第二章:機械の中の亡霊

数分後、暗号化された通信経路を通じて、ギガバイト単位のデータが涼のサーバーに届き始めた。

涼は送られてきたデータを展開し、解析ツールに流し込んだ。

「PLC のメモリダンプ……一見すると正常な制御コードに見えるな」

画面には、ラダーロジックと呼ばれる制御プログラムの命令列が表示されている。バルブを開け、モーターを回し、温度を監視する。ごくありふれた産業用制御コードだ。


しかし、涼の違和感は消えなかった。

「綺麗すぎる。バグの一つもないなんて、逆に不自然だ」

彼は、コードの深層、人間が読むことを想定していないバイナリデータの領域に潜り込んだ。

そして、16 進数の羅列の中に、奇妙なパターンを見つけた。

「……なんだこれは」

それは、通常の制御コードの隙間に、寄生虫のように埋め込まれた別のプログラムだった。

涼は逆アセンブルを行い、その隠されたコードを人間の読める形式に変換した。

表示されたロジックを見て、涼は戦慄した。


「こいつ……特定のハードウェアを探している?」

通常のマルウェアなら、感染したらすぐに破壊活動や情報の窃取を始める。しかし、このプログラムは違った。

侵入した先で、まず「環境確認」を行っている。

『CPU はシーメンス製か?』

『接続されている周波数変換器の型番は?』

『Profibus ネットワークの構成は?』

まるで、特定のターゲットだけを殺すために訓練された暗殺者が、標的の顔写真を確認しているような慎重さだ。もし条件が合わなければ、何もしないで眠り続ける。だから今まで発見されなかったのだ。


「見つけた。……Vortex(渦)か」

コードの深層に隠された関数名を見つけ、涼は呟いた。

その動きはあまりにも静かで、あまりにも巧妙だった。

涼は、さらにその攻撃モジュールを解析した。

「目的は、遠心分離機のモーター制御……。通常 1,064Hz の回転数を、一時的に 1,410Hz まで急加速させ、その後 2Hz まで急減速させる……?」

涼はシミュレーターを走らせて、その挙動を再現した。

グラフ上の波形が大きく乱れる。

「共振だ! 回転数が変動する過程で、固有振動数と一致した瞬間に激しい振動が発生する。アルミ缶を手で握りつぶすように、遠心分離機のローターが内部から破壊されるぞ!」


さらに恐ろしいのが、「隠蔽工作」のコードだった。

涼はモニターの一角を指さした。そこには、21 秒間隔でループするセンサーデータのパターンがあった。

「『リプレイ攻撃』……。Vortex は、正常に稼働していた時のセンサーデータを録音して保存している。そして攻撃を開始すると同時に、リアルタイムのデータの代わりに、その録音データを再生して監視システムに送り込む」

オペレーターが見ているのは『過去の平和な映像』で、現実は地獄絵図というわけだ。


「なんてことを……。物理的な破壊と、それを隠蔽する情報操作。完璧な完全犯罪だ」

涼はスマホを掴み、結奈にコールバックした。

「結奈、聞こえるか! 原因が分かった!」

『涼君! 本当?』

「ああ。これは事故じゃない。人為的な攻撃だ。それも、ただのハッカーじゃない。国家レベルの組織が作った『サイバー兵器』だ」

『サイバー……兵器?』

結奈の声が裏返る。


「そうだ。このマルウェア『Vortex』は、遠心分離機を共振させて物理的に破壊するために設計されている。そして、モニターには正常な値を送り続けて、発見を遅らせているんだ」

涼の説明を聞きながら、結奈は会議室の窓から見える工場の建屋を見つめた。厚いコンクリートの壁の向こうで、あの恐ろしい金属音がまだ断続的に響いている。

『涼君、現場から報告が入ったわ。予備の系統に切り替えても、すぐに感染が広がって制御不能になるって。このままじゃ、全遠心分離機が全滅する……それに、配管に亀裂が入る恐れも……』

「結奈、工場のシステムはインターネットから隔離されているはずだよね? いわゆるエアギャップ環境だ」

『ええ、もちろん。外部回線とは物理的に繋がっていないわ。だからハッキングなんてあり得ないって、みんな言ってたの』

「そこが落とし穴だ」

涼は手元のメモに『USB』と書き殴った。

「インターネットがダメなら、物理的に持ち込めばいい。Vortex の感染経路は USB メモリだ。誰かが、感染した USB を所内で使わなかったか? 協力会社のメンテナンス PC や、従業員の私物 USB……」


その言葉に、結奈が息を呑んだ。

『……まさか。先週、外部業者がシステムのアップデートに来たわ。その時、データを移すのに USB を使っていた……』

「それだ。その USB が既に汚染されていたんだ。Vortex は Windows の自動実行機能を悪用して、USB が刺された瞬間にシステムへ飛び移る。そして LAN を通じて、ターゲットの PLC を探し出し、寄生する」


涼は頭を抱えたくなった。物理的な隔離(エアギャップ)は、もはや安全神話に過ぎなかった。スパイ映画のように、たった一本の USB メモリが、堅牢な原子力施設を陥落させたのだ。

さらに解析を進めると、絶望的な事実が判明した。

「嘘だろ……ゼロデイ脆弱性が 4 つも?」

Windows のショートカットファイルの脆弱性、プリントスプーラーの脆弱性、PLC のハードコードパスワード……。通常、未知のセキュリティホール(ゼロデイ)は 1 つ見つかるだけでも大騒ぎになり、数千万円で取引されることもある。それが 4 つも同時に、一つのマルウェアに組み込まれている。

「これは……一介の犯罪組織じゃない。国家予算レベルの資金と、天才的な技術者集団が作ったものだ。僕たちは今、見えない『軍隊』と戦っているんだ」

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