
「あの、私がこうなったのは、やっぱりおばあちゃ──祖母の影響なんじゃないかって、思って。それっていうのも、祖母がよく私に言っていたんです。『私はだめだったけど、あなたは幸せになってね。いつも祈ってるから』って」
「それは──単純に、言葉のままの意味なのでは……?」
拓実が恐る恐る口を挟むと、理沙は大袈裟に首を横に振って応えた。
「私もそう思っていたんですけど……さっき、ふと子供の頃のことを思い出して……。幼稚園か、小学校低学年頃の話なんですけど……夏休みとかに母の実家へ帰省したとき、祖母はよく私を連れ出して2人で散歩したんです。その時『そこに何か視える?』とか『あそこに何かいる?』とか、よく聞いてきたんです。意味わかんないですよね。でもそんな風に聞かれると、何だか何かいるような気もしてきて……私が『何かいた気がする』と答えると必ず『よかったね。きっと理沙ちゃんは天国に行けるからね』って……私、なんで忘れてたんだろう……」
「天国に………?」
「はい。そう、言ってました」
理沙の言葉を聞きながら、拓実は先日ベティが話していたことを思い出していた。
『何かのはずみに視界が広くなると、普段見えないものまで見えるようになるんです』
理沙の祖母が行っていたのは、理沙の視界を意図的に広げる行為なのではないだろうか。それは『幽霊を視る』ためではなく『天国に行く』ためのイニシエーションのようなものだったのかも知れないが──。何であれ『視えないものを視えるようにする特訓』であったと考えて良いだろう。
気になるのは理沙が『子供の頃』と言ったことだ。そんな昔、しかもほんのいっときの行為が、今になって突然効果を発揮するようなことがあるだろうか。
「キバタさん、それが原因ってこと、あるんですかね?」
拓実は木幡へ訊ねた。
「ないとは言えないわね。子供の頃の思い出が無意識に残っていて……」
「でも、子供の頃ですよ? それが今になって──」
「下地は出来ていたのかも知れないわ」
「下地?」
「例えば自転車の乗り方なんていうのは、一度乗り方を習得してしまえば仮に何十年も乗ってなくても、ちょっと慣らせばすぐまた乗れるようになるなんていうじゃない? それと同じようなもので、理沙さんは視界の隅に映るようなものを『無意識に意識する』力を、子供の頃にお祖母様によって身につけさせられていた……」
「その蓄積が、今になって『視える』能力を開花させたと?」
「きっかけはやっぱりお祖母様の死、だと思うわ。亡くなった、と聞いて、きっと昔の思い出なんかが頭をよぎったと思うの。そうして普段自分が無意識のうちに『視えていた』ものにピントがあってしまった……」
「わかるような、わからないような、って感じですね……」
大貴が力なく笑った。
「私……なぜ祖母が私にそんなことをしたのか……知りたい!」
理沙が叫ぶように言った。驚いて彼女の顔を見る。その表情は泣いているようでもあり、怒っているようでもあった。
「拓実さん」
「あ、はい」
「動画にして下さっても構いませんので、良かったら私の実家へ一緒に行って下さいませんか? もちろんうちの旦那も同行させますので」
「ええ? え? 大貴、俺……え?」
慌てる拓実と何か言いかけた大貴を無視して、理沙は話を続けた。
「祖母は亡くなる前、私の実家で母に介護されていました。祖母は若い頃からずっと日記をつけていたんです。まだ遺品の整理は完全に終わっていないはずなので、もしかしたら、その日記に何か書いてあるかも知れません。私、知りたいんです。祖母が私に何をしたのか」
「え、あの、行くのは全然構わないですけど。なんで俺なんですか? キバタさんの方が……」
「幽霊を探しに行くわけじゃないないですから。私、ヨモツヒラサカchの大ファンなんです。拓実さんならきっと、何か見つけてくれると思うんです」
そう言って、理沙は明るく笑った。
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パレイドリア 塔 @tou_tower
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