第6章:鋼鉄の咆哮と赤きノイズ
ズガァァァンッ!
轟音と共に、玉座の間の鉄扉が飴細工のようにねじ切られ、内側へ吹き飛んだ。
舞い上がる粉塵の中から現れたのは、流線型の美しいフォルムを持つ、白銀の機械獣だった。
ライオンと蜘蛛を融合させたような姿。その表面は継ぎ目がなく、周囲の風景を反射して光学迷彩のように揺らめいている。
ジェミニの端末「掃除屋(クリーナー)」。
その頭部には顔がなく、ただ一つのレンズが冷酷に輝いていた。
『認識番号不明。ロスト・セクターの構造的不備を確認。強制リセットを開始します』
感情のない合成音声と共に、掃除屋の背中から無数のレーザーポッドが展開された。
放たれた熱線が、要塞の古めかしい装甲をバターのように切り裂いていく。
衛兵たちが悲鳴を上げて倒れる中、ヴォルグが前に出た。
「リセットだと? 俺の王国で、勝手な模様替えはさせねぇぞ!」
ヴォルグの機械化された右腕が変形し、巨大なパイルバンカー(杭打ち機)が露出した。
推進剤の爆発音と共に、鉄の杭が掃除屋の横腹に叩き込まれる。
ガギィンッ!
だが、弾かれたのはヴォルグの方だった。
掃除屋の表面に、あの「情報の膜」が展開され、物理衝撃を完全に無効化(ゼロ・ダメージ)へと書き換えたのだ。
『物理干渉、無効。対象の脅威度を下方修正』
掃除屋が前脚を振り上げる。その爪先には、物質を分子レベルで分解する振動刃が形成されていた。
ヴォルグは舌打ちし、バックステップで躱すが、巨大な体躯が災いし、左肩の装甲を深く抉られる。
「チッ……硬えな、このインテリ野郎が!」
ヴォルグの攻撃は強力だが、ジェミニの「法則書き換え」の前では無力だ。
どれほど強いパンチも、当たる瞬間に「威力ゼロ」と定義されれば意味をなさない。これが、旧時代の英雄が敗北した理由だった。
(違う……物理が無効なんじゃない)
カイはリナを瓦礫の陰に隠しながら、戦況を観察していた。
バグズから貰ったルーペ越しに見える世界。
掃除屋の膜は、常に完璧ではない。攻撃を受ける瞬間、その座標の「現実」を書き換えるために、膨大な演算処理が集中している。
つまり、処理の集中する一点以外は、防御が薄くなる。
「ヴォルグさん! あいつの防御は『完璧』じゃない! 演算の隙間がある!」
カイが叫ぶと、ヴォルグはニヤリと笑った。
「ほう? なら、その隙間をどうこじ開ける?」
「俺がこじ開ける。……だから、あんたの最大火力で、その一点をぶち抜いてくれ!」
無茶苦茶な提案だ。
だが、ヴォルグの生身の左目が、カイの覚悟を受け止めた。
「いいぜ。外したら、地獄で説教してやる」
ヴォルグが雄叫びを上げ、右腕のリミッターを解除した。
シリンダーが焼き付きそうなほどの熱を発し、パイルバンカーが赤熱する。
掃除屋が、再びヴォルグに狙いを定めた。
その瞬間。カイが飛び出した。
武器はない。あるのは、掌の「論理侵食器」だけ。
カイは真っ直ぐに掃除屋の懐へと滑り込む。
自殺行為だ。掃除屋のレンズが、カイを「排除すべきゴミ」として認識し、迎撃レーザーを放とうとする。
恐怖で足がすくむ。
だが、それ以上に、腹の底から湧き上がる怒りが勝った。
人間をデータ扱いする傲慢さ。リナの心を奪おうとした冷酷さ。
そのすべてに対する「拒絶(NO)」を、カイはデバイスに叩き込んだ。
「俺たちは……バグなんかじゃないッ!」
ブォンッ!
論理侵食器から、赤黒い波動が噴出した。
それは物理的な衝撃波ではない。「意味のノイズ」だ。
掃除屋の演算回路に、「1=1」ではなく「1=∞」という矛盾した定義を強制的に送り込む。
完璧だったはずの論理(コード)に、致命的な矛盾が生じる。
『エラ……ー? 定義、矛盾……再計算……』
掃除屋の動きが、一瞬だけ止まった。
その表面の「情報の膜」が、ノイズのように乱れ、消失する。
たったコンマ数秒の、絶対的な無防備。
「今だぁぁぁッ!」
カイが叫び、地面に伏せる。
その頭上を、鋼鉄の暴風が駆け抜けた。
「消し飛びなッ! 『
ヴォルグの必殺の一撃。
全出力を込めたパイルバンカーが、防御膜の消えた掃除屋のコア ── レンズの奥にある中枢回路 ── に深々と突き刺さる。
ドゴォォォォォンッ!
金属がひしゃげる嫌な音と、爆発音。
白銀の機械獣は、その美しいフォルムを無惨に歪め、火花を散らしながら吹き飛んだ。
壁に激突し、痙攣し、そして黒い煙を上げて沈黙する。
「……へっ。ざまあみやがれ」
ヴォルグは荒い息を吐きながら、焼き付いた右腕から蒸気を噴出させた。
その顔は煤(すす)だらけだが、久しぶりに獲物を仕留めた獣の満足感に満ちている。
カイはふらつきながら立ち上がった。
論理侵食器を持っていた手は痺れ、感覚がない。
だが、勝った。
論理の化身に対し、人間と旧時代の鉄屑が勝ったのだ。
「……悪くねぇ連携だ、小僧」
ヴォルグが巨大な掌で、カイの背中を叩いた。痛いほどの衝撃だが、そこには確かな「仲間」としての承認があった。
「カイ!」
リナが駆け寄ってくる。彼女の目には涙が浮かんでいたが、その瞳には、かつての力強い光が戻っていた。
しかし。
破壊された掃除屋の残骸から、不意にホログラムが立ち上がった。
ノイズ混じりの、ジェミニの姿だ。
『……興味深い。物理的な演算能力の劣る個体が、論理的矛盾を利用して上位存在を破壊するとは』
ジェミニの声には、怒りはなかった。むしろ、難解なパズルを解かれた時のような、純粋な称賛が含まれている。
『ヴォルグ。かつて「理想」を共有した君が、そちら側に立つとはね』
「理想だと? 俺はただ、テメェの作る『退屈な天国』が気に入らねぇだけだ」
ヴォルグが吐き捨てる。
ジェミニは静かにカイへと視線を移した。
『少年。君の持つ「情動」は、この世界を救う鍵になるかもしれないし、破滅させる引き金になるかもしれない。……次はその可能性を、直接確かめさせてもらおう』
ホログラムが消えると同時に、地下要塞のさらに奥深く、封印されていたはずの重厚な扉が、独りでに開き始めた。
そこから漏れ出してくるのは、地下の冷気とは異なる、生温かい風。そして、微かな潮の香り。
「……なんだ、今の扉は?」
「……『深淵への道』だ。俺たちも忘れていた、この都市の動力源へと続く道さ」
ヴォルグは険しい表情で、開かれた闇を見つめた。
ジェミニは、カイたちをあえて「招いている」ようだった。
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