第2話:死神学校の異端児と、最凶の辞令

――今から一週間前のことだ。


 私、久条蓮(クジョウ レン)が、あの「手のかかるお姫様」と出会った日のことを回想するには、まずこの世界の仕組みについて少し整理する必要があるだろう。


 世界は、二つの層(レイヤー)で構成されている。

 一つは、人間たちが暮らす物質世界――『現世(リアル)』。

 もう一つは、私たちが住まう魂の管理所――『冥界(アンダー)』。


 冥界の空には、太陽の代わりに永遠に満ち欠けを繰り返す青白い月が浮かんでいる。

 地平線の果てまで続くのは、無機質な黒曜石の塔と、魂の循環を管理する巨大な歯車の音だけ。

 ここには「死」はあるが、「生」がない。色彩も、情熱も、味覚さえも希薄だ。

 だからこそ、私たちは現世へ赴く。

 あちら側で熟した魂を収穫し、循環のエネルギーとするために。


「――主席、久条蓮。前へ」


 厳粛な声が、大講堂に響き渡った。

 私は思考を切り替え、大理石の床を靴音高く歩き出した。

 今日は『冥府国立魂魄管理アカデミー』の卒業式。

 演壇の上では、長い髭を蓄えた学長が、卒業証書を片手に私を見下ろしている。


「筆記、実技、共に満点。創立以来の最高得点での卒業だ。おめでとう」

「光栄です」


 私は短く答えて、証書を受け取った。

 背後から、同期たちのざわめきが聞こえる。

 称賛の声ではない。「変わり者」「人間かぶれ」「異端のプロフェッサー」……そんな囁き声だ。

 無理もない。

 多くの死神にとって、魂は「燃料」であり、人間は「家畜」に過ぎない。恐怖で支配し、大鎌で刈り取るのが美徳とされる。

 だが、私は違う。

 恐怖で強張った魂は味が落ちる。対話によって解きほぐされた魂こそが、最も純度が高い――それが私の提唱する理論だ。


「久条。式典の後、学長室へ来なさい。辞令を伝える」

「……承知いたしました」


 学長の含みのある視線に、私は微かに眉を寄せた。

 通常、配属先は郵送で届く。呼び出しを受けるなど、ろくな予感がしない。


 ***


 その予感は、最悪の形で的中した。

 重厚なマホガニーの机の上に、一枚の資料が放り投げられる。


「特別遊撃班への配属を命じる」

「遊撃班、ですか」

「単刀直入に言おう。君には、ある死神の『お守り』をしてほしい」


 学長が指差した資料には、一人の少女の写真があった。

 漆黒のドレス。人形のように美しい顔立ち。そして、カメラ越しでも伝わってくる禍々しい殺気。

 私はその識別名(コードネーム)を見て、思わず眼鏡の位置を直した。


「……『処刑姫』エリザ・ノワール。魂魄回収数、全死神中ランキング1位。……これほどの傑物が、なぜ新人の補佐を?」

「傑物? あれは災害だ」


 学長が頭を抱えて、深い溜息をついた。


「彼女の戦闘能力は最強だ。だが、現世への適応能力が皆無なのだよ。先月の任務報告を見たまえ。悪霊ごと高層ビルを両断、信号機を破壊して交通麻痺、コンビニの自動ドアに挟まってガラス粉砕……」

「…………」

「彼女が動くたびに、組織の隠蔽工作費と賠償金で予算が消し飛ぶ。このままでは冥界が破産だ」


 学長は血走った目で私を見た。


「彼女の手綱を握れるのは、現世の文化に精通し、かつ冷静な判断力を持つ君しかいない。……頼んだぞ、主席」

「……拒否権は?」

「ない。断れば、君の卒業を取り消して初等部からやり直しだ」


 私は天を仰ぎたくなった。

 エリート街道まっしぐらのはずが、まさか「猛獣使い」に任命されるとは。

 だが――資料の中の少女の瞳に、私は奇妙な興味を惹かれていた。

 深淵のような黒。そこには、他の死神たちが持つ「傲慢さ」とは違う、どこか空虚な孤独が見えた気がしたからだ。


「……了解しました。その辞令、お受けします」


 ***


 冥界と現世を繋ぐ『境界門(ゲート)』をくぐり、私は人間界へと降り立った。

 場所は、日本の地方都市にある廃工場エリア。

 到着した瞬間、肌を刺すような濃密な瘴気(しょうき)を感じた。


「――グオオオオォォッ!!」


 工場の屋根を突き破り、黒いヘドロのような巨人が咆哮を上げている。

 『歪み(ディストーション)』――未練が暴走し、異形化した悪霊だ。

 そして、その巨人の前に、ちっぽけな黒い影が浮いていた。


「……遅い」


 鈴を転がしたような声。

 漆黒のゴシックドレスを夜風にはためかせ、彼女――エリザ・ノワールは、身の丈を超える大鎌を片手で構えていた。


「チョコマカと逃げるな。面倒くさい」


 彼女の鎌に、膨大な魔力が収束していく。

 まずい。あんな質量の大技を放てば、悪霊どころか、この廃工場一帯が吹き飛ぶ。背後にある民家もただでは済まない。


「消えろ――『断罪(パニッシュ)』」

「そこまでです!」


 私は叫ぶと同時に、懐から「黒い雨傘」を取り出した。

 霊力を注ぎ込み、開く。

 傘の布地が硬質化し、多重の防御結界が展開される。


 ――ズガァアアアンッ!!


 エリザの一撃が結界に衝突し、凄まじい衝撃波が周囲を薙ぎ払った。

 私は歯を食いしばり、靴底をアスファルトにめり込ませながら耐える。


「……なんだ、貴様は」


 土煙が晴れると、エリザが不機嫌そうに私を見下ろしていた。

 その瞳には、明確な殺意が宿っている。


「私の獲物を横取りする気か? 殺すぞ」

「人聞きの悪い。横取りではなく、損害管理(リスクマネジメント)です」


 私はスーツの襟を正し、名刺を差し出した。


「本日付けであなたの補佐に着任しました、久条蓮です。……先輩。そこを撃てば、悪霊は倒せても工場と民家が消滅します。賠償金は、あなたの給料300年分ですがよろしいですか?」

「……金(カネ)?」


 エリザの動きが一瞬止まる。

 彼女にとって、賠償金による「減給」はトラウマになっているらしい。

 その隙を見逃す私ではない。


「今です」


 私は傘を持ち替え、懐から愛用の二丁拳銃(デュアル・ハンドガン)を抜いた。

 照準を合わせる。狙うのは、巨人の胸部に埋め込まれた「未練の核(コア)」。

 引き金を引く。


 ――パン、パンッ!


 乾いた銃声と共に、放たれた呪弾が正確に核を撃ち抜いた。

 巨人の動きが止まり、咆哮が悲鳴に変わる。


「コアを露出させました! トドメを!」

「……チッ。指図するな、眼鏡!」


 エリザは悪態をつきながらも、大鎌を一閃させた。

 今度は余計な魔力を乗せず、純粋な斬撃のみで。

 巨人は真っ二つに両断され、黒い粒子となって夜空へ消えていった。


 被害はゼロ。完璧な仕事だ。

 私は安堵の息をつき、眼鏡を押し上げた。


「……生意気な新入りだ」


 エリザが降り立ち、私を睨みつける。


「私の邪魔をするなら、次はお前を刈る」

「それは困ります。私はあなたの財布の管理も任されていますから」

「財布……?」


 こうして、私と彼女の「最悪」な出会いは幕を開けた。

 だが、本当の地獄はここからだった。


 ***


 それから三日後。

 私は、公園のベンチで死にかけている「最強の死神」を発見した。


「……うぅ……」


 エリザがぐったりと横たわっている。

 その肌は普段以上に白く、指先に至っては半透明に透けて、向こう側の景色が見えていた。

 霊力枯渇(ガス欠)。

 現世で実体を維持するエネルギーが切れかけ、消滅寸前だ。


「先輩!? 何をしているんですか!」

「……め、がね……?」


 私が駆け寄ると、エリザは虚ろな目で私を見た。


「……腹が、減った……」

「食事は? 冥界から持ってきた携行食があるでしょう」

「全部食べた……一昨日」

「じゃあ現地調達を……まさか」


 私は嫌な予感がして、彼女のポケットを探った。

 出てきたのは、冥界で流通している重厚な金貨と、怪しげな宝石だけ。

 日本円は、一円もなかった。


「……コンビニで、握り飯を買おうとしたら……店員に、怒鳴られて……」

「偽金使いだと思われたんですね……」

「……私は、ここで死ぬのか……?」

「死にませんよ! あなたが消えると私の評価まで下がるんです!」


 私はため息をつき、彼女の華奢な体を背負い上げた。

 軽い。羽毛のように軽い。

 ランク1位の強大な魔力を維持するには、莫大なカロリーが必要なのだ。それを三日も絶食していれば、こうもなる。


「しっかりしてください。すぐに特効薬を投与します」

「……薬は、苦いから嫌だ……」

「甘いですよ。とびきりね」


 私は彼女を背負ったまま、駅前の繁華街へと走った。

 目指すは、女子高生たちが長い行列を作る、あの店だ。


 十分後。

 私はベンチに座らせたエリザの口に、極太のストローを突っ込んでいた。


「……なんだこれは。カエルの卵か……?」

「いいから飲んでください。最高級の糖分です」


 エリザは疑わしげに、恐る恐るストローを吸い込んだ。

 瞬間、彼女の深紅の瞳が、カッと見開かれた。


「……んッ!?」

「どうですか?」

「……甘い。もちもち、している……」


 一口、また一口。

 彼女は猛烈な勢いでタピオカミルクティーを吸引し始めた。

 みるみるうちに、透けていた指先に色が戻り、肌に生気が宿っていく。

 Lサイズのカップが空になる頃には、彼女は完全復活を遂げていた。


「……ふぅ。悪くない」


 エリザは満足げに唇を舐め、私を見上げた。

 その眼差しは、廃工場で向けられた殺意とは違う、獲物を見るような――いや、「便利な道具」を見るような色を帯びていた。


「眼鏡。お前を認めてやる」

「はぁ。それはどうも」

「お前は今日から、私の『財布兼食料管理係』だ。光栄に思え」

「……組織からは『監視役』と『相棒(バディ)』を仰せつかっているんですがね」


 私はやれやれと首を振った。

 だがまあ、これで少なくとも「会話」は成立するようになった。

 日本円を持たない最強の死神と、彼女の生殺与奪の権(財布)を握るエリート新人。

 奇妙な共依存関係の成立だった。


「行くぞ、相棒。おかわりだ」

「……はいはい。領収書、忘れないでくださいよ」


 私は空になったカップを受け取り、わがままなお姫様の後を追った。

 これが、私たちが「バディ」になった経緯のすべてだ。

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