第13話 匿名希望

「《パンダ》改め《コアラ》のチート行為が確認されました。つまり、《パンダ》改め《コアラ》は、電子計算機損壊等業務妨害罪に問われます」


 自分の声が常と変わらず、安堵した。澄川の目に光が宿った。


「良かったです。プログラミングした時に、C#ではなく、C++で書いていれば、チート行為をされる確率は下がったと思うのですが。後の祭りでしたので」


「C++で書かれる場合は、実行ファイルの再現が、より困難になりますからね」


「研修中に趣味のつもりで開発したスマホゲームだったので、そこまで気が回らなかったんです」


《英雄の逆襲》は、新入社員が研修の一環で開発した代物だったのか。《英雄の逆襲》がリリースされてから、三年が経っている。

 新卒で入社したならば、澄川は二十四歳のはずだ。自分の癒しの時間を提供した人物は、同い年の同性だった。


 澄川を改めて見た。


 自身の開発したスマホゲームを荒らすチーターを警察が認識し、澄川は、華やかな笑顔を浮かべていた。自身の宝物を守ろうとする澄川は、年齢以上に大人びて見えた。


 視界の隅に、《桜空ラボ》の社員たちが見えた。いつの間にか、二十六階を覆っていた呟きは止んでいた。

 澄川から周囲に目を走らせた。《桜空ラボ》の社員たちは、同僚としてではなく、異端者として、澄川を見ていた。


 澄川は、入社直後に人気ゲームを生み出した功労者のはずだ。だが、学生の教室の中で、無言の同意で決められたように、澄川を排除しようとする空気が漂っていた。


 樽谷さんが、排他的な空気にひびを入れた。


「では、私たちは、失礼致します。捜査にご協力頂き、ありがとうございました」


 樽谷さんは、周囲の社員の目を、一人ずつ見据えていった。社員たちは、居心地が悪そうに、ある者は、視線を泳がせ、ある者は、うつむいていた。

 樽谷さんが、澄川を振り返った。


「二十六階の入館証がなく、私たちだけでは、二十六階から出られません。お手数ですが、出口まで、ご案内頂けますか」


「勿論です」と即答する澄川の声を聞くと、樽谷さんは、出口に向かって歩き始めた。樽谷さんの後ろ姿に、加賀が続いた。

 私も出口に向かって、歩き始めた。だが、続く足音が聞こえず、振り返った。


 澄川が、小柄な男性に詰め寄られていた。足の向きを澄川の方角へと変えた。

 澄川に近付くに連れて、会話が漏れ聞こえてきた。

 のっぺりとした顔が脂汗にまみれている男性がいた。男性は、自分の顔の上にある澄川の顔に唾を飛ばす勢いで、澄川を𠮟り付けていた。


「何故、杉浦さんの指示に従わなかったんだ? 後で苦労するのは、澄川ではなく、僕なんだぞ」


「風野涼太、かつて同期として共にスマホゲームを開発していた仲とは思えない言い方ね。今日の状況から、《英雄の逆襲》に関する質問を受けると分かり切っていたでしょう?」


「二十五階で杉浦さんが全て対処する、と宣言していただろう?」


「何故、開発者の私が関与してはいけないの?」


「いい加減、組織に染まれよ。澄川は、《英雄の逆襲》が売れなくなる前に、新しいスマホゲームを生み出せば良いんだよ」


「腰巾着が板に付いているね。いつから、そうなったの? 面白いゲームを作りたい、って言っていた風野は、何処どこに行ったの?」


「楽しそうなお話をされていますね。本庁に戻ろうと思いますので、二十六階から抜け出すために、澄川さんをお借りしても、良いでしょうか。永遠に、私たちに、二十六階にいて欲しければ、話は変わりますが」


 風野は、澄川から私に、視線を移した。風野は、脂汗を流したまま、杉浦とそっくりな快活な笑顔を見せた。


「どうぞ、どうぞ。お勤め、ご苦労様です」


 風野は、三十度の折り目正しいお辞儀をした。杉浦と寸分変わらない、お辞儀を向けられ、腰巾着という単語が頭に馴染んだ。

 澄川が、風野を無視して、出口へと歩き始めた。澄川に続いて歩き始めた。去り際に、風野を振り返った。


 風野は、憎たらし気に、私たちを見ていた。私の視線に気付くと、風野は、すぐさま、快活な笑みを顔面に貼り付けた。

 前方を歩く澄川の背中に視線を戻すと、澄川に問い掛けた。


「風野さんは、どのような部署で務められていらっしゃるんですか。杉浦さんに、そっくりですが」


「杉浦と二人で経理を回しています。昔は、私と同期でエンジニアでした。多忙で体を壊して、異動になったんです」


 澄川の返事は、感情がこもっておらず、素っ気なかった。

 二十六階の機密エリアから脱出した私たちは、澄川に礼を言うと、地下駐車場に向かった。樽谷さんと加賀は、覆面パトカーで、《山王グランドタワー》に押し掛けていた。


「今日ばかりは、城ケ崎さんがいて下さって、助かりました。我々では、澄川さんのお話を理解できませんでした。《パンダ》と《コアラ》の捜査令状は、捜査二課から申請します。数日後に、SSBCに、SNSの解析依頼を行うでしょう」


 にこやかな笑顔を樽谷さんから向けられると、寒気を感じた。温もりを失った掌をり合わせたくなった。

 樽谷さんは、当たり前のように、運転席のドアを開けようとしていた。


「助かったと思うならば、杉浦さんとのご関係を教えて下さい。それに、警部補の樽谷さんが運転をなされるのは――」


「頼みますから、これ以上、樽谷さんの機嫌を悪化させないで下さい」


 助手席のドアを開けようとしていた加賀が、私に駆け寄って来た。生意気そうだった加賀の顔は、苦悩に満ち溢れていた。


「私から言うべきではないですが、この場では、巡査長の加賀さんが運転すべきだと思います」


「それくらい、知っていますよ。当たり前でしょう。言っておきますが、私は、巡査部長昇任試験に合格していますから。現在、巡査部長の定員が余っていないため、巡査長に据え置かれているだけですから」


「巡査部長の私と変わらないと言いたいんですか。ですが、規則上では――」


「樽谷さんは、他人を信用しないんです。自分の命を、他人のハンドルに任せる気がないんです」


 加賀は、悟りを開いたかのように、諦観の笑みを浮かべた。加賀の諦観の笑みに、日頃の苦労が滲み出ていた。


「今日、杉浦とか名乗る人物と出会った瞬間に、樽谷さんの顔面の筋肉が動いたんですよ。樽谷さんの顔面の筋肉が動いた。つまり、樽谷さんは、感情を爆発させたんです。これ以上、樽谷さんを刺激しないで下さい」


「樽谷さんは、どんな感情を爆発させたんですか」


「樽谷さんの顔面が動く度に、樽谷さんの感情を読み解けていれば、僕は苦労していませんよ」


 加賀を改めて見た。加賀の姿から、生意気さは抜け落ちていた。武装を解いた加賀は、今にも倒れそうに見えるほど、疲弊していた。


「加賀さんの役割は、まさか樽谷さんのおもりやくだったんですか」


「年上の警部補のおもりやくですが、何か問題でも? 先月は、最終週に一回、無表情が崩れただけだったのに。今月に入ってから、まだ一週間も経っていないんですよ。城ケ崎さんは、私に心底同情して、車内では、静かにして下さい」


 数時間にしてやつれた加賀は、助手席に乗り込んんだ。運転席と助手席を支配された。巡査部長の私は、何故か、後部座席のドアに手を掛けるしかなかった。

 覆面パトカーが出発してから、車内に飛び交う言葉は、一つも存在しなかった。フロントガラスには、一見、機嫌良さ気に笑っている樽谷さんと、心身体力を使い果たした加賀の姿が写っていた。


 警視庁に戻ると、警察総合庁舎別館の四階に帰った。警察総合庁舎別館の四階に近付くに連れて、気分が高揚していった。

 私が全世界チャットに捜査情報をばら撒いた、と疑った同僚たちを思い返した。

 短時間で「リーダー」を突き止め、《パンダ》に対して捜査令状を請求できる段階まで捜査を進めた。正しい現実を思い知れば、同僚たちが何を思うか、想像するだけで、楽しかった。


 ドアを開けると、自席に戻った。パソコンに向き合っている植村の姿が見えた。

 音を立てて、椅子に座った。植村がパソコンから顔を上げた。


 腕時計を見た。時刻は、夜十時。今日の騒動の始まりから、約三時間三十五分が経過していた。


先刻さっき、桜田門駅で、植村も会った女性の本名は、七瀬恵。事情聴取で、自らが「リーダー」と認めた。《パンダ》がチート行為をしている事実も、突き止めた。SNSのアカウントが削除されてからも、短期間ではあるけれど、記録は残っている。今頃、捜査二課が《パンダ》と《コアラ》に対する捜査令状を請求する手続きを進めているでしょう」


 植村は、再びパソコンに向き直った。私は、腕組みをすると、植村をにらんだ。


「僅か三時間三十分弱で、《ビルド・アップ・マネー》の捜査に有益な情報を幾つも入手した。私が《英雄の逆襲》の全世界チャットに、《ビルド・アップ・マネー》の振込口座を投稿した、とわめいた事実を謝罪する準備は、整っている?」


「城ケ崎も、謝罪の準備は整っているか」


 植村が、パソコン画面を私に指し示した。パソコン画面を見た。私の顔から血が引いていく感覚がした。


「この「匿名希望」と名乗っているSNSのアカウントは、城ケ崎のものだろう? 「匿名希望」は、「覇者」と《パンダ》に接触している」


 植村が私を見詰めた。植村の眼光の鋭さに、心の奥底まで見透かされているように、感じた。周囲の気温が下がっていった。


「「覇者」は、「リーダー」のSNS上のアカウントだな。つまり、七瀬のアカウントだ。加えて、《パンダ》はゲーム代行業者だ。この二つのアカウントに接触してから、城ケ崎は、ダイレクト・メッセージでやり取りを行っただろう?」


 植村が、悪魔の笑みを見せた。高揚とした気分が、霧散していった。残ったものは、絶望だった。


「警察官のSNSの使用は、厳しく取り締まられている。城ケ崎は、どうやって、「リーダー」の正体を暴いた? 《パンダ》と《コアラ》に対して、捜査令状を請求できる段階まで、どうやって捜査した?」


 植村が、私のパソコンに視線を向けた。植村の口から次に吐き出されるだろう言葉を想像した。事情聴取を受けている気分だった。


「今すぐ、ダイレクト・メッセージの中身を見せろ。山内係長にも報告する」


 植村の口から、重々しく、判決が言い渡された。


 始末書で済むだろうか。もはや、自分自身の成果を山内係長に報告したくなくなった。

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