第一章:見逃された警告
「……これは、完全に人災だな」
三宮涼(さんのみや りょう)は、薄暗い自室でモニターの光に照らされながら呟いた。
28歳の天才ハッカーにして、現在はフリーランスのセキュリティ・コンサルタント。
彼の手元には、CreditGuard社から極秘に依頼された調査データがあった。
涼は、キーボードを叩きながら、攻撃の起点となったログを解析していた。
「Content-Typeヘッダーに、異常に長い文字列……。典型的な『OGNL(オブジェクト・グラフ・ナビゲーション・ランゲージ)』インジェクションか」
攻撃者は、Webサイトにリクエストを送る際、本来はファイルの種類を指定するはずのヘッダー情報の中に、不正なプログラムコードを紛れ込ませていた。
サーバーはそれを「命令」として解釈し、実行してしまったのだ。
まるで、宅配便の伝票に「家の鍵を開けろ」と書いたら、配達員が本当に鍵を開けてしまったようなものだ。
涼が呆れたのは、その手口の高度さではない。
「この脆弱性の修正パッチ、攻撃が始まる2 ヶ月も前に公開されてるじゃないか……」
そう、ドアの鍵を直す部品は、とっくに届いていたのだ。
現場がそれを「放置」しただけで。
その時、涼のスマートフォンの着信ランプが点滅した。
画面には『明日香(あすか)』の文字。
涼の表情が曇る。明日香は、CreditGuard社のシステム管理部で働くエンジニアであり、涼の大学時代の後輩。そして、涼が密かに想いを寄せている女性でもあった。
「もしもし、明日香?」
『涼先輩……私、もうダメかもしれません』
電話の向こうの明日香の声は、消え入りそうだった。
「どうした? 何があった?」
『社内調査委員会のヒアリングが終わりました。今回の情報漏洩、私のチームの責任にされそうで……』
「パッチを当てなかった件か?」
『はい。でも、私は何度も上司に申請したんです! パッチ適用にはシステムの停止が必要だから、許可をくださいって。でも、部長は「繁忙期にシステムを止めるな」「動いているものに触るな」って……』
明日香の声が涙で詰まる。
『それなのに、今になって「なぜ現場は対応しなかったんだ」って。トカゲの尻尾切りです。私、このままだと懲戒解雇かも……』
涼は強くマウスを握りしめた。
技術を軽視し、利益と安定稼働を優先した経営判断のツケを、現場のエンジニアに押し付ける。
よくある話だが、涼には到底許せることではなかった。ましてや、それが大切な後輩であり、特別な感情を抱く相手であればなおさらだ。
「明日香、泣くな。君は悪くない」
『でも、証拠がないんです。口頭でのやり取りだったから……』
「証拠なら、システムの中に残っているはずだ。君の無実を証明し、本当の犯人――攻撃者と、無責任な管理者たち――を暴いてやる」
涼の瞳に、ハッカーとしての冷徹な光が宿った。
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