第4話 円滑な魅了 前編
時はあっという間に過ぎ去り、春の穏やかな温かさは、いつしか突き刺すような暑さへと変わった。アスファルトの道路は強い日差しを反射し、白く輝いている。
俺は今、ファインを迎えに行くため愛車を走らせていた。
彼女と出会ってから2ヶ月。お互い忙しく、直接会う機会はなかなか恵まれなかったが、こまめに連絡を取り合っていた。会話の内容は、体調の気遣いや近況報告など些細なものだったが、確かに親交は深まっていった。
そして先週ついに、「同居に気が向いてきたので、お家を内見させてくれませんか」というメールが送られてきたのである。
待ち合わせ場所のコンビニに到着すると、エコバッグを提げたファインが軒下で待っていた。髪は真ん中辺りでポニーテールにしており、隙間から見えるうなじがなんとも扇情的だ。
車から降りて手を振ると、手を振り返しながら彼女は歩み寄ってきた。
「ダリアン、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」
「久しぶり、ファイン。外で待つの、暑かっただろ? エアコン効いてるから、遠慮せずに車へ乗ってくれ」
「ありがとうございます」
俺はファインを助手席へ案内し、運転席に戻った。すると彼女は、エコバッグからペットボトルのコーラを取り出し、俺に差し出した。
「先ほどコンビニで買いました。嗜好に合えばいいのですが」
「わっ凄い、ドンピシャ! なんで好きそうって分かったの?」
驚きと興奮を交えつつ、コーラを受け取る。ファインは口元に手を当て、クスッと笑った。
「以前、ジャンクフードが好きだとおっしゃっていましたよね。それに合わせる飲み物は、コーラが定番だと聞きまして」
「嬉しい、俺が言ったこと覚えててくれたんだ」
胸が一杯になり、コーラをギュッと抱き締めた。ひんやりとした冷たさが腕に広がる。蓋を開けて一口飲むと、いつもより甘味が強く感じられた。
やる気は満タン。ボトルをホルダーに差し込み、シフトレバーを引く。
「それじゃあ、出発といきますか」
ブルンッと軽快なエンジン音を立て、車を発進させた。賑やかな商店街を走ること10分。閑静な住宅街へと移り、車内に差し込む眩しい日の光は、街路樹に遮られて和やかな木漏れ日へと変わる。景色を眺めていたファインが口を緩めた。
「この辺りはとても静かですね。こういう雰囲気、落ち着きます」
「そうだろ。都心からは離れるけど、研究に集中するにはもってこいの場所なんだ」
坂道を登ると、石壁に囲まれた二棟の建物が見えてくる。
「あそこが俺とリファの住む家だ。左の逆L字型の建物は居住棟で、右の建物が研究所になってる」
「わぁ……立派なお家ですね」
大きく目を見開き、ファインは溜息を零した。俺も、父さんと母さんに初めて連れてこられた時、同じ反応をしたなぁとしみじみする。
やがて道の前に重厚な鉄の門が現れた。上部に付いたセンサーが俺を検知し、自動で左右に開く。車庫に車を入れて玄関に向かうと、老執事のジョンが俺達を迎えた。
「おかえりなさいませ、ダンデレオン様。それからファイン・ギフト様、ようこそお越しくださいました。どうぞ、中へお入りください」
「ありがとうございます。お邪魔します」
深くお辞儀をし、ファインが玄関の境を越えた。俺はその様子に胸が高鳴る。ついに、好きな子を家に入れることができたのだ。
俺が家を案内すると事前に伝えておいたので、ジョンは速やかに持ち場へ去っていく。彼の背を、ファインは興味深そうに追った。
「使用人の方がいらっしゃるんですね」
「あぁ。あの人は執事のジョン。他にも、メイドのフロースとバービー、庭師のベスに、シェフのハンスもいる。家事は皆がやってくれるんだ」
「それはいいですね。仕事に集中できそうです」
関心を高め、ファインの顔に笑みが浮かんだ。さっそく、この家で暮らすことにメリットを感じてくれたようだ。
「実際、凄く助かってるよ。俺は夜勤の時もあるし、リファは研究所に缶詰めだからさ。
一階の右側はジョン達の自室があって、厨房や家事室もそこにまとまってる」
使用人の話が出たついでに、一階の右フロアについて簡単に説明した。そこは滅多に立ち寄らないエリアなので、案内は省く。広いこの家を一部屋ずつ紹介していたら、日が暮れてしまうだろう。
「ファインにはまず、二階のゲストルームを見てもらいたいんだ。同居するなら、そこを自室にしてもらおうと思ってて」
「了解です」
玄関ホールを抜け、廊下の曲がり角にある階段を上がった。ゲストルームは三部屋あるが、その中でも一番日当たりがいい、東の部屋に案内する。入室したファインは、胸に手を当てて辺りを見渡した。
「高級ホテルみたいですね。キングサイズのベッドにソファ、テレビも50インチとは」
パッと見でも琴線に触れたようで、俺は目を細める。部屋の奥まで連れていき、二つの扉を開けて中を見せた。
「浴室とトイレも付いてるんだ。こっちが浴室で、こっちがトイレ」
来客が無くとも、メイドのフロースとバービーが定期的に掃除してくれるため、清潔に保たれている。ファインは可愛らしく、ウンウンと頷いた。
「一番の見所は、バルコニーから見える景色なんだ。ちょっと外に出てみるか?」
「はい。是非とも、見てみたいです」
部屋の北側にある大きなガラス扉を開け、俺達はバルコニーに出た。熱気を孕んだ風と共に、爽やかな青草の匂いが舞い込んでくる。手すりに寄ったファインが、手入れの行き届いた広大な庭園を目にして、小さく息を呑んだ。
夏季はブルーベリーが見頃で、太陽の光を受ける青色の果実が、サファイアのように耀いている。それが彼女の瞳を彷彿とさせて、ひとりでに耳が熱くなった。気持ち悪い奴だな、俺。
「ブルーベリーは鑑賞用ですか?」
俺の自己嫌悪など露知らず、ファインが質問してくる。
「いいや、食用だぜ。熟した奴はベスが収穫して、ハンスが料理に使うんだ。今日のランチのデザートに使われてるかもな」
メールで話し合い、今日は昼食を共にすることを決めていた。今回は失言しないよう気を付けたいが、この調子では彼女をドン引きさせかねない。手の平に爪を立て、正気に戻るよう己を叱咤した。
ゲストルームを出て、他の部屋も軽く紹介した後。再び階段を上がり、今度は三階の案内に移った。
「ここは左奥から、リファ、俺、父さん、母さんの自室が続いてる。滅多に帰ってこないから、父さんと母さんのことは気にしないでくれ」
「お二人は世界中を飛び回って、薬学の発展に貢献しているんですよね。医学界でも、ご活躍をよく耳にします」
ファインは尊敬の籠った眼差しを、父さんと母さんの自室の扉に向けた。二人の良い評判を聞くと、自分のことのように嬉しくなる。
「あの人達、根っからの慈善家でさ。俺みたいな悪魔まで拾っちゃって、本当にお人好しなんだ」
「悪魔? 悪魔病を発症しているからと言って、本物の悪魔になる訳ではありませんよ」
ビクンッと肩が跳ねた。次第に口角が吊り上がり、笑い声が腹から突き抜ける。
「ハハハッ!」
実の両親は厳格な宗教家で、悪魔病を発症した俺は、人として扱われなくなった。香草をこれでもかと口に詰められ、全身を鞭で叩かれ、死ぬほど教会音楽を聞かされた。その時のトラウマが拭えず、自分はこの世にいるべきではないと、ずっと考えてきたのである。
父さん母さんやリファも、俺は悪魔じゃないと言ってくれた。だけど皆は眩しすぎて、足元の影は濃さを増すばかりだった。俺がこの人達の一員になるのは、不釣り合いではないかと。
ファインはただ、正論を言っただけ。それが逆に心地よかった。
「ありがとな、ファイン」
感謝を伝えると、彼女は小首を傾げた。このどこまでも真っ直ぐな心が、堪らなく愛おしい。彼女を自分のものにしたいという気持ちが、更に高まった。
ミッドナイトプロミス @dokuirinokani
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