第10話 桜空ラボ

 七瀬が私を指差した。

「人を指差すな、と誰かに習わなかったのか」と叫びたくなった。


「無能な刑事、ここまで洗いざらい喋ったんだから、《パンダ》と《ビルド・アップ・マネー》を、しっかりと潰せよ。《英雄の逆襲》を、何が何でも救えよ。善良な一般市民からの命令だからな。返事をしろよ、クソ刑事!」


「七瀬さんとおっしゃいましたね? こちらにお越し下さい。被害届の欄を一緒に埋めましょう」


 満面の笑みを顔に貼り付けた加賀が、駆け寄って来た。七瀬は、振り返らずに、加賀にいて行った。一瞬、振り返った加賀の顔は、私を無言で批判していた。


「城ケ崎さんに任せた私の責任には間違いありませんが、尋問の仕方が下手ですね」


 樽谷さんは、立ち上がると、パソコン画面の位置を修正し始めた。七瀬の挙動に、一切、狼狽うろたえていなかった。

 反射的に、私も立ち上がった。


「SSBCを舐めていませんか。SSBC所属の大半の者は、刑事経験があります。勿論、私もあります」


「存じ上げていますよ。植村さんに情報を共有頂いたので。そのうえで、発言しました」


 樽谷さんのワイシャツの襟元を絞め上げたくなったが、身長が届かない。仕方なく、大人しく、樽谷さんを睨み付けるに留まった。


「では、次の機会に、樽谷さんの尋問の腕前を見せて頂きますよ」


「共に事情聴取を行う事態は、二度と起きませんので。残念ながら、私の事情聴取する姿を城ケ崎さんが見る機会はないでしょう」


 のっぺりとした樽谷さんの顔を、じっとりと見上げた。


「スーツのポケットの中は、大丈夫ですか」


「何のお話ですか」


「七瀬さんがはなんだハンカチが入っているでしょう? ポケットが汚れているのでは?」


「被害者の涙とはな水を汚いと罵る行為は、不適切ですね」


 精神論の問題ではない。衛生面の話をしているんだ。

 樽谷さんと一緒にいると、調子が狂う。努めて冷静に、樽谷さんに話し掛けた。


「通常、ゲーム代行は、規約違反になるケースが多いです。ゲーム代行を行うためには、アカウントを貸し借りする必要があります。ですが、通常、スマホゲーム内の規約でアカウントの貸し借りは禁止されています」


「存じ上げていますが、何が言いたいのですか」


「《パンダ》が、ゲーム代行の中で、アカウントの乗っ取りを行っていれば、不正アクセス禁止法に違反しています。そういった被害届が存在すれば、堂々と、SNS上の《パンダ》のIPアドレスの開示請求を行えます。すぐにでも行動に移さなければ、《パンダ》のアカウントは消されるでしょう。しくは」


 樽谷さんが、私を見下ろした。感情が見えない目の奥が、空恐ろしく思えた。


「《英雄の逆襲》の運営をしている《桜空ラボ》に、直接、任意で乗り込みます。被害の実態が明らかになり、不正アクセス禁止法などの法に違反している事実が認められれば、捜査令状を請求し、《パンダ》を丸裸にできます」


「今、どれほど馬鹿な話をしたか、分かっていますか」


「分かりませんね。全ては、私を怒らせた山内係長が悪いので」


「……山内、何をしたんだよ」


 樽谷さんの無声音が耳に届いた。樽谷さんの表情は、相変わらず、揺らぎもしなかった。

 樽谷さんを放置し、そのまま、捜査二課室を出て行こうとした。捜査二課室のドアを開けると、振り返った。七瀬が、加賀の席で、被害届を記入していた。

 私の視線に、七瀬が気付いた。七瀬は、思いっ切り、舌を出した。


 捜査二課室を出ると、立ち止まり、スマートフォンを操作した。《桜空ラボ》のウェブサイトを探し当てると、本社の住所を確かめた。

《桜空ラボ》は、溜池山王の高層ビル《山王グランドタワー》の二十五階と二十六階を拠点としていた。桜田門駅から溜池山王駅まで、電車で十二分掛かる。


 車の手配をしよう、と思考を巡らせた。だが、すぐさま、車の存在を脳内から放り出した。車の手配に時間を取られるよりも、桜田門駅に駆け込み、電車に乗ったほうが、速い。


 スマートフォンをポケットに突っ込むと、桜田門駅に向かって、全速力で、走り始めた。走りながら腕時計を見ると、夜の八時だった。

 七瀬が、全世界チャットで、《ビルド・アップ・マネー》の振込口座を暴露ばくろしてから、約一時間五十分が経過していた。《パンダ》は、既にアカウントを消し去っているだろうか。


 東京メトロ有楽町線に乗り込み、永田町で南北線に乗り換えた。


 車内で《Ⅹ》を確認した。《パンダ》のアカウントは、まだ残っていた。車内で、IPアドレスの開示にあたり、必要な情報を、持参していたノートに走り書きした。

 溜池山王駅に辿り着くと、電車のドアが開いた瞬間、走り始めた。徒歩五分の距離にある《山王グランドタワー》に、一分で辿り着いた。


《山王グランドタワー》のロビーに入ると、天井の高さに圧倒された。品があるように見せ掛けた社会人たちが、せわしなくロビーを行き来していた。

 ロビーの中央で、真紅のドレスをまとった女性が、バイオリンを片付けている様が、目に飛び込んだ。周囲には、正装した人物たちが、やはり弦楽器を持っていた。先ほどまで、生演奏をしていたようだ。

 福利厚生の一環だろうか。「流石さすが、立地が良いだけあって、金があるな」と思った直後、誰が、彼らに資金を支払っているか、頭を悩ました。


 三十階まである高層ビルらしく、エレベーターが階によって、分かれていた。受付は、エレベーターの脇に。幾つか点在していた。二十五階と二十六階を拠点としている《桜空ラボ》に問い合わせるため、一番右端の受付に近寄った。


 受付には、神が全身全霊で創造した結晶のような、美しい女性が座っていた。私が近付いていくと、美女がまばたきをした。

 美女の前に辿り着くと、無言で警察手帳を見せた。優美に微笑む美女の頬が引きった。


「警察です。城ケ崎玲子巡査部長と申します。《桜空ラボ》に任意でお話を伺いたいため、ご連絡を取って頂けますか」


「《山王グランドタワー》は、夜の九時にドアを閉鎖致します。社員が残っているかも、怪しいのですが」


「スマホゲームアプリ開発業界は、非常にお忙しい業界と伺っていますよ。それに、裏口も、当然、ありますよね。あくまで任意ですが、簡単なお話を伺いたいだけです。《桜空ラボ》に連絡を取って頂けますか」


 一つ息を飲んだ後、美女は手元の内線電話を手に取った。私を見詰めたまま、《桜空ラボ》に連絡を取っていた。

 美女が電話をしている間、秘かに、美女の化粧を観察した。研究にはなるが、美女の顔の元が良過ぎるため、実践できるか、怪しい。


 受話器を置くと、美女は、バーコードが付いたチケットのような紙切れを、私に手渡した。


「一番右端のエレベーターから、二十五階にお越し下さい。エレベーター・ホールに入る際に、こちらの来訪者券をかざして下さい」


「ありがとうございます」と形式的に感謝の旨を伝えると、エレベーター・ホールに向かった。


 エレベーター・ホールの前に、駅の改札機のようなゲートが設置されていた。交通系ICカードをかざすように、バーコードをゲートにかざした。すんなりとエレベーター・ホールに踏み込むと、エレベーターのボタンを押した。

 エレベーターが到着した。疲労が滲んだ大量の社会人が排出された。エレベーターに乗り込んだ人物は、私一人だけだった。


 二十五階のエレベーター・ホールに着いた。エレベーター・ホールの壁に、フロア・マップがあった。フロア・マップを見ると、二十五階には、四つの会社が構えているらしい。

 フロア・マップで、《桜空ラボ》を探し当てると、廊下に進み出た。廊下は、煌々とした光に照らされていた。


 歩みを進めると、スタイリッシュな文字で《桜空ラボ》と書かれている壁を見つけた。

 脇のガラス張りのドアを開くと、《桜空ラボ》のエントランスになっていた。白を基調としたエントランスの奥に、内線電話が、ぽつんと置かれていた。

 内線電話に近付いていった。内線番号表をのぞき込む前に、横のドアが開いた。


 快活な笑みを浮かべた、細身の青年がいた。青年は、グレーのパーカーに、ダメージ・ジーンズを身にまとっていた。全身から満ち溢れている快活さに邪魔され、年齢が判別し難いが、三十代半ばほどだろう、と見当を付けた。


 青年は、三十度の角度で折り目正しいお辞儀をした。警察官の場合、服務規程で、頭を下げる角度は、決まっている。三十度のお辞儀は、警視総監クラスに向けられるものだ。普段、自分に対して決して向けられないお辞儀をされ、戸惑いを覚えた。


「先ほど、ご連絡頂いた警察の方でしょうか。代表取締役社長の藤堂将司の元に、ご案内します」


 警察の突然の来訪にも拘わらず、青年は、弾けるように、はきはきと挨拶をした。


「招かれざる客に対して、ご丁寧にありがとうございます」


やましいことを抱えておりませんので、堂々と弊社に案内できるんですよ」


 青年の笑みは、太陽のように輝いていた。青年の後に続き、《桜空ラボ》に侵入した。


《桜空ラボ》の内部は、壁で区切られておらず、フロア全体を見渡せた。長いフリー・デスクが、三つ並んでおり、フロアの端には、会議室が複数、存在した。

 会議室の前を通り過ぎる際に、会議室名が見えた。「ラスボス」、「中ボス」、「」といった会議室名が、通り過ぎていった。

「ラスボス」と命名された会議室が、取り合いになりそうだ。同時に、「」と称された会議室で、仕事をしたくない、と心の底から思った。


 フロアには、誰もいなかった。電力量の削減のためか、フロアの明かりは、ほとんど消えていた。壁に取り付けられた幾つもの大きなガラス窓から、夜景が垣間見えた。深夜まで働き続ける日本人が生み出すビジネス街の光が、フロアを幾分か明るく照らしていた。

 奥に進んで行くと、光に包まれた空間があった。ガラス張りの個室があった。四十代に見受けられる男性が、パソコンに向き合っていた。


 男性は、白いTシャツに短パンを穿いていた。距離があるにも拘わらず、男性を覆い尽くすエネルギーが、私の元に既に届いていた。

 青年は個室のドアをノックすると、個室に踏み込んだ。青年に続き、個室に踏み入った。恐らく代表取締役社長の藤堂将司だろう人物に向かって、礼をした。


「先ほど、ご連絡をした、城ケ崎玲子巡査部長と申します。藤堂社長でお間違いないですか」


「これは、これは、お越し頂き、恐縮です。《桜空ラボ》の代表取締役社長を務めています、藤堂将司です。お座り下さい」


 藤堂社長は、立ち上がると、にかッと笑った。口元からのぞく白い歯が、輝いていた。


 藤堂社長の席の前に、ロー・テーブルを挟んで、二つのソファーが並んでいた。手前のソファーに座ると、向かい側のソファーに、藤堂社長が座った。

 案内をした青年は、いつの間にか、姿を消していた。


「警察の方々にご厄介になるような不祥事は、弊社で起きていない、と認識していますが、どういったご用件でしょうか」


「この度は、御社が受けている被害状況について、確認させて頂きたく思い、足を運びました」


「どういった被害でしょうか。残念ながら、私どもは、把握していないのですが」


 藤堂社長の顔に影が走った。何かを隠しているようにも、困惑しているようにも見える、読み難い表情だった。


《桜空ラボ》は、何かを隠しているのだろうか。

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