第9話 ストレス限界突破人間

 七瀬の絶叫を聞き、眉をひそめそうになった。

 鋭く睨み付けてくる、七瀬の視線を受け止めながら、懸命に作り笑いを維持し続けた。


「お仲間にそそのかされた、とおっしゃいいましたが、どういった経緯を辿ったのでしょうか。お仲間に裏切られたんですか」


「もう分かんないよ。信じていたのに。突然、幹部のみんなが、私のことを狂っている、って言い始めるし」


 七瀬が両手で顔を覆った。指の隙間から涙が零れ落ちていた。徐々に、悲痛な泣き声が大きくなった。


 やり過ぎた。


 咄嗟とっさに、体を丸くした七瀬の背をさすり始めた。

 懸命に七瀬をなだめながら、捜査二課室を眺めた。捜査二課室に残っている少数の刑事の目が、全て私たちに向けられていた。

 遠くに見える加賀の顔には、「呆れた」とはっきり書かれていた。


「大変失礼致しました。お心が傷付いていらっしゃる中、情報をご提供頂き、真にありがとうございます。七瀬さんの注意喚起で、救われたお仲間がいらっしゃる、と私は思っていますよ」


「……でも、結局、仲間にも裏切られた」


「仲間に裏切られたとしても、七瀬さんの勇気ある行動に救われた方は、きっと、多くいらっしゃいますよ」


 警察は、貴女の行いで、余分な苦労を味合わされているけどね。

 顔を上げた七瀬の目は、真っ赤に充血していた。僅かな時間で、七瀬の目は、腫れ上がっていた。


「私は、きっと大勢の仲間を救いましたよね」


「間違いなく、救われた方は大勢います」


 心にもない言葉を七瀬の耳に入れた。

 七瀬が深呼吸をした。


 樽谷さんが、私の横から手を差し伸べた。樽谷さんの手には、ハンカチがあった。七瀬は、樽谷さんから受け取ったハンカチで目元を拭った。

 七瀬は、最後に、ハンカチではなを拭った。七瀬ではなく、私が緊迫感に包まれた。

 思わず樽谷さんを振り返ると、樽谷さんは、無言で七瀬を観察していた。


 七瀬が机に汚れたハンカチを置いた。樽谷さんは、汚れを気にせずに、ハンカチをスーツのポケットに収容した。

 七瀬の荒くなっていた呼吸が落ち着いてくると、私は優しく問い掛けた。


「お仲間にそそのかされたとおっしゃっていましたが、具体的には、どのような内容を言われたんですか」


「《英雄の逆襲》の全世界チャットに投稿した後に、幹部の一人から、個人チャットに連絡が入ったんです。訴えるべきは、《ビルド・アップ・マネー》だけではないだろう、と。《ビルド・アップ・マネー》を紹介した《パンダ》も、悪者だろう、と」


 七瀬が大きく息を吸った。七瀬の目から一粒の雫が頬に流れた。


「《英雄の逆襲》のアプリ内のみの告発では、威力も少ないだろう、とも言われました。SNSで注意喚起をするほうが、波及力がある、と助言も貰いました。だから、もう一度、《Ⅹ》で注意喚起をして、《パンダ》についても、触れたんです」


「SNSでの注意喚起を促した、お仲間の名前を憶えていますか。現在、スマホゲーム内で名称を変更している可能性もありますが、ご教示頂けますと幸いです」


「やっぱり、仲間を売れ、って要求するんですね」


「本当のお仲間を守るためには、有用な情報になります」


 七瀬の目が、再び潤み始めた。私は、ポケットの中に手を突っ込んだ。ポケットの中には、ハンカチがきちんと入っていた。


「私って、騙されてばかりですよね。どうして、こうなっちゃったんだろう」


 余りにも、軽率に人を信じるからだよ。


「気が進まなければ結構ですが、可能であれば、そのお仲間のお名前を教えて頂けませんか。少しでも被害者を減らすために、教えて下さった情報を基に、尽力しますので」


 七瀬が、無気力にスマートフォンを操作した。七瀬がスマートフォンの画面を私に突き出した。

 スマートフォンの画面上には、《英雄の逆襲》のアプリ内の個人チャットが表示されていた。会話を交わしている人物の名前は、「ストレス限界突破人間」だった。

 一瞬、意識が遠のいた。「そうだよね、日本社会は、ストレスにまみれているよね」とわめく心の声が聞こえた。


「名前は変えていないみたいです。ストレス限界突破人間と名乗っています。私のほうが、ストレスの限界を超えています」


 七瀬の目を見ると、狐のように、目尻が釣り上がっていた。先ほどまで、七瀬の目に涙の膜が張っていたが、一瞬にして、乾燥したようだ。


「会話の中身を閲覧しても、大丈夫ですか」


 七瀬がうなずいた瞬間、スマートフォンの画面に目を走らせた。最新の会話内容が、七瀬の証言を肯定していた。


『全世界チャットを見ました。リーダーの勇気ある行動に感謝します。一点だけ気になる事項があります。スマホゲームの全世界チャットのみの告発では、十分ではない、と思います。私はアカウントを持っていませんが、SNSで投稿するほうが、効果的だと思います。《パンダ》の存在も忘れていませんか。彼が諸悪の根源です』


 スマートフォンの画面に影が落ちた。樽谷さんが身を乗り出して、会話内容を確認していた。内容を確認すると、樽谷さんは、キーボードを軽快に叩いた。

 会話内容を遡ってみたが、他の会話は、同盟の組織運営の相談ばかりだった。私たち刑事にとっては、役に立たない情報だ。

 最新の会話内容を再度、読んだ。


 嘘臭い。「ストレス限界突破人間」が嘘臭い。


 SNSのアカウントを持っていない、と発言しているが、本当だろうか。ちょうど良い人間が見つかり、自分の身代わりを務めさせたように、一見、感じられる。


 許可を得ると、七瀬からスマートフォンを受け取り、「ストレス限界突破人間」の情報を閲覧した。アイコンの写真は、可愛くデフォルメ化された武将の絵だった。武将の絵の下に、白起と文字が刻まれていた。

 死後、数千年後に、このような状況に至るとは、白起も見通せていなかっただろう。


 樽谷さんにも画面を見せ、記録に残した。恐らく意味が分かっていないだろう単語も、眉一つ動かさずに、樽谷さんは淡々と記録していった。

 全ての記録を取り終えると、七瀬にスマートフォンを返した。七瀬は受け取ったスマートフォンを強く握り締めた。


「様々な情報をご提供頂き、ありがとうございました。では、被害届の記入をして頂ければと思います」


「今、私が喋った情報で、何をしようとしているんですか」


「捜査情報については、言及できませんので」


「《英雄の逆襲》を、ぶっ潰そうとしていませんか」


 七瀬の目は、爛々と光っていた。まとっていた弱々しい空気の膜を殴り捨て、七瀬の全身を気迫が覆っていた。


「《英雄の逆襲》の中で、《ビルド・アップ・マネー》の投資詐欺が流行はやっていたからと言って、《英雄の逆襲》を潰そうとしていませんよね?」


「落ち着いて下さい。頂いた情報は適切に扱わせて頂きます」


「私の居場所を奪わないで下さい!」


 七瀬の声が、捜査二課室にとどろいた。


 周囲を見渡すと、捜査二課室にいる刑事全員が、七瀬の存在を見詰めていた。

 七瀬は机に勢いよく手を突いた。机が大きく揺れた。

 七瀬の顔が悪鬼と化した。初めて、七瀬と「リーダー」が頭の中で繋がった。


「国家権力を盾にしている警察に、私の気持ちが分かってたまるか! 平気で人の心に土足で入って来る人間に、私の気持ちが分かって堪るか!」


 鬼の目が私を見据えていた。鬼が目を細めた。頭頂部から角が出ている幻覚が見えた。


「だからこそ、はっきりと言わせてもらう。《英雄の逆襲》を警察が潰したら、一生、恨んでやる。お前たちが忘れても、私が背後霊となって、一生、忘れないようにしてやる」


「何故、そこまで《英雄の逆襲》にのめり込んでいるんですか。何故、投資詐欺に遭うような状況に至るまで、課金をするんですか」


 言葉が口から零れ落ちた瞬間、後悔した。

 刑事としての質問ではない。城ケ崎玲子としての質問を投げ掛けてしまった。

 だが、口から出た言葉は戻せない。


 鬼が高笑いした。徐々に、鬼の笑い声が大きくなっていった。

 鬼から目が離せなくなった。鬼が私に向けた目には、嘲りが色濃く宿っていた。


「だから、エリートどもには、一生、分からないんだよ。課金をする理由なんて、簡単でしょう?」


 鬼の顔が、私の顔に迫って来た。後退あとずさりたくなる衝動を抑えた。私は、自然と唾を飲み込んだ。


「こんな私でも、強くなれるからだよ。それすら、理解できないなんて、馬鹿じゃないの? 脳味噌はあるの?」

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