第4話 終燃
リュクス・ヴァルド近郊のスラム街。
夜明けとともに鎮火したはずの炎が、また別の場所で上がっていた。
ドラゴンが死に、賞金首ジークも倒したというのに、事態はまだ収束しない。
翌日、アリスターはリュクス・ヴァルド城門へと向かう。
両腕を破壊され、抵抗する気力もなくなったジークを引きずるように連れている。
賞金首のジークを門衛に引き渡し、父であるカーサスへ伝言を指示した。
――フェルディナンドは殺す。
俺の敵となった以上、生かしておく理由はない。
放たれた魔物、略奪を始めた盗賊や難民たち。
加速する無法を止めるため、レックスとリアはスラム全体を走り回っていた。
子ども達も第二近衛騎士団の訓練所を拠点に、魔物の対処や、焼け出された人々の救助に忙しい。
アリスターは一人、スラム街道を進み、つぎはぎの貴族邸宅へ向かう。
吊り上がった眉と結ばれた口元は、誰が見ても“近づくな”と告げていた。
「おいお前!!
貴族だな。金もってんだろ?」
場の空気を感じられない盗賊が、ふらふらとナイフを弄びながら近づく。
「今は誰も助けてくれないぜ?
運が無かったな?
おぼっちゃ――」
「邪魔だ」
その言葉が終わる前に、アリスターの拳が盗賊の腕ごとナイフを弾き飛ばした。
盗賊は壁に叩きつけられ、二度と動かなかった。
アリスターは一瞥すら向けず、目的の屋敷へ歩を進めた。
「げっ!
アリスター・・・」
スラムにあるフェルディナンドの貴族邸。
つぎはぎの装飾が施され、どこか無理やり荘厳さを装っている。
無言で門衛を見回すアリスターを、誰一人止められなかった。
自分が、ドラゴンよりもはるかに弱いことを――門衛たちは理解している。
アリスターは、後ずさりしていく門衛を無視して歩き続けた。
「フェルディナンドは居るよな」
「えっ・・・?
あ、ああ・・・。いる、ますけど・・・」
ふいに声をかけられた門衛が答える。
しぼり出すような返答を聞き、アリスターは軋むドアを押し開けて屋敷の中へと入った。
「まあ座れよアリスター」
フェルディナンドがへらへらと笑う。
だが、その目は一切笑っていなかった。
アリスターを睨みつけるように視線を合わせ、ひと時も外さない。
軋むソファーに深く腰を沈めたまま、正面のソファーを指で示す。
アリスターは黙って正面に座った。
「降伏する気になったか?」
フェルディナンドが見下すような声音で言う。
アリスターは姿勢を崩さず、まっすぐ前を見たまま両肘をテーブルについた。
わずかに身を乗り出し、今にも立ち上がりそうな前傾姿勢。
「こちらに被害があるとでも?」
鋭い目線で問い返す。
全ての問題が収束に向かっているという確信が、その瞳に宿っていた。
「死んでるだろ?
難民移民、第二のゴミども。
食われようが焼けようが――俺は全く痛くねぇ」
フェルディナンドは鼻で笑いながら言い返した。
「フェルディナンド。
勘違いしているようだが、
俺は別に善人じゃない」
アリスターの姿勢は崩れない。
淡々と言葉を続ける。
「どこで難民や移民が死のうがかまわない。
スラムを救うとか、誰かを助けたいとか、そういうことじゃねえ。
俺は――目的のためにここを利用しているだけだ」
フェルディナンドは、その言葉に反応し、椅子を蹴るように立ち上がった。
見下ろしながら怒気を含んだ声を叩きつける。
「嘘が下手だな、アリスター。
本当にどうでもいいと思ってる奴が――」
フェルディナンドはテーブルを叩き、
「ここに来るわけねえだろうが!!」
部屋の空気が振動する。
「てめえは耐えきれなくなったのさ。
被害を食い止めるために、
単身ここへ乗り込んできたんだよ!」
静寂が落ちた。
アリスターはまだ姿勢を崩すことがなかった。
「側近の二人はどうした。
昨日は、”近くに居た”んだがな」
「さあな。
今日もスラムで魔物を放ってるぜ」
アリスターは、皮肉を言う前に口元をゆがませた。
その歪みは、呆れと哀れみを含んでいるように見える。
「そうだといいな、フェルディナンド。
昨日はマリウスと…
他に二人ほど、貴族街に帰ったみたいだぜ」
「とりあえず金だ。
それとレースを盛り上げろ。
格闘場でもいい……ガキどもを殺し合わせれば儲かる」
フェルディナンドは、アリスターの言葉を無視して話す。
倒れ込むようにソファへ腰を落とし、目をぎらつかせていた。
「フェルディナンド。
お前がやっているのは、強者が行える交渉だ。
お前は強者なのか?」
アリスターの視線が、椅子に沈んだフェルディナンドへ向けられる。
逃げ場を塞ぐような静かな圧があった。
「お前はまだ、自分が死なないと思っているのか?」
フェルディナンドの肩がわずかに跳ねた。
乾いた喉で、唾を飲み込む音がかすかに響いた。
「ちっ!
停戦か?
対等な交渉をしてぇなら、
そう言えよ…」
バガン!!
フェルディナンドが、沈み込んだ姿勢のままテーブルを蹴り上げた。
木片が四散する。しかしアリスターは腕を軽く上げただけで、迫る足を受け止めていた。
「煽り、焚き付け、冷静を装い奇襲する。
喧嘩のやり方としては合格だ」
奇襲が完全に外れた光景を見て、フェルディナンドは口を開いたまま固まった。
「だが、俺は知っているんだ。
三流のやり方としてな」
アリスターは、フェルディナンドの足を払いのけ、そのまま静かに立ち上がる。
「へ、へへっへ……
冗談じゃねえか、アリスター」
フェルディナンドはひきつった笑い声を漏らしながら、腹に手を当てた。
「本命はこっちだぜ!!」
フェルディナンドの腹部から、爆ぜるように炎が吹き出した。
轟音とともに白炎が室内を満たし、ソファが滑り、フェルディナンドの身体が押し戻される。
すさまじい猛火は、アリスターも邸もまとめて呑み込んだ。
炎が収まり始めたとき、フェルディナンドの頬を汗が伝った。
「俺は…用意周到なんだよ…」
猛火の中から、炎に包まれた腕が伸びる。
それは火そのものの“腕”にしか見えなかった。
瞬時にフェルディナンドの首を締め上げる。
燃え崩れた上着を捨てながら、アリスターが姿を現した。
「ぐっ……が……っ」
「なあ、フェルディナンド。
俺はお前の商売を――許容してた」
フェルディナンドは、締め上げる腕を必死に引きはがそうともがく。
「敵対しなければ、平穏に過ごせたんだぜ」
アリスターの拳は、フェルディナンドの頭部にめり込む。
フェルディナンドの身体は宙を裂くように吹き飛ばされ、
部屋の隅にある家具へと叩きつけられた。
鈍い衝撃音は、ごうごうと燃え上がる火の音に飲み込まれていく。
炎はアリスターの肌を焦がさず、邸だけを焼いていた。
フェルディナンドは微動だにしない。
白目を剥き、力なく横たわっている。
――息をしているのかどうか、判断がつかないほどに。
「フェルディナンド。
俺は交渉に来たんじゃねえよ。
お前を、始末しにきたんだ」
アリスターは静かにつぶやき、燃え盛る邸を後にした。
邸の周囲の装飾物まで巻き込み、延焼は広がっていく。
門衛も、いつのまにか逃げ出していた。
火を消し止めるものも、邸へ向かうものもいない。
その炎は夜の闇を照らし続け、邸が崩れ落ちるまで燃え続けていた。
あの日から数日。
第二近衛騎士団の貴族はスラムを離れ、魔物もマフィアも鳴りを潜めている。
灰の山を漁る難民や移民は、燃え残ったものの中から売れる物を探す。
薄汚れた男が、黒焦げの遺体から指輪だけを乱暴に引き抜いた。
「どういうことだよ親父!!」
エルディア伯爵邸で、声を荒げて机を叩くものが一人。
怒りと焦燥で色の抜けたマリウスが叫ぶ。
カーサスとセドリックは、意にも介さず書類を書き進めている。
「貴族殺してんだぞ!
ドルマリア家だ!
トルナード侯爵様に迷惑がかかる前に、
除籍して、領地から追い出した方がいいに決まってる!」
カーサスは、署名を済ませた書類をセドリックへ渡す。
「マリウス。
第二近衛騎士団の死者は”全て遠征での被害”だ。
それはドルマリア家も把握している」
セドリックは淡々と封書を作り続ける。
マリウスは体を震わせ、言葉を失った。
「アリスターの罪とはなんだ。
お前が雇った賞金首を捕らえたことか?」
カーサスが、マリウスに視線を合わせる。
「それとも――
お前の金づるを殺したことか?」
一拍置き、カーサスは静かに告げた。
「全て公式では罪ではない」
マリウスがうなだれるように崩れ落ち、
そのまま椅子へと吸い込まれていった。
二人は、その様子を一瞥すらしなかった。
「父上。
城壁内の被害は、最小限に抑えられました」
セドリックは書類束を渡す。
「証言や状況から、
焼死体はフェルディナンドと断定されています」
内容を確認するカーサスに、セドリックは話し続ける。
「側近の二人も第二近衛騎士団に帰るようです。
”遠征手当”の支給でよろしいですか」
「許可する。
遠征の内容は極秘だと、もう一度伝えておけ」
カーサスは一枚の書類へ署名し、セドリックへ返す。
「さて、マリウス。
スラムのボス――席は空いた」
「へっ?」
突然の呼びかけに、マリウスは情けない声を漏らした。
沈んでいた身体も思わず起き上がる。
「お前もエルディア家であれば、
スラムを治めてみせよ」
「俺が…?」
「管理の出来ぬ無秩序など不要だ。
スラム街は必要だからそこにある。
貴様は、間違えることの無きよう治めよ」
カーサスはまっすぐにマリウスの目を捉えた。
マリウスの喉が鳴り、つばを飲み込む音が静かに響く。
――答えは、すでに決まっていた。
夜の闇の中で、エルディア邸は浮かび上がるように照らされていた。
魔道具ランプの光は、何事もなかったかのように静かだ。
「父上。
マリウスで良いのですか」
セドリックは執務室で書類を仕分けながら問いかけた。
「我が弟ながら……
統治者としては小物すぎるのでは」
「おごり高ぶったものが治めるよりは良い。
それに、奴は引き際を誤らなかった。
恐怖を知り、歯向かうこともないだろう」
カーサスはひとつ息をつき、それ以上を語らなかった。
「……父上の想定通り、というわけですか」
セドリックは目を閉じ、皮肉とも感心とも取れる笑みを浮かべる。
「これでスラムからの上納金が戻り、
把握できる秩序も作られる」
「想定通りであるはずが無い。
ワシに、アリスターを操るような力は無い」
カーサスはこめかみを押さえ、首を振りながら髪をかきあげた。
「制御できぬものは不要。
エルディア家に危機となる」
カーサスは、新しい紙にペンを立てた。
「侯爵様にも掛け合うこととする。
アリスターの今後のことについてな」
今日の仕事はこれで終わり。
最後の書簡を書き上げ、夜は更けていく。
プロジェクト Power Code 一潟紅黎 @hitogatakurei
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