なりかけの日常
「やべっ、寝すぎたか?」
意識の糸を握りながら仮眠をしていたはずが、その糸がスルッと抜けていたことに気づいて跳ね起きる。
慌てて壁の時計を見ると、エリーが帰ってくるまでまだ15分。
丁度いい時間か。
グッと固まっていた息を吐きだすと、ブランケットを畳んでソファに置き、料理の仕上げを始める。
料理の温めなおしも兼ねた味付けが終わったところで玄関から音と気配。
「ただいまー」
「おかえりー」
玄関からの声に返事を返すが、声の主はリビングへは訪れない。
エリーはいつもリビングに来る前に自室で楽な恰好に着替えてから来る。俺が来る前からそういう習慣らしい。
そのまま電気ポットでお湯を沸かしているとリビングのドアが開く。
「ふぅ。今日も疲れたー」
「おかえり」
「ただいま」
さっきやったやり取りをリビングで改めてする。これもすっかり日々のルーティーンだ。
「手ぇ洗うー」
「ほいよ」
長めの髪をゴムで纏めアニメ映画のロンTにジャージを履いたエリーは、スリッパの音をパタパタ鳴らしつつ袖を捲りながら流しへ歩いてくる。
黒い髪に黒目がちな瞳。薄い唇に小さな鼻筋。
どこからどう見ても日本人だが、エリー。
本名はエミだが、エリー。
昔からそう呼んでいるけど、今となってはジョゼみたいでカッコいいなと思う。口にしたことはないが。
エリー。小学生の頃に読んでいた小説からモジって付けた名前らしい。
それをカッコいいと思った俺は自分にカカシというあだ名を付けた。
ちなみに忍者は関係がない。世代の割に読んでいなかったし。
好きだった曲と、去り際が綺麗でカッコよかったキャラクターから引用したものだ。
あの頃がエリーと一番仲が良かったから、2人でお互いを呼ぶときだけに使っていた少しだけ特別なあだ名。
「シェフー、今日の献立はー?」
「今日は米も含めてワンプレートだから好きなだけ盛って、そのあとこの米と一緒に炊いた鶏ムネとズッキーニをのせてくれ」
「すごい。ナシゴレンみたいな?」
「炒めてないからカオマンガイとかシンガポールチキンライスだな。厳密にはどっちでもないかもしれないけど」
ネットで拾ってきたレシピだから料理名は把握してないし、確かどの名前でもなかった気がする。
「あとはそこのフライパンの中にエビチリが作ってあるからそれもプレートに盛ってくれ」
「おー多国籍だね」
「そう言われるとエビチリは非常にややこしいなぁ……」
そういうくだらない話をしながらテーブルに着く。
「いただきます」
「いただきます」
両手を合わせ、しっかりとしたいただきますをする。
今までの人生ではそんなにしてこなかったが、エリーがやっているので流れでやっている。
「うーん今日も美味しいね」
「そりゃどうも。つっても──」
「レシピがすごいだけ、って言うんでしょ?」
思わずエリーの顔を見ると口を真一文字にしてこっちを見ていた。
エリーは俺が自分を下げるようなことを言うと良い顔をしない。
「……ま、料理の腕は置いといてレシピを探すリサーチ力と、お客様の好き嫌いを覚えてる記憶力は誇ってもいいかな」
「うんうん。頼もしい専属シェフを持って私も鼻が高いよ」
「どっちかっていうと専業主夫だけど」
「それはそうかも」
再び穏やかな雰囲気に戻ったのを感じ、心の中で安堵する。
まだ俺たちは絶妙にお互いの距離を掴みかねている。
久々に会った幼馴染だからっていうのは勿論だけど,お互いに電車に身投げをしようとしたところで再会してしまったんだ。こうやって一緒に晩飯を食べているだけでも奇跡的と言っていい。
あの日、エリーを止めてしまった後、俺はどうすればいいのか分からなかった。
なんで止めてしまったのかも、自分自身どうしたかったのかも分からなかった。
でも飛び込もうとしていたのがエリーだと分かった瞬間、とにかくエリーから死を遠ざけたかった。
その為に俺は色んな言葉を尽くした。
その目に光が戻るまで、色んなことを話した。
俺も同じことをしようとしていたことまで。
初めてそこでエリーは感情を見せてくれた。
驚きと、あと何か。
そこからエリーは言葉を返してくれるようになり、もう急行が来なくなる時間まで泣いていた。
何故か、俺も泣いていた。
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