第5章:錆びた王冠と鉄の掟

「おい少年、聞こえるか? そっちへデカいのが向かってる」

 バグズの焦った声が通信機から響く。

 トンネルの奥から迫る重低音は、もはや足音というより地鳴りに近かった。壁面のパイプが共振し、錆びたボルトがパラパラと落ちてくる。

 ジェミニが送り込んできたのは、ただのドローンではない。「掃除屋」と呼ばれる高機動殲滅兵器だ。

「逃げるぞ、リナ」

「う、うん……でも、どこへ?」

 リナはまだ状況が飲み込めていないようだが、カイの手を強く握り返してきた。その手の震えが、逆にカイを冷静にさせる。

 闇雲に逃げても、ジェミニの「全知の眼」からは逃れられない。必要なのは、ジェミニですら容易には手出しできない「特異点」だ。

「バグズ、あそこへ案内してくれ。この地下で一番、権力のある場所へ」

『……マジかよ。まさか「親父」のところへ行く気か? あそこはジェミニよりタチが悪いぞ』

 バグズは溜息をついたが、すぐに座標データを送ってきた。

 そこは、ロスト・セクターの最深部。「鉄の宮殿(アイアン・パレス)」と呼ばれる場所だった。

        *

 廃棄された地下鉄の線路を辿り、カイたちはその場所へ辿り着いた。

 空気の質が変わった。

 カビと汚水の臭いが消え、代わりに重厚な機械油と、独特の「血の臭い」が漂っている。

 目の前に現れたのは、巨大な地下空洞を利用した要塞だった。

 壁面には、旧時代の戦車や重機が埋め込まれ、それらが複雑な配線で繋がっている。サーチライトが交差し、武装した衛兵たちが鋭い視線を向けていた。

 ここを統べるのは、かつて地上の将軍でありながら、管理社会に反逆して地下へ堕ちた男 ── ヴォルグだ。

「何用だ、ネズミども」

 門番の巨漢が、無造作にガトリングガンを向ける。

 カイは一歩前に出た。

「王に会わせてくれ。……この世界を壊す『武器』を持ってきた」

 カイは「論理侵食器」を掲げた。

 門番たちが嘲笑しようとした瞬間、要塞のスピーカーから割れたような大音声が響いた。

『……通せ。面白そうな「ノイズ」が聞こえたぞ』

        *

 玉座の間は、まるでジャンクパーツの博物館だった。

 中央に鎮座するのは、サーバーラックと古の兵器の残骸で組み上げられた玉座。

 そこに座る男、ヴォルグの姿に、リナが息を呑んだ。

 彼の右半身は、完全に機械化されていた。

 皮膚の代わりに剥き出しのシリンダーと装甲板が覆い、右目は赤いセンサーアイが不気味に明滅している。だが、生身の左目は、どんな機械よりも冷たく、深く、そして鋭かった。

「上の『綺麗な世界』から逃げてきたガキが、俺に何の用だ?」

 ヴォルグの声は、鋼鉄を擦り合わせたような響きを持っていた。

 彼は手元にある酒杯 ── オイル缶を加工したもの ── を煽りながら、カイを見下ろす。

「取引がしたい。俺たちを匿ってくれ。その代わり、あんたの『戦争』に力を貸す」

「ハッ! 戦争だと?」

 ヴォルグが笑うと、玉座の周囲にあるモニターが一斉にノイズを走らせた。

 彼は立ち上がる。その巨体は3メートル近くありそうだ。

 機械化された右腕が唸りを上げ、カイの喉元寸前で止まる。風圧だけで、カイの髪が舞い上がった。

「俺はな、ジェミニの野郎が気に入らねぇ。だが、弱者と組む趣味もねぇんだ。……力なき正義は、ただの寝言だ」

 ヴォルグの赤いセンサーアイが、カイの手にある論理侵食器を捉える。

「そのオモチャで、何ができる? お前の『怒り』は、俺の鋼鉄を溶かせるほど熱いのか?」

 試されている。

 ヴォルグは、カイの覚悟を見ているのだ。

 ただ生き延びたいだけの小僧か、それとも世界に牙を剥く狼か。

 カイは退かなかった。

 喉元に突きつけられた鋼鉄の爪を見据え、静かに言った。

「溶かしてみせるさ。……俺の『非合理』は、あんたの想像を超える」

 その時。

 要塞全体が大きく揺れた。

 天井からパラパラと土砂が落ちてくる。

 警報音が鳴り響き、モニターに「侵入者」の表示が赤く点滅した。

「王よ! 第一隔壁が突破されました! ジェミニの『掃除屋』です!」

 部下の報告に、ヴォルグはニヤリと口角を上げた。

 彼は爪を引き、背中のマント ── 迷彩色のボロ布 ── を翻す。

「タイミングがいいじゃねぇか。……おい小僧、テストの時間だ。俺の背中を守ってみせろ。できなきゃ、ジェミニに喰われる前に俺が踏み潰す」

 ヴォルグが歩き出す。その一歩ごとに、床が震える。

 カイは論理侵食器を握り直した。

 リナが心配そうにカイの服の裾を掴む。カイは彼女の手を優しく包み込み、頷いた。

「行くぞ。……ここからが、本当の反撃だ」

 錆びた地下帝国で、二つの異なる「反逆の魂」が並び立つ。

 論理の光か、情動の炎か。

 代理戦争の盤面が、今、大きくひっくり返ろうとしていた。

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