第2話 リュクスの火種
スラム街の一画。
マフィアが占拠したこの一画は、リュクス・ヴァルドの貴族街から持ち出した家具、取り壊された廃材を重ねて、無理やり屋敷のようになっていた。
魔道具で武装した構成員が徘徊し、まるで貴族の屋敷と騎士隊のようにも見える。
あるいは、あえて似せているのか。
「どうなってんだクソがぁ!!」
大きな物音と叫びが屋敷にこだまする。
調度品が整えられた、応接室のような部屋に男が三人。
暴れる一人を、残りの二人がなだめている様子だ。
「フェルディナンド様、落ち着いてください」
綺麗な金髪をしたフェルディナンドは、怒りのままにテーブルを殴りつける。
スラムに似つかわしくない、貴族風の身綺麗な衣服に指輪。
「800万ルメルだぞ!!
ドラゴン1匹800万ルメルだ!!
第一所属の騎士が一年雇えるんだぞ!!
そこらの平民なら3人雇える!」
大振りに身振り手振りを加え、フェルディナンドは部屋中を暴れまわる。
「賭けも中止です。
その…。第二の奴らがほとんど賭けてましたので」
金の長髪を後ろでひとまとめにした実況担当が、言い淀んだ。
「第二のクソどもなんて、
借金漬けで後ろ盾もねえ。
だが、客は客で、金づるなんだ。
返金しねえと次賭けなくなるんだよ。
クソが。いくらだ?」
テーブルに手を付き、フェルディナンドは暴れる心を押さえつける。
「あのレースでは掛け金の総額は200万を超えてました。
すぐ死んでいれば、50万はプラスに。
他のレースは順調でしたので、一応儲けは……」
ズレた眼鏡を指で直した経理担当――茶髪をきちんと整え、質の良いベストを着こなす男――が、淡々と収支を読み上げる。
「儲けなんて、もうどうでも良いんだよ!
あのクソ野郎!
調子に乗ったバカガキを捕まえて!
稼いで!死体を晒して!
俺たちの強さを見せつけるって話はどうなった!」
「いや、でもよぉ。
5人小隊だぜ普通……。
第一の奴らだって、小隊でちゃんと準備しねえと被害がでる!
専用の魔道具がなけりゃ、俺たちだって食い殺される……」
実況担当が、冷や汗をかきながら声を震わせる。
「そうだ。そうなんだよ。
普通は死ぬんだよ。
なんで死んでねえ?ありえねえだろ……。
死ねよ。ただ邪魔なんだからよ。
そのために、苦労して買ったんだろうが。
クソガキどもを排除すりゃあ、スラムは俺のものなんだよ」
疲れたフェルディナンドが、大きなソファーに体を預ける。
豪華なソファーは、その古さを表現するかのように軋んで音を立てた。
所詮、貴族街で捨てられた年代物を、さらに修理したものだ。
「荒れてるなフェルディナンド」
ふいにかけられた声に、3人は振り返る。
意匠だけが立派なドアが、軋みを上げてゆっくりと開く。
そこには、嫌な薄ら笑いを浮かべた黒髪の男が立っていた。
「何の用だ」
フェルディナンドが、また不機嫌な声で尋ねる。
「同じ邪魔者を持つ同志だろ?
仲良くしようぜ」
ふらふらとした足取りで、男はフェルディナンドの対面へと向かう。
貴族的な正装を着崩した様子は、色男とも軽薄とも言える。
「マリウス。
800万は無しだ。
あいつは使えなかった。
契約不履行ってやつだ」
真剣な目つきで、フェルディナンドはにらみつける。
「安心しろよ。
魔法契約書に、確実に殺れるとは書いてねえよ」
マリウスは笑う。
その笑い方は、人の心を逆なでするためだけに作られた、いやらしい笑顔だった。
「真っ当な商人が使ってる、同意呪文付きのもんだよ」
マリウスは薄く笑いながら肩をすくめた。
「文句が成立しねえように、売買用の魔法契約書を出してやっただけだ。
あれは“そういう契約”なんだよ。
何に使うかは買ったやつの自由だし――」
わざと間を置き、フェルディナンドをななめに見下ろす。
「使った後の返品なんて、最初から受けてねえ」
「知ってるよクソ野郎が」
目論見が外れたフェルディナンドは、舌打ちをして目線を外した。
「だが俺は慈善家なんだ。
確実に殺れるよう、
お前好みの魔道具を持ってきたぜ」
マリウスは、懐から取り出した箱をテーブルへと置いた。
古びた木箱は、重い音を立てて沈む。
部屋にいる全員の視線が吸い寄せられた。
第二近衛騎士団訓練所。
訓練の音が聞こえない。
大きな庭が、不気味なほど静まり返っている。
少年少女たちは壁際に集まり、宿舎の窓から身を乗り出す者もいる。
その視線はただ一点――庭の中央を注視していた。
庭の中央に3人。
アリスター。レックス。リア。
アリスターは、大きく両腕を開き、どっしりと腰を落とす。
それぞれの腕は、レックスとリアへと向けられていた。
獰猛な獣のようだが、その姿勢は冷静な受けのようにも見える。
レックスは、静かな構えを見せる。
両腕を脇に抱え、同じように足を開く。
しかし、表情は合図とともに飛び出す猪そのもの。
リアは真剣な面持ちで前を見る。
ショートソード――それをさらに短く加工した刃物。
木剣ではない。手入れの行き届いた真剣だ。
覚悟を決めたように目を見開き、リアが地を蹴った。
目の前にいるアリスターへ向かって突進し、剣を振る。
機を伺っていたレックスも、一足遅れて発射する。
リアの振る剣は鞭のようにしなり、上下左右へと振られる。
アリスターはその全てを見切っていた。
左手の指や手のひら、手の甲で風を払うように軌道をそらし、直撃を躱す。
リアは手応えすら感じない。
むしろ受け流されて、剣が加速していくようにすら思えた。
レックスは息を止め、殴り続ける。
両腕をフル回転させ、一息も吸わずに連打を叩き込む。
分厚い城壁でも殴っているかのような、錯覚をする。
連打の全てが、アリスターの右手の中へ収まっていく。
アリスターの視線は、迫る剣も拳も――すべてを正確に追っていた。
ふいに、連打の一つがアリスターによって変えられる。
分厚い城壁のように硬かった感触が、次の瞬間には、まるで貴族のベッドのように柔らかくレックスの拳を受け止めた。
アリスターが拳の速度に合わせて腕を引き、勢いを殺したのだ。
腕が伸び切り、レックスは体勢を崩す。
その一瞬の隙を逃さず、アリスターは伸びきった腕を軽く押し返した。
吹っ飛び、地面を転がるレックス。
その動きを横目で確認すると、アリスターはリアへと視線を集中させる。
加速しすぎた剣に任せて、リアは跳躍した。
そのまま剣を両手でつかみ、アリスターの右肩目掛けて突き刺した。
突き刺さるはずの剣は、リアごと固定された。
リアは落下が止まった衝撃に目を見開く。
剣は止められていた。
刃先を、左手の人差し指と中指だけで挟まれて。
アリスターが笑った。
「少し、強くいくぞ」
握りこまれた右こぶしは、力強く地面をたたく。
魔法弾が着弾したような轟音とともに、地面はえぐれ、爆発した。
リアは爆風で弾き飛ばされ、空へ投げ出される。
それでもリアは猫のように空中で身をひるがえし、静かに地面へと着地した。
もうもうと立ち上がる土埃は、爆心地を隠しながら広がっていく。
いない。あんなでかい体が見えなくなるなんて。
視界が悪くなり続ける中、リアは僅かな変化に集中する。
―踏み切る足音すら、聞こえなかった。
目の端で影を捉えた瞬間、後ろに感じた気配で振り返る。
まるで獰猛な魔獣。
ドラゴンよりも大きくて、強い。
死――。
リアは悟った。これは“死”だ、と。
心臓の止まる音を、聞いた気がする。
フニッ。
頬に、柔らかい衝撃。
振り向いたリアの視界に入ったのは――
アリスターの、人差し指だった。
リアの膝から力が抜ける。
これが終了の合図となり、立ち合いの緊張感が薄れる。
静かに見守っていた観客も、思い思いの言葉を交わし合った。
子ども達に連打を実演して見せるレックス。
椅子に腰かけて休むアリスター。
日はすでに落ちかけて、夕日が赤く地平線へと落ちていく。
「俺の友を名乗るなら俺に挑め。
一切の手加減無く、命を取りに来い。
……だったかしら」
リアがアリスターに声をかける。
「合格だ」
アリスターが笑う。
「だが、最後のやつは迷ったな。
肩じゃなくて、心臓を狙えたはずだ」
見透かされたリアは目を見開く。
「……そうよ。
流石にできなかったわ。
止められることなんて、わかってたのに」
リアがうつむいて表情を隠す。
複雑な心境は、握られた拳にも表れていた。
「安心しろよ、俺にあの程度の刃は通らねえ」
夕日に照らされたアリスターが、口元を緩ませる。
その答えを聞いて、リアの表情が戻り、息を吐く。
「そうだわ。
アレ何?
地面を殴ると爆発するって。
そんな魔法ありえないわ」
リアがアリスターをにらみつけてすごむ。
「何って…?
ビッグバンインパクトだが?」
「ビッグバンインパクトなんてものは無いわ」
アリスターは頭をかいて言葉を探す。
「全力で殴りつつ、地面を爆発させる。
実現できる単語と構文を探すの、大変だったんだぜ。
APIリストの単語を全探索だしさ」
あいかわらず、聞きなれない言葉の羅列で困惑する。
API?リスト?単語?構文?
少なくとも、常識的な魔法構文では無いことだけは確か。
リアが首をひねって考え込む。
「APIリストの?単語って何よ……。
魔法の詠唱は、神の言葉でしょ……」
リアの言葉が続く。
「下賜された完璧なるその構文は、人が理解し得るものではない。
アルディア正教の、教えでしょ……」
リアのつぶやきは、夕日と喧騒へと溶けた。
リュクス・ヴァルド。
エルディア伯爵の邸宅から、夜の闇を切り裂く光が漏れる。
魔道具ランプが適所に配置された屋敷。
その執務室では、一人の男性が複数の書類を整理し、必要なものを抜き出していた。
その一つに筆を走らせ、署名をする。
書面に書かれた名は―。
カーサス・ヴァルド・エルディア伯爵。
アリスターを思わせる眉、白髪の混じった黒髪。
細身の長身は、マリウスの持つ色気の一面を感じさせる。
「これを、ドルマリア公爵本家へ。
分家の、フェルディナンド・ドルマリア伯爵令息の件だ。
素早く届くよう手配せよ」
書類を受け取ったのは、カーサスの右側に静かに控えていた男だった。
「こちらはトルナード侯爵閣下だ。
しばらくの増員申請。
リュクス・ヴァルドに南方騎士団を配置し、
被害を最小限に抑える」
もう一つを受け取り、男は封書を作る。
「父上。マリウスは放置してよいのですか?」
男が疑問を投げかける。
その顔と黒髪は、若々しいエルディア伯爵を思わせる。
執務机の横に控えていたのは、カーサスの息子にして副官――セドリックだ。
「セドリック。
マリウスが暴走して死ぬなら、それもかまわぬ」
カーサスがゆっくりと息を吐いた。
「抗争がどこまで広がるか、読めん。
リュクス・ヴァルドに被害が及ばぬよう、
南方騎士団の増員が必要だ」
「第二近衛騎士団。
彼らはどうするんです?」
セドリックが、皮肉めいた笑みを浮かべて問う。
「抗争の噂を流し、
スラム街から退避させよ」
一呼吸置いて、カーサスが目を閉じる。
「城壁内の歓楽街に特別割引を指示、
無意味にバカ共が死なぬようにする」
「そういえば、第二から南方への転属願いが2名。
遊んで給金をもらうだけの生活に、耐えられなくなったようですよ」
セドリックが2枚の書面を、カーサスに手渡す。
カーサスは書面を見渡し、筆を走らせた。
「受理する。
明日から城壁内にある南方の駐屯所へ来るように伝えろ。
訓練を教えてやれ」
署名済みの書面をセドリックに返し、カーサスは椅子に深く体を沈めた。
「フェルディナンドの生死は?
あれでもドルマリア家の縁者でしょう?」
「もともとドルマリア公爵家からの要請だ。
分家伯爵家の3男だからな、醜聞になるなら不要ということだ」
セドリックは、封書を見直して蝋の渇きを確認する。
「ドルマリア本家には、迷惑料の概算を添えた。
そして、“第二近衛騎士団所属のフェルディナンドが遠征に出兵する”と伝えてある。
次の報告の、準備をするようにと」
「いつもの場所で良いですか。
南西の森、獣族と魔物と交戦して被害が出たと」
「それでよい」
セドリックが、息を吐いて肩をすくめる。
「50年以上も実遠征なんて無いんですけどね、
遠征の死者だけは50年以上もあり続ける」
「貴族を調整するには、ちょうど良いということだ」
執務室の魔道具ランプが闇を否定する。
しかし、闇は広大で、全てを照らすには小さすぎた。
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