第三章:パンドラの箱と希望の光

「涼君、どうすればいいの? 専務が『システムを全停止しろ』って叫んでるけど、停止コマンドすら受け付けないの!」

背景音から、怒号と悲鳴が混じり始めているのが聞こえる。事態は一刻を争っていた。遠心分離機が暴走して破壊されれば、高濃度のウラン化合物が飛散する可能性がある。六ヶ所村だけでなく、風に乗って広範囲が汚染されるかもしれない。


「強制停止が効かないなら、PLC のロジック自体を書き換えて、Vortex を無力化するしかない。でも、僕がここから遠隔操作することはできない。エアギャップがあるからな」

涼は唇を噛んだ。皮肉なことに、外部からの攻撃を防ぐための壁が、今は救援の手をも阻んでいる。

「……結奈、君がやるんだ」

『えっ? 私が?』

「僕が修正パッチのプログラムを送る。それを君のスマホで受信して、USB に移してくれ。そして、その USB を制御室のエンジニア端末に突き刺して、パッチを実行してもらうんだ」

『そんな……私、プログラムなんて分からないよ! もし失敗したら……』

「大丈夫だ、君ならできる。僕が指示する通りに動けばいい。君はあの時、僕の難解な説明を必死に理解しようとしてくれた。その粘り強さと冷静さがあればできる」

涼の声に、祈るような響きが混じった。

「僕を信じてくれ。君を守るためなら、僕はどんなコードだって書く」


一瞬の沈黙。そして、結奈の声から迷いが消えた。凛とした、芯のある声だった。

『……わかった。やる。みんなを、守りたいから』


「よし。急ごう。Vortex はまだ攻撃の手を緩めていない。次の『破壊サイクル』が始まる前に、止めるんだ」

涼はキーボードを叩く速度を上げた。

修正パッチを作成しながら、涼の額には冷や汗が滲んでいた。

相手はあまりにも強大だ。Vortex には自己防衛機能までついている。単純に削除しようとすれば、検知してシステムを道連れにクラッシュさせるかもしれない。

「くそっ、どうすれば……」

涼は頭の中でシミュレーションを繰り返す。正面突破は無理だ。なら、搦手(からめて)を使うしかない。


「奴の裏をかく。Vortex 自身に『今は攻撃すべき時ではない』と誤認させるんだ」

涼は発想を転換した。Vortex は極めて慎重なマルウェアだ。環境条件が少しでも合わなければ沈黙する。その習性を逆手に取る。

涼は、PLC の日時設定と稼働フラグを偽装するコードを書き上げた。Vortex に対して、「現在は 2050 年である」「対象機器は長期メンテナンス中である」という偽の情報を与え、強制的にスリープモードへ移行させる作戦だ。


「できた! 結奈、メールでファイルを送った。ZIP を解凍して、『Fix_Vortex.exe』を USB に入れてくれ!」

『受信した! 今、USB に移してる……よし、できた!』

「走れ、結奈! 制御室のメインコンソールだ!」


電話の向こうで、結奈が走る足音が聞こえる。

六ヶ所村の制御室では、安藤たちエンジニアが呆然と立ち尽くしていた。目の前のモニターは依然として正常な緑色だが、窓の外ではまた一台、遠心分離機が白煙を上げて停止したところだった。

「専務! 安藤さん! これを使ってください!」

結奈が制御室に飛び込み、安藤に USB を押し付ける。

「なんだこれは! 今はそれどころじゃ……」

「涼君……三宮さんが送ってくれたんです! これでシステムを直せるって! 彼はこの異常の原因を突き止めたんです!」

「あの監査の時の……?」

安藤は一瞬躊躇した。部外者のプログラムを、重要インフラの中枢に入れる。それは平時であれば即刻解雇ものの重大な規定違反だ。

「しかし、勝手なプログラムを入れるのは……」

「規定を守って死ぬ気ですか!」

スマホのスピーカーから、涼の怒号が響いた。

「相手は軍事用のサイバー兵器です。通常のリカバリじゃ止められない! 今、決断しなければ、ここだけの問題じゃ済まなくなるぞ!」


安藤は結奈の必死な目を見た。そして、窓の外の惨状を見た。

「……ええい、ままよ!」

安藤は意を決し、震える手で端末のポートに USB を差し込んだ。

「三宮さん、信じますよ!」

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