4. 王子の様々

「それは恋だろう」

 あけすけに〝王子〟こと皆本典人みなもとのりひとは言い放つ。相手はもちろんこの俺、羽柴麗央だ。

 場所は学校の図書室、歴史の棚の前。奥まった一角には電灯もあまり届かず、俺達以外に人の気配は全く無い。

 書架に影を落とすのはむさ苦しい男二人。片方はすらっとした長身の坊主で、ご自慢の癖っ毛が消えてもそのあだ名に恥じないシルエットを映す。そいつと比べればもう片方は寸胴に見えちまうから対比ってのは怖い。そして言わずもがな、前者が〝王子〟で後者が俺だ。

 なんで〝王子〟と話しているのか、正直なところさっぱりだ。昨日の部活で橘愛莉と平田に活動紹介をした際、俺自身が語れるほど歴史に詳しくないってことに気付き、だったら少しは調べてみるかと昼休みに図書室にやってきて、適当な伝記を手に取ったところで「君、ちょっと」と話しかけてくる声。その主がいま俺の隣にいる〝王子〟だった。

 当然だが俺は〝王子〟と面識なんて無かったが、奴さんの方は違うらしい。振り向いた俺を見てすぐに「羽柴君」と名前を呼んだからだ。

 訝しむ俺に〝王子〟が続けた一言は「橘さんとうまくやっているか」だった。これで俺と〝王子〟に接点ができ、そのまま図書室の片隅で男二人の密会が始まった。

 意外なことに〝王子〟は話してみると全く王子然としていなかった。見てくれは確かに中性的な優男なのだが、その口調は堅苦しく、言葉の端々にどこか厭世的な響きを感じさせる。まるで王子じゃなくて没落貴族だった。

 淡々と〝王子〟は語り始めた。曰く、橘さんには悪かったと思っている、パーティに誘ったのはオレの連れ合いだ、噂が流れるのは止められなかった、学校に圧力をかけてくれて助かった、これで変な真似はできなくなるだろう、羽柴君から橘さんに感謝を伝えてほしい。

 流れる水のように話した〝王子〟が頭を下げるのを見ながら、俺の脳内に浮かんだ感想は一つだけ――何言ってんだコイツ。

 理解したくもないが、言わんとすることを整理すると、つまり〝王子〟ってのは周りが勝手に囃し立ててただけってことだ。それにしちゃ自分で浮き名を流す噂もあったりするんだが、本人の答えは「期待に応えるため」だった。〝王子〟として振る舞えと周囲が迫り、断りきれずに自分を偽る。貴族どころか道化の類。

 そんな奴に佐藤や橘愛莉は目を付けられたのかと思うと喉が唐突にぐぐっと強張った。昨日も味わったこの感覚をもどかしく思う俺に〝王子〟が放ったのが最初の言葉である。

「なんだって?」

「それは恋だろうと言ったんだ。そんな表情をする人間をいくらでも見てきたから」

「勝手に人の表情を読むんじゃねえよ。これが恋? 違うに決まってんだろ」

「それは済まない。分かりやすく顔に書いてあったから、つい言ってしまった」

「残念だがそりゃ読み違いだ。お前らみたいなよく分からん人間に指摘されなくても、俺は自分のことをよく分かってる」

「よく分からん人間か」と〝王子〟は鼻を鳴らした。「確かに羽柴君からはそう見えるだろうな。意外だったろう?」

「もっとチャラチャラした奴ってイメージだったぞ。つーか髪はどうしたんだよ?」

「これは謹慎の代わりに剃ったんだ。でも今だってチャラチャラした雰囲気は作れる。こんな風に」

 口にするや否や〝王子〟は表情と姿勢をだらっと崩した。それはいま俺が相対していた〝王子〟とも、これまでイメージしてた〝王子〟とも違う、女遊びしか考えていない、ぶっちゃけ言えば偏差値の低そうなチャラ男の雰囲気だった。

 俺が驚いているうちに〝王子〟は元の姿に戻って続けた。

「雰囲気を細工するのは難しくない。羽柴君だって人によって態度を変えることはあるはずだ」

「お前みたいに急変したりしねえよ。大体それじゃ態度を変えてるより演じてるって言った方が正しいぞ」

「言い得て妙。オレにとって期待に応えるとは演じることだ。……しかしそれも今回の一件で解消された」

〝王子〟が遠い目をする。その姿がキザったらしくていちいち腹が立つ。

「橘さんの介入で好き勝手できなくなった以上、オレの周りにいた人間もそのうち離れていくだろう」

「乱痴気騒ぎができなくなったぐらいで友達が離れるかよ。それに学校じゃなくたってそんなもんいくらでも開けるだろ」

「金がかかる。オレは金を持っていない。あいつらは金を出したことがない。そして、あいつらはおそらくオレのことを友達だと思っていない」

「んなもんただのたかりじゃねえか。期待に応えるより先に親の力でなんとかしろよ」

「がっかりさせたくなかったんだ」

「がっかりって、あー……」

 この〝王子〟の人間性がなんとなく分かってきた。いるよな、期待に応える嬉しさより応えられない怖さが原動力になる奴。

「羽柴君にこんな話をしたのもそれが理由だ。橘さんへの伝言もあるが、君は……纏っている雰囲気がオレと似ていた」

「顔の次は雰囲気かよ。俺とお前が似てるとか冗談にもなってないぞ」

 ビジュアルが良くて頭もそこそこ優秀と、橘愛莉ほどではないにせよ〝王子〟も完璧に近いのは間違いない。

 いや間違えた、橘愛莉は完璧じゃない。うっかりトチ狂うところだったぜ。これも全て橘愛莉のせいだ橘愛莉が悪い……よし精神が安定してきたぞ。

「それに謝る相手は他にもいるだろ。お前らのパーティに巻き込まれた人間は無視か?」

「もちろん彼らにも謝らなくてはいけない。……そうか、君の部活には佐藤さんもいるんだったな」

 佐藤の名前を〝王子〟が口にした瞬間、自分でも驚くほど全身の毛が逆立った。

「お前、佐藤に何もしてねえだろうな」

「落ち着いてくれ。彼女は一回参加しただけで、それも挨拶した後はすぐに友達と帰ったんだ。君が懸念するようなことは何も起きちゃいない」

「は? いつ何を俺が懸念した? 答えてみろよタコ野郎」

「そう殺気立たれると参ってしまう。それにあまり大声を出すと図書室から出禁になるかもしれない」

 どっかの誰かみたいに見透かしたような言い方が癪に触る。本当に、本当に。

「言いたいことはそれだけか? 用が済んだならさっさと消えろよ」

「もう大丈夫だ。時間を取らせて悪かった」

〝王子〟はもう一度頭を下げて、それから「羽柴君さえよければ」と続けた。

「また付き合ってくれると嬉しい。自分のことを話したのは君が初めてなんだ」

「嫌に決まってんだろアホ」

「それは残念だ」

〝王子〟の顔は全く残念に見えず、むしろ清々しさすら漂わせて笑っていた。そしてそっちの笑顔の方がモテそうで余計にムカついた。


 ***


「皆本君らしいわね」

 放課後、部室に集まった面々に〝王子〟との一件を話すと、橘愛莉は訳知り顔で頷いた。

「知ってたのか、〝王子〟がああいう奴だって」

「会話や行動の端々からそう感じたの。面と向かって聞いたわけじゃないわ」

「〝王子〟も大変なんだねえ」

 橘愛莉の隣で佐藤がしみじみしている。〝王子〟から事情を聞いた今、佐藤がパーティに参加していたことは気にならなくなった。一人で妄想に悶々としていた俺がアホだったのだ。

「皆本君が遊び慣れた雰囲気だったのも周りの子たちがそうだっただけで、真面目な子に囲まれていれば真面目に振る舞っていたはずよ」

「友達は選べってことか」

「その言い方は好きじゃないけど、彼に限って言えばそうね」

「な、なら次はハシバみたいになる……?」

「平田、そんな恐ろしいことを軽々と口に出すな。俺はあいつと親しくするつもりは無いぞ」

 自分と同じような人間と話すなんて考えただけでもゾッとする。きっと性格のねじ曲がった勘違い野郎だな。

「そもそも素で話しかける相手がちげえ。知り合いでもねえんだから、いつもと同じチャラチャラした感じでいいんだよ」

「じゃあ羽柴くんがチャラ男になるとか」

「薫、怖いこと言わないで」

 キッチィ~。佐藤チャンも橘サンもキッチィ~ッス。俺もヨユーでウェーイ的なノリはイケるんスよ。……駄目だ、自分でやってて気持ち悪くなってきた。

「とにかくだ、〝王子〟も反省してるってことは伝えておくぜ」

「はいは~い」

「私も別に怒っていないわ」

 二人とも本当に気にしていない様子で恐れ入る。俺だったら謝罪に加えて卒業まで毎日コーヒーでも買わせるのにな。一本百円だとして一年で二万円ぐらいか。俺の受けた精神的苦痛を考えれば安いもんだ。

「あら、貴方が苦痛を感じたの?」

「人の思考を勝手に読むんじゃねえ」

「おもいっきり声に出てたけどねー」

「そっ、そんなら早く言えよ! なんか恥ずかしくなっちゃうだろ!」

「えっと、ハシバの思考は僕とリンクしてるから……大丈夫」

「それはそれで怖いんだが……」

 昨日の橘愛莉の持論を信じるとしたら、俺の思考は平田に筒抜けということになる。しかし俺が平田の思考を受信している感覚は無い。つまり俺と平田の思考はリンクしていない! いや俺から平田に一方通行なだけって可能性もあるか。

「んで佐藤、それはなんだ」

 俺は話題を変えるべく佐藤の前に置かれているものを指差した。

 それは古めかしい正方形の木箱だった。くすんでいるが重厚な造りをして、意匠が施されたその箱は、部室に転がっているガラクタよりも価値がありそうに見える。

「ふふん、家の物置から持ってきたんだよね。愛莉ちゃんと昨日見せ合いっこしようって話したし」

「随分早かったじゃない。私なんてまだ財団に確認してもらっているところなのに」

「そんな大層なもん持ってこられても困るんだが。佐藤だってちゃんと親に許可は取ったのか?」

「んー、たぶん? 小さい頃に叔父さんが持ってけーってくれたやつだから。高かったらくれないじゃん」

「本当に大丈夫かよ……」

「骨董品の価値はその道のプロフェッショナルでなければ分からないわ。薫のご両親さえよければ鑑定に出すことはできるけど」

「そこまではいいかなあ。あたし別にテレビ出たいとかないし」

「テレビ?」

 佐藤の中では鑑定イコールテレビ出演という図式が成り立っているらしい。おそらく鑑定番組とは無縁の橘愛莉は首を傾げていた。

「この箱……」

 そんな二人の会話をよそに木箱をまじまじと見つめているのは平田だ。

「気になることがあるのか?」

「その……星みたいな模様があって。ほら、この辺りとか」

 平田が指し示した箇所には金平糖のような模様がいくつも彫られていた。

「星ぐらい珍しくねえだろ」

「今だったらそうなんだけど……。でも昔は鳥とか花を描くのが一般的で、星は題材にならなかったんだ」

「花鳥風月ってやつか。確かに昔の星の絵ってピンと来ねえな」

「詩歌では題材にされるのだけれど」と橘愛莉も会話に加わる。

「描く対象と考えた時にもっと神秘的なものが空に浮かんでいるから。それに星をそのまま描くよりも、その星にまつわる神仏の方が題材になるわね。だから平田君も不思議に感じたんでしょう?」

「あ……うん。それに宗教画ならともかく……装飾は珍しいなって……」

「んじゃまあ開けてみよっか。そしたら何か分かるかも?」

 しびれを切らしたのか佐藤は手をぱちんと叩き、仰々しく木箱を引き寄せると上蓋を持ち上げた。

 カサッと木の擦れる音とともに顕になったのは茶色の古紙だ。何かを包んでいるようで、佐藤はそれも破かないように開いていった。

 そして、その何かを見つけた佐藤が呟いたのは、

「……イヤリング?」

 首を傾げながら佐藤はテーブルの真ん中に木箱を移動させた。

 覗き込んだ木箱の底には鈍く光る一対の金細工が見える。形状からして佐藤の言うとおりイヤリングで間違いないだろう。先端には青みがかった石が嵌め込まれていた。

「……」

「これって……」

 橘愛莉と平田のインテリ組も驚いている。木箱の装飾と同じ流れだ。

「平田、これも星に関係してるのか?」

「え?」

「さっき星のデザインが珍しいって言ってたからよ。中身のこれも同じなんじゃねえかなって」

「いや……僕はこの耳飾りの年代を考えていたんだ。でもそっか、星の装飾なら……」

「年代だって?」

「日本人が耳飾りを着け始めたのは明治になってから」と、それまでイヤリングを見つめていた橘愛莉が口を開いた。

「耳飾りだけじゃないわ。指輪やネックレスも含めて装身具と呼ばれるものは、全て明治に海外から入ってきた文化なのよ。だからこの耳飾りはそれ以降に作られたものか――」

 橘愛莉はすっと口元に指を当てて、

「――神様への捧げ物か」

 声色は変わらないはずなのに背筋が無性に寒くなる。橘愛莉の背中越しに見えるのは夕暮れの窓に反射した部室の様子。そこにいる自分と目が合って、咄嗟に顔を逸らしてしまった。

「いや~捧げ物は無いと思うよ。叔父さんが神様に怒られちゃうし」

 そんな俺とは反対に佐藤はあっけらかんと答え、橘愛莉もそれを聞いて「そうね」と表情を崩した。

「神様に捧げるのであればもっと丁重に扱われているはずだから、おそらく最近作られたものでしょうね。それこそ薫の叔父さんからのプレゼントかも」

「どうかなあ。叔父さんはお年玉もケチる人だからね」

「お前そんなこと覚えてんのか……」

 佐藤のおかげで部室の空気が和んでいく。ただ、その中で平田は思案げな表情でイヤリングを見ていた。

「まだ何か気になることがあるのか?」

「あ……えっと、大したことじゃないんだけど、さっきハシバが星に関係しているって言ったのが気になってね。その、オルテラでもスキルを付与する耳飾りがあったし……」

「そんな耳飾りは知らねえ。でもアクセサリーに特殊効果があるのは鉄板だよな」

「お願いが叶ったりしてね~」と佐藤が木箱からイヤリングを取り出した。

「ほら、ここに付いてる石が流れ星とか」

「ロマンチックね。ちなみに流れ星にお願いをするのも海外の文化なのよ」

「へー。海外の文化で勝手に願い事される神様も大変だな」

「ちゃんとお賽銭あげないとね。じゃあ、はいどうぞ~」

 そう言って佐藤が俺にイヤリングを差し出してきた。

「え、なんすか」

「お願いごと。するんでしょ?」

「いやしないが」

「なんで?」

「なんでって……むしろ俺の台詞なんだが」

「部長でしょ?」

「部長と願い事に何の関係が……あーくそ、やりゃいいんだろ」

 佐藤との押し問答に根負けした俺は渋々イヤリングを受け取った。

 神社じゃいつも無心で手を合わせるだけだから、いざ願掛けするとなると難しい。家内安全、無病息災、世界平和。どれも別に願ってねえ。苗字に掛けて……いや、それはさすがに恥ずかしいぞ。神様だって呆れちまう。

 佐藤のことだから部員募集か、平田なら俺の記憶云々か? 他人の願いを代弁するってのも変だな。

「俺を」

 橘愛莉に願いなんてあるのか?

 この完璧な……違う、ダメだ、認めねえ。でも――


「俺を金持ちにしてくれーッ!!」


 咄嗟だった。

 しかも勢い余って立ち上がっちまった。挙句の果てに拳まで突き上げる始末だ。

 一、二、三、四、五秒。心の中で時間を数える。当然だが札束は降ってこない。

 六、七、八、九、十秒。いっそこのまま銅像にして欲しいぐらいだ。

「……」「……」「……」

 なんだか視線がうるさい。もしかしてあれか、俺の完璧な願掛けに言葉も出ないってか。がっはっは!

「………………悪い」

 無言に耐えきれなくなって、俺は崩れ落ちるように椅子に座り直した。

「ハシバ……僕の勇者……」

「やめてくれ平田。そんな悲しい目で俺を見るな」

「お金持ちね。それが羽柴君の望みなら私は否定しないわ」

「橘さんよ、その言い方はあまりにも冷たいぞ。俺じゃなかったら死んでるレベルだ」

「もっとお願いしなきゃいけないことあると思うけどなー。部員とかさー」

「違うな佐藤、部員ってのは神頼みで集めるものじゃねえんだよ。もっと劇的にな、友情的なアレが発動して自然に集まるんだよ」

「ふーん」

 三者三様の反応に俺のライフはゴリゴリ削られていく。そもそも流れ星ってのは流れてる間に願うものだろ。落ちた石塊に願っても意味ねえじゃん。

 俺の願掛けは無かったことにされて、その後はアクセサリーの歴史や星に関係する逸話なんかを話すことになった。橘愛莉の博識ぶりはともかく、その知識量についていく平田も賢者を自称するだけのことはあった。二人の会話だけでも十分勉強になるレベルで、俺も佐藤も「ほえー」「はわー」と語彙を失いながら聞き入っていた。

 そして一時間ほど経った頃、話題が俺達の住む街の歴史に及んだところで佐藤が「なら行ってみる?」と言い出した。

「フィールドワークだよ。せっかく部員も増えたんだし」

「いいんじゃない?」と橘愛莉も同調する。「百聞は一見にしかず。部室で議論するのもいいけど、現地の空気に直接触れることも大切よ」

「だよね~。んじゃ今週の日曜はどう?」

「私は大丈夫。ちょうど土曜日に茶事があるから気分転換になるわ」

「俺は暇だからいつでも」

「僕は……ちょっと難しいです……」

 申し訳無さそうに平田は「近くにはいるから顔は出せる……かも」と続けた。

「もしかしてデートと被っちゃった?」

「えっ!? な、なんでそれを……」

「え、ほんとにデートなの?」

 聞かれた平田も聞いた佐藤も目をぱちくりさせている。コントみたいな掛け合いに橘愛莉は「日曜日は平田君の邪魔にならないようにしなきゃね」とクスクス笑っていた。

「い、いや、大丈夫だから……」

「気にすんなって。また暇な時に一緒に行こうぜ」

「ハシバ……!」

「そんなうるうるした目で見るんじゃねえ。こっちが切なくなっちまうだろうが」

「なら三人で行こっか。良かったね羽柴くん、こっちもデートだよ~」

「へいへい、デートデートっと。とりあえず昼過ぎぐらいに集合すっか」

 佐藤のからかいを受け流してスマホで集合場所を探し始めると、メッセージアプリから通知がポコンと届いた。

 それは佐藤からのトークルームへの招待だった。ルーム名は『れきけん』で、メンバーはここにいる四人。顔を上げると佐藤と他の二人もぽちぽちスマホを触っている。

「なんでひらがななんだ?」

「お、招待が届いたんだ。もしかして『羽柴会』が良かった?」

「やめろ、いや本当にやめて」

 自分の名前を冠したルームなんて恥ずかしくてすぐ離脱するに決まってる。そのルームに佐藤や橘愛莉が入っていることが誰かにバレれば、そして学内に拡散されようものなら、俺は学校すら離脱する羽目になるかもしれない。

「ほんとはこっちの方が楽なんだけどね~」

 佐藤が見せてきたのはSNSのアカウント画面だった。学内のほとんどの連中はそのSNSで日常のチャットまで完結させている。しかし赤の他人と繋がるのが面倒な俺にとっては無用の長物だった。こういう人間がいつまでもメールで会話とかするんだろうな。

「愛莉ちゃんとか凄いよ、ほらほら」

「わあ……」

 佐藤のスマホの画面を見て平田が感嘆を漏らしている。他人の投稿なんかに興味は無いが、敵情視察は大事だ。俺も眼力を精一杯駆使して横目に佐藤のスマホを見た。

 橘愛莉の投稿は別世界のそれだった。

 華麗な衣装でホールに立つ橘愛莉、凛とした佇まいで花を活ける橘愛莉、組んだ相手を豪快に投げ飛ばす橘愛莉、なんかよく分からんキザな外国人と並ぶ橘愛莉……俺はそっと目を閉じた。

「友達の数もすごいし。最初に見た時びっくりしちゃった」

「多過ぎても大変よ。それだけ人目につくわけだから」

「それ分かるなあ。突然DMを送られても誰って思うよね」

 佐藤のアカウントも橘愛莉と同じようにキラキラした世界が広がっているのは想像がつく。一方でそんな世界に土足で踏み込んでくる匿名の輩がいるのもSNSの怖さだ。嫉妬に喧嘩にいかがわしい誘いの数々。たぶん俺みたいな奴が日頃のストレスを発散するためにやるんだろうな。つまり悪いのは俺ということだ。もっと反省しろ俺。

 そのまま女子二人のトークを聞いているうちに、ふと思い浮かぶことがあった。

「羽柴君、そんなに私のスマホが珍しい?」

 橘愛莉は当たり前のようにそのことに気付いた。

「珍しいっつーか、あんまり触ってるイメージが湧かないってだけだな」

「あー確かに」と佐藤もうんうん頷く。

「愛莉ちゃんが動画見たりゲームしたりしてるとことか想像できないかも」

「そう? 私だってゲームくらいするわ。そこまで強くないけれど」

 橘愛莉の『そこまで』がどこまでなのかは深く聞かないことにした。知らないままなら俺のゲームスキルの方が上だと言い張れるからだ。

「あ」

 ブロンズレベルの発想からようやく思い至る、橘愛莉がスマホを持つことの違和感。

 俗世すぎるんだ。スマホも動画もゲームも全部ありふれたものだから、橘愛莉のイメージにそぐわない。モノクロ写真にカラーの人間がいるのような、いや、もっと言えば落書きの中に写真が紛れ込んでいるような。

「どったの?」

「ハシバ……?」

 佐藤や平田はまだ俺という人間の延長線上にいるが、橘愛莉とは何かが断絶している感覚がある。だから輪郭がくっきりとして、明確に違っている。

「羽柴君?」

 なるほどすとんと腑に落ちる。スマホで始まる違和感が回り回って丸を描き真円望月欠けたることも――

「認めないっ!」

 …………またやっちまった。

 五感が居た堪れない雰囲気を虚しく感じ取っている。さっきの願い事と同じ無音と視線。口の中が乾き、冷や汗が首筋を流れる。

「何を認めないのかしら?」

「聞かないでくれ。別に大したことじゃないんだよ」

 面と向かってお前を認めないなんて言えるはずもなく、質問に答えながら視線を逸らした。

 するとその先では佐藤が頬杖をついていて、呆れ顔で「羽柴くんも色々あるからねえ」と話を引き取った。

「じゃあ日曜日の午後イチにここ集合ね。遅れちゃダメだから」

 佐藤からトークルームに地図の座標が送られてきた。街の中心にある定番の待ち合わせスポットだ。

「了解。たぶん大丈夫だと思うが、心配なら電話してくれ」

「羽柴くん、あたしの電話に出ないじゃん」

「出ない? そんなこと――」

 あったかと言おうとして佐藤の目が笑っていないことに気付く。

 瞬間、頭の中で記憶の棚がひっくり返る。佐藤と電話なんて甘ったるいイベントを忘れるわけがないのに、どうでもいい思い出や忘れたい過去ばかりが乱れ飛んで肝心な記憶は全く出てこない。もしかしてオルテラから帰ってきた時に忘れちまったのか? こんなことならフィリスを……いやそんなわけあるか。もしかして佐藤にカマをかけられている? でも間違ってたらヤバい。間違ってなくてもヤバい。

「覚えてるよねー?」

「あ、ああ、ああ?」

「羽柴君が言葉を忘れているわ。薫、それぐらいにしてあげて」

「……まあいいけど」

 尋問から開放されてようやく思い出した。

 去年の今頃に佐藤から突然連絡があったんだ。その頃はまだ捻くれてた時期だったから取り合わずに放置して……ああ、そりゃ怒るよな。やっぱり俺が悪いんじゃねえかちくしょう。

「すまんかった。土下座したら許してくれるか?」

「うーん、今されても嬉しくないかな」

「最初に出会った時も同じことを言っていたわね。羽柴君はそんなに謝りたいの?」

「いや、口が勝手に……」

 橘愛莉と出会ってからというもの、土下座が思考に介入する機会が増えた。考えてみると謝罪の意よりひれ伏したい欲求の方が強い気がする。なんだよその特殊スキル、チートすぎるだろ……。


 ***


「イヤリングの願いごとだけどさ」

 部活を終えた帰り道、並んで歩く佐藤がぽつりと言った。両耳には件のイヤリングが光る。

 橘愛莉は学校から直行する用事があるとかで先に帰っていった。平田とも校門で別れたので今日は佐藤と二人での下校だ。

「結構普通だったね。もっと『俺を完璧にしてくれー』とか言うと思ってた」

「今更そんなこと願ったって仕方ねえだろ」

「ふーん?」

「……なんだよ」

「愛莉ちゃんがいたから?」

 勘の鋭い部員め。おのれ橘愛莉、佐藤にこんな配慮をさせるとは。

「橘さんは関係ねえし、そもそも神様が叶えてくれましたラッキーハッピーなんて完璧とは真逆だぞ。やるんなら生まれ直しから頼む必要がある」

「なら生まれ直さなきゃね」

「えぇ……」

 俺という存在をさらっと全否定する佐藤。たぶん冗談なんだろうがビビっちまうぜ。本当に冗談だよな?

「じゃ、あたしはここで!」

 十字路に差し掛かったところで佐藤はビシッと敬礼すると、そのままたたっと道の先に駆けていった。その後ろ姿を「元気なやっちゃな」と見送ってから改めて思い返す。

 生まれ直し、今で言えば転生か。ファンタジーなら異世界へ飛ばされるのがセオリーだ。そしてたいてい転生後の主人公は強く、格好良く、特別な力で世界を救う。

 完璧な人間への転生は、裏を返せば自分に劣等感を抱いてるってことだ。今の自分じゃどうしようもないから死んでリセットしよう。自分を縛るものが無い、ここじゃない別の世界に。

 だとしたら既に完璧な人間は生まれ直したいと思うのか。例えばそう……。

「いやいやいやいや何考えてんだ俺」

 思い浮かんだ名前をかき消すためにブンブン頭を振る。こんなアホみたいなことを考えるのはイヤリングのせいだ。イヤリングは金属で、金属は金で、金はつまり金柑で、金柑は柑橘だから橘だ。つまりこれも橘愛莉のせいだ。

 そんなアホみたいなこじつけを考えながら歩いていたせいで、俺は標識に頭をぶつけた。



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