5. 4+1
完璧なデートなどない……というのがこの俺、羽柴麗央の持論である。
寝坊せずとも電車は遅れ、待ち合わせに間に合っても寝癖は直らず。綿密なデートコース、万全のシチュエーションにも突如として風雨が襲う。ましてやこのご時世、
「快晴だね!」
……ましてやこのご時世、
「風も気持ちいいわ。これほど過ごしやすい日は久しぶりじゃないかしら」
ご時世もへったくれもなく、待ち合わせは三人ぴったりで俺の寝癖は一本も無い。こんなスタート認められねえ。今からでも髪を逆立てちまうか。
「羽柴くんも……ってまた自分の世界に入ってるし。ほらほら行くよ」
「あ、すまん」
佐藤にちょこんと裾を掴まれて我に返る。捻くれたところでどうにもならないし、誘ってくれた佐藤や橘愛莉にも悪い。別に緊張してるわけじゃないぞ。それより早く裾から指を離してほしい。普段と違う服装だと余計に意識してしまうんだよ。
待ち合わせ場所に到着した俺が目にしたのは、白いワンピースの橘愛莉とカーキブラウスの佐藤が談笑している姿だった。背後にはブランドバッグのショーウィンドウに大きなアパレルの広告。庇に遮られても日光は明るく降り注ぎ、二人を鮮明に彩っていた。このシーンだけ切り取れば仲の良い女子二人がショッピングに来たようにしか見えず、俺のような異物が近付くのは億劫になるほどだった。
「お前ら、そのイヤリングって」
「お~ちゃんと気付いた。どう? 似合ってるでしょ?」
そう言って髪をかきあげた佐藤の左耳には例のイヤリングが光っていた。そして橘愛莉の右耳にも同じものが見える。
「悪くないんじゃねえの、たぶん」
「相変わらず素直じゃないなあ」
「薫がお揃いにしようって貸してくれたのよ。私も片耳だけ付けるのは初めて」
「そもそも高校生でイヤリングを付ける方が珍しいだろ。つーか、橘さんが右なんだな」
「ふふっ、薫が私を暴漢から守ってくれるの」
「そうそう! 愛莉ちゃんに手を出す羽柴くんはあたしが成敗しちゃうからね!」
「俺が暴漢かよ……」
佐藤の冗談はさておき、暴漢が現れたら二人を守るのは俺の役目だ。痛いのは嫌だし土下座でなんとかやり過ごすのが現実的だな。もうすっかり思考が土下座に染まっちまってるよ。
「んじゃレッツゴー!」
「ほらもう走らないの薫」
元気に出発した佐藤の隣に橘愛莉が並び、その三歩後ろを俺がつく。目的地を知らねえから当然としても、これじゃ暴漢どころか守ってもらう対象だ。
しかし本当に天気が良い。雨ばかりのこの街で、今日みたいに雲一つ無い快晴は久しぶりだった。暑くもなく寒くもなく、爽やかな風が頬を撫で、新緑が青空に映える。まさに五月晴れって感じがする。そんな穏やかな風景に仲睦まじく前を歩く二人を見ていると、首筋がこそばゆくなってきた。落ち着けよ俺、こんなんじゃ本当に暴漢になっちまうぜ。
アーケードを横切り、石畳をコツコツと鳴らして歩くことしばし、着いたのはこの街の名物である丸く白い美術館だった。
「ここで合ってんのか? あっちの建物じゃねえの?」
俺が指差した方向には城の石垣や赤煉瓦の建物が見える。一方でこの美術館は建てられて数年しか経っておらず、歴史があるとは言い難い。
「あれか、今から一秒でも前はすでに歴史って解釈か?」
「そんなわけないじゃん。愛莉ちゃんが来たことないって言うからついでに行こっかーってなったんだよね」
「お城を見るだけじゃ時間も余ると思ったの。部長さんはご不満かしら?」
「いや別に。でも俺、現代アートなんて分からねえぞ」
館内はガラス張りで、一部の作品が通路から見えるようになっている。そこに展示されているのはグニャグニャでカクカクで、ポツポツしたピラピラな何かだった。自分のオノマトペの使い方が下手すぎてクラクラしてくる。
「分からなくてもいいと思うわ。昔の宗教画や人物画のように決められたコンテキストが存在するわけじゃないから。もちろん作者が伝えたいことはあるけれど」
「私はとりあえず並んだ椅子とプールと、あと天井が開いてるとこも行きたいなー」
「全部映えスポットじゃねえか。ちゃんと作品を見ろ作品を」
「あら、映えることが芸術の新しい価値だって意見もあるのよ。写真を撮られてSNSで拡散されるまでの過程を作品にした人もいるわ」
橘愛莉の蘊蓄を聞きながらチケットを購入し、展示室に入ると、中にはたくさんの人の姿があった。俺達のような若い奴らや子ども連れに老夫婦。白い壁や床に展示された作品とにらめっこしたり連れ合いと話したり、鑑賞のスタイルは十人十色だ。
「結構賑やかなんだな。俺がガキの頃に行ってたとこはもっと静かだったぞ」
「それは美術館によるわ。貴方が行ったのはおそらく現代より前の、いわゆる教科書に出てくるような作品を取り扱っていたところしょうね」
「あー……言われてみりゃそうだな」
俺達の前を小さな子どもが横切って、その後ろを母親と思しき女性が微笑みながらついていく。逆だな、と心の中で呟く。
「逆にここのような美術館は会話も自由よ。だって……」
そう言って橘愛莉は両手を広げ、
「会話しなきゃ分からないから」
橘愛莉の言うとおり、展示室にあるのは段ボールやら鉄パイプやら、一見して作品だと分からないものばかりだ。天井からは布が垂れているし、隅に置かれた古いテレビからはヘンテコな音楽が鳴り続けている。
「ほえーこんな感じなんだ。なんかすごい」
「珍しく意見が合ったな佐藤。俺もなんかすごいとしか感想が出てこないぜ」
視覚と聴覚が普段と違う形で刺激され、頭の中で未処理の情報がぐるぐる回っている。一人で鑑賞していたらすぐにショートしそうだ。
「二人とも楽しそう」
そんな俺と佐藤を眺めながら橘愛莉は余裕綽々に笑っている。ちくしょう、こんなところで差を見せつけられてたまるか。俺にだってアートの素養ぐらいあるってんだ。
「分かってきたぞ。つまりこの鉄パイプは形而学上の人生観を表しているんだ。くっついたダンボールは愛なんだよ。垂直に交わった人生と愛は現代におけるプラトニックなソーシャル性を表していてだな」
「何言ってるの羽柴くん」
「この作品は材質の違う物体の関係を表現したものって解説に書いているわね」
あるのかよ解説。しかも俺の感想と全然違うじゃねえか。
「大丈夫、解説が全てじゃないわ。作品を見て考えて、自分なりの答えを出したのならそれで良いの。そのために解説を置かない企画展もあるんだから」
「なら羽柴くんのヘンテコな話も間違いんじゃないんだ」
「ちゃんと考えていたらね」
「うぐ……」
佐藤と橘愛莉に傷を抉られ俺のアートの素養はボロボロである。そもそもプラトニックなソーシャル性ってなんだよ。プラトンがいいねを付けるってことか?
「そう言えば愛莉ちゃんは絵もすっごい上手なんだよね。見たよ~賞状もらってるとこ」
「私の絵はセオリーどおりに描いただけだから」と橘愛莉は頭を振った。
「ここに展示されている作品のように自由な発想で創ることはできていないわ。それにセオリーだってまだまだ未熟。守破離の守の一歩目というところよ」
「そうかなあ。愛莉ちゃんは芸術家になったりしないの?」
「選択肢はあるかもしれないわね。けど、私がどんな道に進むのか私自身もまだ分かっていないの」
橘愛莉は歪んだ大きな鉄板の前に立った。鏡面仕上げの鉄板にはパースの崩れた俺達三人が映っている。俺の位置からは橘愛莉の顔だけが見えなかった。
「あたしも何になりたいのか分かんないや。生き物が好きだからって軽い気持ちで理系選んじゃってるし」
「理由があるならいいだろ。俺なんてコイントスで理系に決めたぞ」
「……」
「おい、笑ってくれよ。そんな目で見られると逆に悲しくなっちゃうだろ」
「そうね、確率論を用いた芸術的な発想だと思うわ」
「芸術的って言いたいだけだろそれ……」
冗談はさておき――コイントスで理系にしたのは本当だ――女子二人と回る美術館はなかなか面白かった。思ったままを口にする佐藤と知識を放り込んでくる橘愛莉はまさに右脳と左脳のようで、後ろをついて回るだけでも想像力を刺激された。そこまで大きくない施設なのに、ぐるっと巡って入口に戻ってくる頃には二時間近く経過していた。
「ふんふんふーん♪」
「佐藤はえらくご機嫌だな」
「そりゃそうだよ~。お土産買ったし写真もいっぱい撮れたし」
「思ったより空いてて良かったわ。連休中は人が多過ぎて入れなかったと聞いたから」
確かに展示室もその後に行ったプールや並んだ椅子も、観光客が数組ほど撮影していたぐらいだった。佐藤に至ってはカップルに撮り合いを申し出ていて、もちろんカップルは快諾し、橘愛莉は慣れた手つきでツーショットを撮影していた。
撮られる側に交代すると、遠巻きで眺めていた俺を佐藤が手招きしてきた。まさか一緒の画角に収まると思わなかったので、どんな顔をすればいいのか分からなかったのは秘密だ。写りが悪かったら橘愛莉のせいにしよう。
***
美術館を出た俺達は、路地裏で見つけた渋いマスターと猫のいるカフェで次の目的地を決めることにした。
「意外だな。橘さんならスケジュールをガチガチに組んでるもんかと」
「そう? 私もポイントだけ抑えたらあとは好きに動くわよ」
「仲間!」
橘愛莉と佐藤を一緒くたにするのは怪しい。前者は遊びを残しているだけで、遊びっぱなしの後者とは違う気がする。
まあ、どっちでもいいか。二人とも俺よりしっかりしてるし。むしろもっと頑張れよ俺。
「こことかどうかな? 愛莉ちゃんも好きそう」
「あら、面白そうなお店ね。だったらこの道から行けば近くに……」
さっそく佐藤がスマホを操作しながら目的地を橘愛莉と選び始めた。二人のことだから小洒落た場所をピックアップしているのは明白で、つまり俺の出る幕は無い。俺ならゲーセンやファミレスぐらいしか思い浮かばないからな。
女子二人がキャッキャウフフしている間、苦みの軽いコーヒーを飲みながらぼけーっと店内を眺めていると、不意に出窓の下でくつろぐ猫と目が合った。綺麗な白黒の毛並みにパッチリした両目は気品を感じるのに、なぜか纏っている雰囲気は頼りなく、無性に頑張れよと声を掛けたくなってくる。
しばらくして猫はトトトっと二階に逃げてしまった。初対面で見つめすぎたのが悪かったのか、仕方なく部員二人に視線を戻す。
動物に例えれば橘愛莉は馬か。認めたくないがサラブレッドって単語がお似合いだ。佐藤は猫だな。ゆるふわなところが自由気ままなお猫様っぽい。そんで俺は……躾のなってない野良犬か?
しばらくして二人が選んだのはアンティークを扱う雑貨店だった。場所はカフェの近く、小さなテナントが集積する袋小路。佐藤は「歴史的な逸品があるかも!」とはしゃいでいたが、写真を見る限り骨董屋には思えなかった。
カフェを御暇してトコトコと歩けば袋小路はすぐだった。
どのテナントが目的の雑貨店なのか分かった。外観から欧風然とした雰囲気が漂っていたからだ。中に入ってみれば尚のこと、まるでファンタジーに出てくる商店のように照明から陳列された商品に至るまで独特の趣があった。
「ほわぁ……」
佐藤が感動するのも分かる。普段は店の内装なんて気にしない俺ですら驚いているぐらいだ。こりゃ確かに写真を撮って見せびらかしたくもなるぜ。
「こんなに凝ったお店は海外でもそうそう無いわね。むしろ本物より本物らしいと言えるぐらい」
「本物ってのはヨーロッパのことか。日本でも外国人のイメージする日本っぽい建物とか全然無いしな」
「完璧になりきればそこには本物の雰囲気が生まれるものよ。羽柴君だってここが日本とは思えないでしょう?」
「まあ、そうだな」
ショーウィンドウから見える他のテナントや雑多な看板は間違い無く日本なのに、店内には日本語がほとんど見当たらない。商品には値札だけが付けられ、その商品名もセールスポイントも分からない。それでも手に取ってみれば自然とその商品の在り様が伝わってくる。
ほわほわしている佐藤と橘愛莉が一緒に物色を始めたので、俺もふらふらと店内を見て回ることにした。壁の位置からして床面積はそれほど広くない。だが、陳列棚やテーブルが入り組んでいるせいか足を向ける先は多い。
それに視線を移動させるたびにジャンルの違う商品が登場して面白い。小瓶の隣には貝殻が、ランプの下には木べらが、皿の上には機関車の模型が、コサージュの裏には何故か舵輪が。普段目にしない物がここには溢れている。
数々の発見に俺までほわほわしながら、カチコチと小気味のいい音に引き寄せられて棚の陰から顔を出すと、
「おん?」
「あ……」
そこにいたのは沢山の時計に囲まれた平田だった。
平田は制服姿とは違い、白のオーバーサイズシャツに軽めのループタイがアクセントを効かせた爽やかな格好をしていた。元々の童顔と相まってますます女にモテそうだ。
「き、奇遇だね。装備品の調達? それとも記憶の残滓を探しに来たとか……?」
ただし、この言動が無ければだが。
「佐藤と橘さんに付いてきたんだよ。お前の方こそデートはどうした?」
「えっと、アルミリアならステラの髪飾りを探してる。僕はここで……クロノスとの対話を試みていたんだ。ハシバとまたオルテラに行くために」
星の髪飾りと時間の神は分かるがアルミリアって誰だ。まさか平田の彼女はオルテラから来たのか? そんなことしたら禁忌を犯した罪で神教会の騎士共と戦うことに……。
「……っあー、違うちがう」
平田の空想が伝播してついに俺まで新しい単語を生み出しちまった。
「あの二人も呼んでくるか?」
俺が棚の隙間から見える佐藤と橘愛莉の後ろ姿を指差すと、平田は首を横に振った。
「まだちょっと二人とプライベートで話すのは無理かも……。そ、それにほら、ハシバのデートを邪魔したら悪いし」
「デートじゃねえし、あいつら相手だったらそう身構えなくてもいいと思うけどな」
「そうだね……たぶん僕の方が慣れていないんだ。この世界でアルミリアとハシバ以外に僕を理解してくれた人はいなかったから」
「俺も理解してるかは微妙なんだが……」
頭を掻きながら逸らした視線の先に、逆さになった掛け時計がある。カチコチ、ぐるぐる、時計の針が巻き戻る。
あれは去年の春、清掃委員会の初顔合わせの日のことだ。
くじ引きで負けた俺が委員会室のドアを開けると、そこには一年から三年の委員が勢揃いしていた。初日から時間を間違えたのである。
壁際や後ろの席は当然埋まっていて、迎えてくれる友達がいるわけもなく、俺は奇異の目を向けられながら真ん中のぽっかり空いた席に座ることになった。その隣でポツンと一人俯いていたのが平田だった。
平田が俺と同じ学年だってのは靴の色を見てすぐに分かった。クラスで押し付けられたことも、委員に知り合いがいないってこともなんとなく察しがついた。
清掃委員の活動がペア制だったのは巡り合わせってやつなんだろうな。俺と組もうぜ、と話しかけた時の平田は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。
平田も最初から俺を勇者と見做していたわけじゃない。活動が始まってしばらくはライオンに睨まれたウサギみたいにびくびくし、俺が話しかけても小さな声で返事をするぐらいだった。それが夏休みの終わる頃には声のトーンが変わったり顔を上げるようになったりして、気付いたら俺は勇者と呼ばれていた。ゲームやラノベの話題が多かったから影響されたんだと勝手に想像している。本人から無理に聞き出すことでもないし、橘愛莉の持論を聞いた今は特にそうだ。あの女に影響されたのはちょっと癪だが。
俺達はオルテラって世界で仲間だった。でも俺はそれを覚えていない。同じ部活に所属する今は……多少は仲間に近付いたのかね。
ボーンと一つ鈍い音が鳴って、時計の針が元に戻った。
「そ、それにしても橘さんはよく部員になってくれたね。彼女、とんでもない人って噂だったし……」
「噂、ね。実際に話してみてどうだった?」
「圧倒されたよ」と平田は少しだけ目を輝かせた。
「この感覚は……その、大聖堂で銀騎士と対峙した時に似てるかな。寸分の隙も無い、まさに完璧な存在だよ」
いるのかよ騎士。どうやってそんな強敵に勝ったんだよ俺達。
「完璧か」
「そうだね……。だからハシバも気を付けて」
平田は文字盤の上に置かれた空の金魚鉢を眺めた。
「欠点があるから人は安心できるんだ。完璧な人間なんて……近付くだけでも絶望するかもしれない。もしかしたら命を絶つことだってあるかも……」
光が強いほど生まれる影も際立つ。自分の中で折り合いをつけた欠点ならまだしも、新しく突きつけられることもあるのだ。これが貴方の知らなかった欠点よ、と。
しかもそいつは悪意なんて無いから質が悪い。悪人に仕立て上げて攻撃するのはいつだって完璧じゃない人間の方だ。俺は攻撃してないからセーフだな。
「忠告ありがとよ。肝に銘じておくぜ」
「ゆ、勇者なら大丈夫だよ。あの銀騎士にだって――」
平田が言いかけたところでコンコンと床を叩く音が聞こえた。
振り返ると、そこにはふんわりパーマの勝ち気そうな美女が立っていた。身長は俺より少し低く、平田と並べばちょうど同じぐらいだ。
「あ、ご、ごめん。戻ってきたみたい……」
俺を一瞥したその美女は平田の腕を掴んで雑貨店の出口に引きずっていってしまった。
残された俺は軽く息をついて逆さ時計をもう一度見上げた。
「対比ね……」
一人になった俺の呟きは、すぐにいくつもの時計の音にかき消されてしまう。
***
「さっきのは平田君?」
平田と別れた後でしばらくぼーっと時計を眺めていると、橘愛莉から声を掛けられた。
「気付いてたのか」
「貴方に手を振っている姿が見えたから。彼女さんと一緒だったみたいね」
「なんかカッコいい感じの子だったね~」と佐藤もぴょこぴょことやって来た。
「学校だと見たこと無いし他校の子かなあ」
「同じ学校なら歴研に誘ったのだけれど、残念ね」
「部室でイチャイチャされても困るんだが。つーか佐藤、その置き物はなんだ」
「これ? 可愛いから買おっかなって。ほらほら良いでしょ~」
佐藤は手にしていた犬の置き物を俺に見せびらかすと、そのままカウンターに持って行った。橘愛莉はハーバリウムを買っていて、俺も銀のカップを土産にした。少し値段は張ったが内装の鑑賞料みたいなもんだ。
雑貨店を出た俺達はようやく城址公園に向かうことにした。
美術館、カフェ、雑貨店と行脚して満足気味だった俺と違い、女子二人はまだまだ元気いっぱいだった。軽快な足取りで路地を抜けて大通りを突っ切れば、目的地の城址公園には十五分程度で到着した。
さらにそこから橘愛莉によるガイドが始まり、庭園やら城門やら石垣やらを散策すること一時間。俺の足は棒になり、公園内の街灯にはぽつぽつと明かりが点いていく。明度を落とした青空に橙色が混じって黄昏を演出する。
「そろそろライトアップが始まる頃ね」
「だねー」
散りかけた藤の花を見る橘愛莉と佐藤の言うとおり、夕闇に溶けようとしていた城趾がぱっと光に照らされた。赤、緑、青。様々な色に染まる漆喰や庭木は幻想的で、昼間とはまた違った顔を見せてくれる。
「昔の殿様もまさか自分の家がライトアップされるなんて思わなかっただろうな」
「住む人がいなくなった今だからできることだねえ。でも昔もこんな風に楽しんでたと思うよ。ホタルとか灯籠とかさ」
「いつの時代も闇夜の光は人を惹きつけるものよ。このお城が建てられた時代は意味合いも違ったと思うけれど」
暗がりに光が瞬けばそこには何かがいるということ。血で血を洗う戦国時代なら、それは敵を警戒するには十分な情報になる。夜に輝く城なんて当時の人間からすればさぞ酔狂な代物に見えるだろうな。
「愛莉ちゃんちもこんな感じなの?」
「私の家はガーデンライトがあるだけね。たまにテラスでナイトパーティをやるから、薫もよかったらいらっしゃい」
「な、ないとぱーてぃ……?」
お前もパーティやるのかよ。乱痴気騒ぎってことは無いだろうが、この一週間パーティの話ばかりだったせいで佐藤まで困惑してるぞ。
「羽柴君もどうかしら?」
「遠慮しとく。場違いすぎて泣いちまいそうだ」
それに俺のような奴が敷居を跨いでみろ、精悍な執事やメイドが付け狙ってきて一歩間違えば殺処分まであり得る。メイドとか絶対「お嬢様に纏わりつくゴミめ」とか言ってくるだろ。そしてそのメイドとお嬢様との間には秘密の関係が……くそ、何を変な妄想しているんだ俺は。
畢竟、そんな話をしていれば現実にも影響するもの。
この幻想的な雰囲気をぶち壊すように、遠くからぎゃあぎゃあ騒ぐ声が聞こえてきた。その声は次第に大きくなっていき、光がゆらゆら揺らめいて、
「あーっ!! やっぱり愛莉ちゃんじゃん!!」
お嬢様に纏わりついていたゴミこと〝王子〟が暗がりから姿を現した。
「こんばんは皆本君。こんなところで出会うなんて奇遇ね」
「いやマジ運命っしょ!! ってか薫ちゃんとレオも!? なになに!? え、マジで!?」
チャラチャラが服を着たような態度で〝王子〟は俺達三人を舐め回すように観察してきた。無駄に声がでかいし首が鶏みたいに動くしで気持ち悪い。カツラでも被ってんのか坊主からロン毛に変わってんのも気色悪い。あとなんで俺まで名前で呼ぶんだよ。
「もしかして!? もしかしちゃう感じ!?」
「うっせえ、普通に部活だ」
「うえぇ~い部活ぅ~」
「真面目に話せよぶっ飛ばすぞ」
「キッチィ~。レオキッチィ~!」
ダメだ会話にならねえ。
「〝王子〟は楽しそうだねえ。もしかしてデートかな?」
佐藤の視線の先、気色悪いアホの後ろには女が二人。
どちらも初めて見る顔だ。前に〝王子〟と橘愛莉に引っ付いていた奴らじゃない。髪の色や服装からして頭のゆるそうなギャル。なるほど、つまりそういうことか。
「いや~やっぱデートに見えちゃう!? オレっちモテモテだもんね~」とクネクネしながら〝王子〟がヘラヘラ笑う。
「んでも今日は違うよん♪ オレっちはただの付き添いだべ。レオと仲間じゃんね。あ、仲間って響きポイント高けぇ~!!」
「へ、へえー……」
佐藤が珍しくドン引きしている。俺が勝手に仲間にされたことはもういいや。話すだけ無駄だ。
そんな偏差値フリーフォールの〝王子〟に呆れていると、当の本人は突然くるっと連れの女二人に向き直って、
「ごめんち~ちょと向こうで待っててくんない? オレっちレオとメンズトークしたいんだよね~」
と頼み込んだものだから、意表を突かれた俺は「ど、どうも~」と変な声で挨拶してしまった。当然この場にいる女性陣からは変な目で見られる。〝王子〟はヘラヘラ笑っている。背中にはタラタラ冷や汗が垂れる。なんで俺、こんな居た堪れない気持ちになってるんだろう……。
それでも〝王子〟の連れ合いは空気を読んで離れてくれて、俺達は牡丹を照らすフットライトの中で話すことになった。
「もういいだろ。そろそろその気色悪い演技をやめろよ」
「おっ言うね~レオ。でもちょっち薫ちゃんたちには」「二人にもお前のことは伝えてある」
被せて放った俺の一言に〝王子〟は目を瞑り、そのまま「はぁ~」と夜空を仰いだかと思えば、
「……手間が省けて助かる。ならばお言葉に甘えよう」
図書室で話した時と同じ口調に、いや同じ姿に変わった。
その豹変ぶりは仮面を脱いだみたいで、驚きを通り越して不気味ですらあった。
「いきなり素に戻るんじゃねえ。普通に学校でやってる〝王子〟でいいだろ」
「レオが演技をやめろと命じたんだ。オレはそれに従ったまでのこと」
「お前なぁ……」
演技をやめても変わらない話し辛さに頭を掻くと、女子二人が視界に入った。橘愛莉はいつもと同じ澄まし顔で、佐藤はぽかんと〝王子〟を見ている。
「あー、つまりこれが〝王子〟の素の姿だ。つっても外見は変わらねえが。髪がカツラになったぐらいか?」
「え、すご。これ本当に〝王子〟?」
「ようやくちゃんと皆本君と話せるわね。貴方に期待することは無いから安心して」
「橘さんには全部お見通しというわけか。敵わないな」
「そもそもお前、用事があるのはこの二人の方だろ。俺をダシに使うんじゃねえよ」
肩を竦めた〝王子〟いや皆本は「そうだな」と背筋を伸ばして、
「佐藤さんと橘さん、迷惑をかけて済まなかった。まさか部活交流会があそこまで大きくなるとは思わなかったんだ」
と深々と頭を下げた。
「私は気にしていないわ。自分の持つ影響力を過小評価したことは改善する必要があると思うけれど」
「あたしも別にいいよ~。それよか周りにいた人らが変なことしてないか調べた方がいいかも。色々とイヤな噂も聞こえたからねえ」
大人の対応を見せた橘愛莉と佐藤に皆本は「ありがとう」と再度頭を下げた。
これで乱痴気騒ぎの一件はお終い。そのままフェードアウトするか、また一から関係を築くのかは本人たち次第……そう思っていたんだが。
「ちょっと提案してもいいかしら」
橘愛莉が、まるでスポットライト浴びるように揺れる光に照らされた。
「皆本君を歴研に誘うというのはどう?」
「はぁ?」「おおー」
俺と佐藤の反応は真逆だった。
「誘うって、入部させるってことか? こんな奴を入れても絶対ろくなことにならねえだろ。部室でパーティ始めるのがオチだぞ」
「そうかなあ。あたしは今の〝王子〟だったら入れてもいいと思うよ。ちょっとおじさんっぽくて面白いし」
「お、おじさんだと……?」
「ハッ、良かったな皆本。期待されてるんだし次からは〝おじさん〟として振る舞えよ」
「薫の評価はともかく、皆本君は根は悪い子じゃないのよ。ただ周囲の期待に応えようと精一杯なだけ。歴研にいれば今回のような事にはならないし、私がさせないわ」
「俺も悪人だとは思ってねえけどよ。うちは更生施設じゃねえんだぞ」
「でも羽柴くんだって部員のアテは無いじゃん」
「それは……」
「それは?」
「…………平田にもちゃんと説明しろよ」
「ふふっ、ありがとう部長さん。皆本君はどうかしら? 貴方にとっても悪い話では無いと思うのだけれど」
「無論引き受けるとも」と皆本は快諾し、すぐに頭を振った。
「いや、言い方を変えよう。オレを歴史研究会に入れて欲しい」
皆本のキリッとした目がオレを見る。今までの演技ぶったものとは違う本物の目だ。どいつもこいつも独特の目力を持ちやがって。向けられる身にもなれっての。
「分かったよ。ただしパーティは禁止だからな」
「やったー!」
喜んだのは佐藤の方だった。ぴょんぴょん飛んで橘愛莉とタッチして、見ている皆本まで照れくさそうにしている。
「活動は放課後に部室棟でやってる。部員はもう一人、平田って奴がいるんだが、そいつとは月曜日に顔合わせだな」
「承知した。部長はレオか」
「あ? 入って早々部長批判かよ」
「いいや」と皆本は清々しい顔で笑った。「こんな面子を纏めるなんてさすがだと思っただけだ」
皮肉なのか褒めてるのか、素に戻ってもよく分からん奴だ。
***
ひとしきり喜んだ佐藤がメッセージアプリのトークルームに皆本を誘おうとしたところで、後ろから「リヒトまだー?」と声が聞こえてきて、当の本人はクネクネしながら戻っていった。
「皆本君が入ってくれて良かったわね」
紅の光に彩られた庭木を眺めながら橘愛莉が呟く。
俺は今、橘愛莉と二人でいる。皆本が消えて佐藤がお花を摘みに行ったからだ。
「あそこまでキャラを演じられるのはすげえよ。普通に考えて無理があるだろ」
「生来的なもの、子どもの頃からの刷り込みでしょうね。彼にとってあれが普通なのだと思うわ」
「だとしてもデメリットの方が多くねえか。この歳まで生きてりゃおかしいって気付きそうなもんだけどな」
「気付いているのよ、きっと。むしろ好意的に捉えているのかもしれないわ。彼の周りにいる人間だけが観客とは限らないから」
「自分のために演じてるってことか?」
「そういうこと」
「ハッ、そんなもんただのナルシストじゃねえか。同情しなきゃよかったぜ」
「誰かを演じなきゃいけないことなんて誰にでもあるのよ。もちろん、私にも」
「んなこと……」
橘愛莉は紅光に照らされながら困ったように笑っていた。それはこの一週間で見てきた怜悧で自信に満ちた表情とはまるで違うものだった。
「頭が良くて、スポーツも芸術も才能があって、欠点なんてどこにも無い完璧な人間。それが周囲から見た私の姿。私はそれを演じているだけ」
「おいおい、その理由が周りの期待に応えるためとか言うんじゃねえだろうな。それだと皆本と同じだぞ」
「案外、そちらの方が理に適っているかもしれないわ。私は……できるからそうしているの。そこに特別な理由は持ち合わせていない」
単純で強力で、虚しい理由だった。まるで関数のように周囲からインプットされた期待をそのまま結果で返す。それは俺が抱いてきた橘愛莉のイメージとは真逆に思える。
「私に対する周囲のイメージも勝手に膨らんでいるわ。いずれ私は空も飛べると言われるでしょうね」
極端だとは思えなかった。橘愛莉の顔を見て分かっちまったからだ。『いずれ』どころか『既に』だってことを。
「……俺みたいな人間からしたら救われるけどな」
代わりに返した言葉は、今までの俺なら絶対に口にしなかったものだった。
「救われる?」
「あー……羨ましいってことだ。橘さんのステータスって日本中探しても滅多にいないレベルだからな、実際」
「私のような経歴なんて探せばいくらでもいるわ」と橘愛莉は頭を振った。
「橘という肩書きだってそう。五摂家のような連綿と続いていた家系ならともかく、私の家は細々と残っていた傍流で、たまたま大人の事情で復姓することになっただけ。それに家を継ぐのも兄であって私じゃない」
「兄貴ってのも大変なんだぜ。弟や妹が優秀だと尚更な」
「比べる必要なんて無いのよ。ご両親が健在なのだし、貴方が願えば幸せになれる道はいくらでもある」
光を集めた橘愛莉の目が問いかけるように俺を見つめてくる。さらさらと夜風に流れた髪に、佐藤と分け合ったイヤリングが煌めいている。
「それとも、貴方の願いは他にあるのかしら?」
「いや……」
「羽柴くんの望みはお金持ちになることだよね~」
言葉に詰まった俺を助けてくれたのは戻ってきた佐藤だった。
「……んなことよく覚えてたな」
「あれだけ元気に叫べばねえ。おれをかねもちにしてくれーって」
「叶うと良いわね、お金持ち」
佐藤の雑なモノマネで橘愛莉に笑顔が戻る。
「二人で何を話してたの? あ、もしかして羽柴くんが告ってきたとか!?」
「それは無い」「それは無いわね」
俺と橘愛莉が同じ反応すると、佐藤も「あら~」と残念がりつつ笑っていた。
「もう少しで閉まっちゃうし、軽く周って帰ろっか。愛莉ちゃんも時間は大丈夫?」
「ええ。もう少しぐらいなら」
「おっけー!」
光に彩られた城址公園を佐藤と橘愛莉が写真を撮りながら巡る。
二人はまるで仲の良い姉妹のようで、そこには完璧を演じない、素の姿の橘愛莉が垣間見える気がした。
***
「それじゃあ、また明日」
「ばいばーい」
「おー」
橘愛莉の乗った白い車が去っていく。俺と佐藤は手を振ってそれを眺める。デートも気付けばお開きの時間になっていた。
車が交差点の先に消えると、佐藤がほわっと一つ息を吐いた。
「楽しかったねえ」
身長差のせいか少しだけ上目遣いに聞いてくる佐藤。街灯の橙色に照らされた顔は、遊び回った疲れを微塵も感じさせない。
「まあ、悪くはなかった」
「羽柴くんがそう言ってくれるのは嬉しいなあ」
「なんでそんなしみじみしてんだ」
「べつに~?」
佐藤はニヤニヤしながらトコトコと前を歩いていく。足取りは軽くステップを踏み、その先には浅い川に掛かる橋がある。
やりづれえ。けど、嫌な気はしねえ。
「それじゃ、あたしもこの辺で!」
橋を半分ほど渡ると前を歩いていた佐藤がくるっと振り向いた。
「家まで送るぞ」
「んー、ここまで来たら大丈夫かな。心配してくれるんだ?」
「まあ、一応」
大丈夫と言われれば引き下がるしかない。幸いまだ日が落ちてから時間も経っていないし、素直にここで解散が無難だ。俺もどっかのファミレスで暇を潰すか。
「また明日ねー」
笑顔で手を振りながら佐藤は橋の先へと行ってしまった。
その後ろ姿に「またなー」と呟いても、聞こえてくるのは川のせせらぎだけだ。祭りの後のような寂しさとそれ以上の満足感。佐藤の言うとおり、今日は楽しかった。
「……ははっ」
口から勝手に笑い声が漏れた。胸の鼓動が規則正しく大きくなって、体がじんわりと熱を帯びてくる。
この感覚は分かるぞ。期待ってやつだ。何か新しいことが始まりそうな新鮮な期待。
橘愛莉、佐藤、平田、皆本。
橘、藤、平、
ただの偶然、ただの語呂合わせ。それでも巡り合う理由としては十分だ。
そしてその末席に俺も加えてもらえたら。この五人で甘酸っぱい青春を謳歌できるとしたら。部室で駄弁って、一緒に勉強して、休日は遊びに行って。海、夏祭り、文化祭、修学旅行、クリスマス。もしかして最後には……。
「うわ、何考えてんだ俺」
ちょっと妄想しすぎた。マズいマズい、平常心を保たねえと。こんなことを考えるのも橘愛莉のせいだ。橘愛莉のせいで平田や皆本が入部することになって、橘愛莉のせいで歴研の存続も決まって、橘愛莉のせいで佐藤も楽しそうで。あれもこれも橘愛莉のせいで、橘愛莉の……橘のおかげで。
おのれ橘、こんなにも俺の脳内を支配するとは。ま、まあ少しは認めてやらないこともないぜ。完璧な人間ってのも大変らしいからな。
仕方ねえ、俺も明日から本気を出すか。手始めに完璧な部長ってやつを見せつけてやろう。楽しみにしておけよ、ふははははは!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます