6. -1

「刺されたんだってさ」

「マジ!?」

「血ぃ飛び散ってヤバかったらしいよ」

『学校で人刺されてて草』

「うわグッロ……なんでお前こんなの持ってんだよ気持ち悪ぃ」

「いや撮ったのおれじゃねーから。誰かが撮ったの回ってきたんだって」

「うぅ……ごめん私無理」

「え、さとちゃん? え?」

《えーきのかんです。たった今ボクたちの学校で……》

「これアップしたら凍結されっかな?」

「はいはい下がって下がって!! 入口に固まらないで!!」

「今日って休校?」

「女が女を刺したんだってさー」

「ケーサツ来る? 来ちゃう?」

「ゼッテー男絡みじゃんそんなの。こっわ」

「コイツマジで配信始めてんじゃんヤバすぎっしょ」

「犯人誰?」

「撮らないの!! 撮るな!!」

「二年つってた。なんか刺されたのも二年だって」

「ウチの高校民度低すぎウケる」

「あのめっちゃ綺麗な人」

「〝王子〟が狙ってたって噂の」

「ちょっと前に転校してきた」

「天才お嬢様か」

「そうそう。名前は確か――」

「ファンクラブとか無かったっけ。殺人犯のファンじゃんキモ」

「薫ちゃんが……なんで……」

「――橘愛莉」


 ***

 

「………………………………は?」

 月曜日、朝。エントランスホールでごった返す人混みの中。

 聞こえてくる声が、飛び交う物騒な単語が、口にされる二つの名前が脳を揺らす。刃物、血溜まり、犯人、メッタ刺し、警察、佐藤薫、橘愛莉。

「は……え?」

 佐藤、橘、さとう、タチバナ。死んだ「死んだ?」殺した「誰が?」「橘って人が」「同じ二年の」「佐藤って子を」

 

「……殺した?」


 口から勝手に出てきた言葉に足が勝手に動き出していた。まっすぐ進みたいのに地面が勝手に揺れて右に行ったり左に行ったり周りの連中も勝手に俺の前に出てきやがって。退けよ消えろよ邪魔なんだよ。うるせえ黙れさっさと前を開けろっつってんだよ。頭が痛え痛えな見ろ血がこんなにヤバいだろ俺死にたくない俺じゃない誰だこれ誰のだこの血なんで誰がなんでなんでなんで、

「さ、とう……」

 血溜まり白い床白い顔また明日って言って良かったねって嬉しいって笑って俺と橘を、

 橘?

 橘がいる。

 制服がまだらに染まっている。

 拘束されている。

 足元にてらてら光る何かが転がっている。

 橘がいる、いた、いちゃいけなかった、いてほしくなかった、なんでいるんだ。

「お前、何笑ってんだ……?」

 三日月。両目に二つ、口に一つ。

 恍惚の笑み。あはははははと、似つかわしくない嗤い声。

 怒号と耳障りな電子音。カシャリ、パシャリ、ピロンスコン。

「あ、ああ……」

 吐き気と目眩。頭の激痛。カシャリ、パシャリ、

「あああああああああああああああぁ……」

 聞きたくない音をかき消して、考えたくない理由を塗りつぶして、只々腹の底から全部を吐き出すように叫んで。

 橘愛莉と目が合った瞬間に、俺の視界は真っ暗になった。


 ***


「――ってさ、フィリスが焔術を使ってくれなかったらヤバかったね」

「……あ?」

 平田?

「まさか炎を吐いてくる敵に焔術が効くなんて。あの時は僕の知識も未熟だって痛感したよ」

「は?」

 佐藤は? 橘愛莉は?

「ど、どうしたのハシバ? まさか火龍との戦いを思い出したとか?」

 ここ、どこだ?

「ここは……えっと、オルテラの外、地球だよ。境界を越えたから当然だね」

 学校は?

「学校? いま向かってるけど……」

 通学路?

「もしかしてハシバ、空間跳躍を?」

「平田……今、いつだ……?」

「え? 月曜日の朝だけど……」

 月曜日。

 朝。

 通学路。

 俺は平田に会って、一緒に登校して。

 部室棟の裏で皆本に出くわして。そうだ、平田と妙に意気投合してたから先に行って。

 エントランスホールが騒がしくて。

 ごった返す人混みを押し退けて。

 視界が開けて。

 それで、

「ぐっ!?」

 突然、頭に締め付けられるような痛みが走った。

 同時にモノクロの光景が脳裏をよぎる。女が二人。虚ろな目と歪んだ口元。

 一つだけ色がある――赤だ。二人とも何か真っ赤なものに塗れている。

 なんだ、この光景……?

「だ、大丈夫? 顔色がどんどん悪くなってるよ」

 夢、妄想。どっちでもいい、どっちかに決まってる。

 なのになんで息がこんなに詰まるんだ。この強烈な焦燥感はなんだ。

「……すまん先に行く」

「え、あ……ハシバ!?」

 居ても立ってもいられず俺は平田を残して走り出した。

 朝の通学路には学生服の連中がうじゃうじゃいて、そいつらは普段どおり談笑したり欠伸したりしていて、俺だけが息を切らしてそいつらを追い抜いていく。昨日と同じく空は青く澄み渡っているのに、俺の脳裏に焼き付いているのは真っ赤な光景だ。まだらな赤、掠れた赤、滴り落ちる赤、赤、赤。

 全身からは滝のような汗が流れてきたが、気にする余裕は全く無く、それどころか奇妙な悪寒に体が震える始末だった。

 しばらくして遠くに部室棟が見えてきた。これから歴研の活動を始めるその建物が、今はやけにのっぺりと無機質に感じて、まるで俺を拒絶しているように思えた。

 部室棟を横切る時にすれ違った皆本から声を掛けられたが、相手をしている暇は無かった。

 そして、エントランスホールに辿り着いた。

「……認めねえ」

 自分が何度も同じ言葉を呟いてることに気付いたのは、靴も履き替えないままホール入り口のドアに手を置いた時だった。

 誰だって認められるわけがない。昨日あれほど楽しそうにしてた二人が。夢に決まってる。気色悪い妄想でもいい。ありもしない記憶なんて消しちまえ。

 ドアの先からざわめきに心臓が跳ねて、すぐにただの生徒連中のお喋りだと安堵する。

「良かった……何も起きて――」

 だが、ドアを押し開けた俺の耳に飛び込んできたのは、そのお喋りを全てかき消してしまうほどの悲鳴だった。

 一瞬の静寂の後、連鎖するように悲鳴が上がる。さっきとは異質なざわめきがこの場の空気を染め替える。俺に、いやドアに向かって人の塊が押し寄せてくる。すぐに離れなかったらそのまま外に押し出されていたかもしれない。

 人の塊に逆行してエントランスホールに入ると、今度はあの耳障りな電子音が聞こえてきた。カシャリ、パシャリ、ピロンスコン。残っていた奴らの手にはスマホが握られていた。気持ち悪い。本当に気持ち悪い。

 そして、そいつらがスマホを向ける先。

 エントランスホールの中心で、女が何かに馬乗りになって腕を振り下ろし続けていた。ぐちゃり、ぐちゃりと鈍い音が響き、宙に赤い飛沫が舞う。 

「お前……何やって……」

 円形に人だかりの引いたその場所に覚束ない足取りで近付と、女は腕を止めて立ち上がり、ゆっくりと振り返った。

 天窓から差し込む光に照らされたその顔は、あまりにも妖艶で、あまりにも恍惚とし、

「おはよう、羽柴君」

 それでも平然と、橘愛莉は朝の挨拶を口にした。

「なん、で……」

 その足元に、真っ赤に染まって動かない佐藤を横たえて。

「薫のこと、殺しちゃった」

 一縷の望みを打ち砕くように、自らの犯行を告白して。

 その言葉を聞いた途端、足に力が入らず膝から崩れ落ちてしまった。

 それは脳裏に焼き付いた光景のとおりだった。そして、それから先のことも同じ。

 教師どもが橘愛莉を拘束する。怒号と悲鳴が反響する。吐き気と目眩が襲ってきて、頭が割れるように痛む。

 最後に橘愛莉と目が合い、視界が真っ暗になる…………。


 ***


「――ってさ、フィリスが焔術を使ってくれなかったらヤバかったね」

「……」

「まさか炎を吐いてくる敵に……って、どうしたのハシバ? 顔が真っ青だよ」

「……っ」

「あ……ハシバ!?」

 平田に返事もせず俺は走り出した。

 最初の一言を聞いた瞬間に既視感と、今度は全身が総毛立つほどの焦燥感に襲われた。

 走りながらスマホを取り出す。表示されていたのは月曜日の朝の時刻。

 やっぱり、マジで、いや、なんでだよ。

 予想が当たっても全く嬉しくない。予想が当たった理由にも見当がつかない。それでも立ち止まって考えるのは無理だった。

 学生服の連中を追い越し、鈍い足を必死に動かして、走って、走り続けて学校へ。

「あ、レオじゃん。今日の部活だけどさ」

「退け!!」

 部室棟を横切る時に話しかけてきた皆本を喝破する。

 このまま走れば間に合うはずだ。何に間に合うかって? 知るか、よく分からん何かにだ。

 必死になって辿り着いたエントランスホールの、三度目の入り口の前。上がった息を無理やり整えながら鉄製の取っ手に触れる。大丈夫だ、大丈夫だと心の中で言い聞かせて、ドアを押し開く。

「……!」

 開けた視界の、エントランスホールの階段の横。そこに佐藤が立っていた。脳裏に焼き付く光景とは違う展開に、肩から力がすっと抜ける。

「良かっ」「あら、羽柴君」

 安堵できたのは一瞬だった。

 後ろから響いたのはこの一週間ですっかり聞き慣れちまった声。その声に反応した瞬間、世界がぐるっと回転した。

 浮遊感の後で全身に鈍痛が走る。

 なんだ、何が起こった? 体中が痛え。息ができねえ。

「ぎっ……あ……」

 橘愛莉の後ろ姿が横倒しに見えた。体の右半分が硬く平べったいものに押し付けられている。

 いや違う、床だ。俺が床に倒れてるんだ。

 橘愛莉が佐藤に近付いていく。佐藤が橘愛莉に手を振って、それからぶっ倒れてる俺に気付く。

「にげ……」

 声が出ねえ。佐藤が橘愛莉と何か話して、それから俺を見る。佐藤が橘愛莉に背を向ける。

「……ろ」

 橘愛莉が懐から何かを取り出す。天窓から差し込む光がそれに乱反射する。

 煌めく。橘愛莉の瞳が、髪が、耳元が。

「やめ――」

 それが佐藤に振り下ろされ、

 振り絞った声は佐藤に届かず、

 佐藤が崩れ落ち、

 脳裏に焼き付いた光景が今と重なる。

 今の光景から色が消えていく。

 藍が消える、緑が消える、黄が消える。消えて、消えて消えて消えて。

 残った色が塗り潰した――佐藤と橘愛莉を真っ赤に。

 そして、俺の視界を真っ黒に。

 

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