第3話 抗争の炎舞

 スラム街はあわただしい。

法も秩序もここにはある。

それが国と違っていて、ズレているものが多いだけだ。

国の庇護下に無いかわりに、別の庇護下にある。

税を支払わないかわりに、支配者に支払う。


 その“支配者”、その一人がいつもと違う支配を実行している。


 今日はいつもの喧騒とは違った。

違法魔道具取引も、ドブ川で作った野菜を売るものも、

獣肉や盗品の露店も、今はそれどころではない。

別の喧騒で支配されていた。

 

 あちこちで火が上がり、魔獣が路地をうろつく。

狼と、それより一回り大きな狼──統率された群れが、

迷いなく獲物を選んでいた。


 「おい逃げるぞ!!

 城壁付近だ!!」


 ひどく汚れた中年男性が、転びそうになりながら逃げる。


 「おっちゃん!

 城壁はやめとけ」


 元気な声で、トサカを立てたレックスが叫ぶ。


 「今は門前で南方騎士団が固めてやがる。

 魔獣もおっちゃんも魔法で黒こげにされるぜ!!」


 中年男性は、ハッとした顔をして振り返った。


 「よ~し行くぞジャリ共!!

 課外訓練だおらぁ!!」


 その号令と共に、第二近衛騎士団訓練所で見た顔がいくつも飛び出す。

武器に統一感は無い。防具なんて言えるものもほとんどない。

拾い物と手製のもの。騎士団以下だし傭兵団以下。

それでも剣技や戦い方は、連携の取れた騎士団のようだった。


 死と血の匂いを知る者の足取り。

生き残るためだけに磨かれた技。

そして、狩猟は彼らの貴重な食料源でもある。

彼らにとって、狼の魔獣など“いつもの獲物”の延長だった。


 少年少女達は、身体強化魔法を使っている。

彼らは魔道具を持っていない。

レックスと同じように、アリスター流を叩き込まれている。


 彼らは次々と狼を叩き伏せていく。

それを、後ろから眺める二人の男女に見せている。

拳で語るアリスターと、静かな剣のリア。


 レックスは一番大きなリーダーを引き受け、

魔法の炎が空を裂く。だがレックスは目も細めない。

火の揺らぎを読み切り、半歩だけ後ろへ滑るように避けた。

 

 トサカ同士、何か感じるものがあるのだろうか。

双方の主張を通そうと立ち向かう。

狼のリーダーはトサカにも火をまとい、その火を放ちながら襲い掛かってきた。


 「なめんな!!」 


 火と飛び掛かりの二重攻撃でも、レックスには通じない。

そして、こだわりの拳が、火を纏った顎を捻じ曲げるように叩き砕いた。


 

 静かにその様子をうかがっていたアリスターが、

目を見開き、よく通る声を響かせた。


 「全員警戒!!

 周囲を掃討しつつ、訓練所まで撤退!!」


 その声と連動するかのように、地響きのような音が近づいてくる。

緑の鱗を持った大トカゲ――ドラゴンだった。

折り取られた牙もそのままに、自信を取り戻した様子で歩いてくる。


 「一週間もあれば、恐怖は忘れちまうか…」

 

 アリスターがつぶやく。


 「こっちは最近、小物の魔物ばかりで……

 飽きてきたところだったわ」


 リアが、撤退する子供たちと逆走して駆けていく。


 再びレックスの前に、ドラゴンは現れた。

あの時と同じように、狼が転がる路地裏で。


 「もうビビんねえぞ、トカゲ!」


 レックスが、気合を入れてドラゴンに指をさす。

 

 「あたしが注意を引くから、あんたが殴るのよ」


 リアが、レックスの横に並んで剣を振る。

アリスターが、対峙する二人のその先を見つめていた。

ドラゴンの挙動をひとつずつ、記録するかのように呟いている。



 やはり、ドラゴンのファイアブレスも自然型の精霊魔法か。

魔物と言われる、いわゆる“魔法を使う知性の高い動物”。

炎の狼も、風の狼も、人が得意とする魔法構文型ではない。

言語を持たない動物類は、すべて自然型だということか。


 だが…教本に書かれている自然型の精霊魔法とは何だ?

俺の知る限り、魔法はすべてAPIを呼ぶスクリプト構文だ。

精霊魔法は“万物に宿る精霊を介して行使する”と言われているが――

魔道具と同じ仕組みだというのか?

こればかりは、精霊を実際に見てみないと分からないな。


 二人の戦いを見逃さず、アリスターの思考はさらに深く潜っていく。

レックスの連打でドラゴンはひるみ、リアの剣は炎を割く。


 それでもドラゴンである。

バランスを崩しても、剣が当たっても立ち上がる。

不機嫌が加速しているようなドラゴンは、鼻息を吹き上げて唸りを上げた。


 「レックス!リア!!

 上だ!」


 深く考えこんでいたアリスターが叫ぶ。


 その声とほぼ同時に、轟音が降ってきた。

何かがドラゴンへと叩きつけられたのだ。

土埃がゆっくりと晴れていき――

一人の男が、ドラゴンの頭上で立ち上がった。


 ドラゴンは絶命していた。

一目でわかるほど確実に。

頭部を剣で貫かれ、すべての力が抜けている。


 「ドラゴン狩りなんて…第一の遠征以来か?

 殺したあいつの手柄になったっけ」


 男は軽装だった。

手甲と皮鎧。保護のためだけに紐で固定した安っぽい眼鏡。

茶色がかった髪を無造作になびかせ、眼鏡を外して周囲を見渡す。


 垂れ下がった目じりが、そのまま笑顔の形へと変わった。


 「アリスターってのは……後ろのデカいのか?

 王国最強、風のジークだ」



 レックスは呆然とした。

獲物を奪われ、兄貴の拳みたいな衝撃音が響き、

何も言えなくなっていた。


 「風の…ジーク!!?」


 リアは冷や汗を滲ませ、剣を握り直す。


 ジークは満足げに笑い、ゆっくりとドラゴンの上から降りた。

その降り方は、まるで重力を拒絶するかのような――

羽が舞い降りるような、静かな軌道だった。


 ブーツに風がまとわりつき、

膝、背中、肘へと流れていく。

立ち位置に合わせて、常にジークから風が吹き出していた。


 「空駆円舞。元第一近衛騎士団、風のジーク。

 上官殺しで、五百万ルメルの賞金首!!」


 「ご説明どうも。お嬢ちゃん」


 ジークは貴族のお辞儀をし、二人の間を通り過ぎる。


 「ちなみにお前は百万ルメル。

 依頼料だが──まあ、賞金みたいなもんだろ」


 そう言って、ジークは手にした剣を、

ためらいもなくアリスターへ突きつけた。


 「あいつは、八百万ルメルだそうだぞ。

 ドラゴンに宿る精霊も未調査だというのに」


 突きつけられた剣を意にも介さず、アリスターは言葉を返す。

そのまま、静かに拳へと力をこめていく。



 対峙する二人が笑う。それが合図だった。

常識的で型にはまった剣技など、ここには存在しない。

超人同士のぶつかり合いは、最初の火花とともに爆ぜた。


 不自然な加速で、剣を構えたまま突撃するジーク。

ドラゴンを串刺しにした、あの速度のままだ。

しかしアリスターは、ただ“力”だけでその突進を薙ぎ払った。


 空中へときりもみ回転しながら吹き飛んだジークは、

途中で不自然な静止をとり、猫のように地面へと着地する。


 「お前……見えてんのな」


 ジークは冷や汗をにじませて笑っていた。

手首で剣を回しているが、その表情は徐々に硬くなっていく。


 次の動きも、人間の踏み込みとはまったく違う挙動だった。

背中で起こった噴射を起点にして跳躍し、両手で持った剣ごと縦回転する。

通常なら体の構造上あり得ない角度と軌道だ。


 回転を利用して振り下ろされる剣――

アリスターはそれを紙一重で躱し、地面が深く割れた。


 次の瞬間、アリスターは低く沈み込み、

下段から打ち上げるように拳を放つ。

しかしジークは、後ろから“風に引っ張られた”ような不自然な跳躍で、

その拳をすり抜けた。


 「あれが…古代戦闘用魔道具、エアロギア…!」


 リアが息をのむ。


 「第一近衛騎士団随一の使い手にして、空駆円舞……!」


 アリスターはジークに視線を合わせ、

空を切った拳を懐へ戻しながらつぶやいた。


 「肘、背中、胴、膝、足裏……。

 ブースターやスラスター、バーニアみたいなもんか。

 ガン……いや、小さすぎるし……聖戦士か装甲騎兵か?」


 この世界に存在しない単語をつぶやくアリスターに、

リアは頭を抱えた。


 「アリスター!

 まだ来るわよ!!」



 どれほど無軌道で、人の動きを超えていようとも――

正確に“視えて”いるのなら、ただの軌道だ。


 各部の装備は連動。

末端と背中の噴射機構。胴体は逆噴射も可能だが、これがメインコアか。

制御盤のようなものが装備の下に仕込まれていて、

風を制御し、円舞するための出力を調整している。


 ドラゴンのときと、俺のとき。

ジークが突進して“衝突しそうな瞬間だけ”、

バリアのような風が発生していた。

だが、停止状態のジークに殴りかかったときには反応が無い。


 飛行中の衝突を検知して、“安全装置”が発動した…ように見える。



 戦闘用にしては装甲が無い。

軽量化のために割り切ったのか?

安全装置も、戦闘行為の回避とは思えない。

武装もない。これは強硬偵察用の装備?


 古代人の考えることは、本当にわからん。


 アリスターの拳は、再び空を切り、ジークを捉えない。


 「……百万で受けるんじゃ無かったぜ。

 十倍は取っていい」


 ジークの汗が、顔じゅうを伝い落ちていく。


 「取りやめてぇんだが…

 ここでもお尋ね者になっちゃあやりにくい」


 ジークが息を深く吐き、叫んだ。


 「覚悟を決めろジーク!

 正念場だ!!」



 もう一つ、もう二つ――止まらない。

ジークはアリスターを通り過ぎるたびに切り返し、

そのたびに鮮血が舞い、服は裂ける。


 アリスターが初めて防御の構えを見せ、

両腕を耳に付けるほどに掲げた。


 「このまま切り刻む!!」


 風の中から聞こえた声。

アリスターの瞳には声の主がはっきりと映っていた。


 ジークは、差し出された腕に吸い込まれるようだった。

飛行軌道の先にある“大木の枝”に気づかない鳥のように。


 アリスターの腕がジークの首を捉え、

骨が折れる音とともに衝撃音が走る。



 ジークの体は転がり、土埃を巻き上げながら

スラムの軒先へと叩きつけられた。


「とっさに首は守ったか。

 あの軌道を制御するだけはある。

 いい目だ」


 ジークの両腕は関節が増えたかのように曲がっている。

瀕死ながらも、息を吐きながら頭を上げる。


 「…見えてんじゃねえかよ…」


 「リミッター解除は悪手だったな。

 バリアが発動しても、守りきれなかった」


 体中に傷を負い、服は裂け、血が流れているというのに、

アリスターは何も変わらぬ様子だった。

むしろ平静で、戦いの分析を続けているように見えた。


 「楽しかったぜ。空駆円舞――風のジーク」


 アリスターの笑みが、戦いの終わりを告げる。


 張り詰めた空気が途切れ、

二人しか存在しえなかった世界に、

レックスとリアがようやく戻ってきた。




 マリウスは、すべてを見ていた。

スラム街に紛れ、ボロ小屋から人を追い出して隠れていた。

依頼主として、我が弟の死にざまを見届けるために。


 「…んなバカな…」


 冷や汗をかき、恐怖に顔をゆがませる。

そのひきつった表情と震える唇は、

いつもの色男の面影を完全に消し去っていた。


 手当たりしだいに荷物をかき集め、

ボロ小屋のドアを乱暴に蹴り破る。

軋む音とともに開いた隙間から、マリウスは飛び出した。


 「親父と兄貴に伝えなきゃ……!!

 あいつは……あいつはやべえ!!」


 貴族の服をまとっているのに、

走り方はスラムの浮浪者そのものだった。

もつれた足で転びそうになりながら、

マリウスはリュクス・ヴァルドへとひた走っていった。

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