第3話:深夜のコンビニと、至高のプリン
都市の片隅、ビル群の狭間にひっそりと佇む、ツタに覆われたレトロな雑居ビル。
その最上階に、私たちの拠点――『黄昏(たそがれ)心霊探偵事務所』はある。
表向きは、心霊現象の相談からペット探しまでを請け負う探偵事務所。
だが実態は、冥界から派遣された死神が人間界に駐在するための隠れ蓑だ。
「……はぁ」
私はリビングのテーブルで、電卓を叩きながら深いため息をついた。
目の前には、請求書の山。
・信号機の修繕費
・ビルの外壁補修費
・目撃者への記憶操作費用
すべて、我が相棒である「処刑姫」が任務中に派手に暴れ回ったツケである。
これらの賠償金は、すべて私たちの給料から天引きされるシステムになっている。理不尽だ。
「……おい眼鏡。溜め息をつくな。空気が湿気る」
ソファの方から、不機嫌な声が飛んできた。
視線を上げると、漆黒のゴシックドレスを着た少女――エリザ・ノワールが、行儀悪く寝そべっている。
彼女はこの数日、私の部屋(事務所兼自宅)に転がり込んでいる。
いや、正確には「居座っている」と言うべきか。
「誰のせいで頭を抱えていると思ってるんですか、先輩」
「知らん。私は悪を滅ぼしただけだ。感謝しろ」
「滅ぼすのは悪霊だけにしてください。公共物まで巻き込まないで」
私は眼鏡を外し、眉間を揉んだ。
「タピオカ事件」以来、日本円を持たない彼女の生活は、私が全面的に面倒を見ることになった。
衣食住、すべて私頼み。
いわば私は、最強の死神の「飼い主」兼「財布」だ。
「……腹が減った」
エリザがむくりと起き上がり、虚ろな目で私を見た。
「夕飯は食べたでしょう」
「足りん。私の魔力タンクは燃費が悪いのだ。……何か甘いものを寄越せ」
「ありませんよ。冷蔵庫は空っぽです」
「なら買いに行け。今すぐにだ」
「……言われなくても行きますよ。これから『仕事』ですから」
私はジャケットを羽織り、ネクタイを締め直した。
死神としての仕事ではない。
減り続ける家計を補填するための、副業(アルバイト)の時間だ。
「留守番できますか?」
「断る。この部屋にはテレビも魔道書もない。退屈で死んでしまう」
「……じゃあ、ついて来ますか?」
「フン。護衛してやる」
エリザはふわりと立ち上がり、私の背後にぴったりとくっついた。
やれやれ。
こうして私は、最強のお荷物(パートナー)を連れて、深夜の街へと繰り出すことになったのだ。
***
深夜二時。
都市の喧騒が眠りにつき、静寂が支配する時間帯。
煌々と明かりを灯すコンビニエンスストアの自動ドアが開き、入店音が店内に響き渡った。
「いらっしゃいませー」
レジカウンターの中で、私――久条蓮は、完璧な営業用スマイルを浮かべて頭を下げた。
私が選んだバイト先は、深夜のコンビニエンスストア。
理由は単純。時給が良いことと、廃棄弁当がもらえること。そして何より、「死の気配」が濃厚になりやすい深夜の街をパトロールできるからだ。
(……平和ですね)
客足が途絶え、店内に有線のジャズだけが流れる。
私は品出しの手を休め、雑誌コーナーの方へ視線をやった。
そこには、立ち読みをするサラリーマンの隣に、一般人には見えないよう認識阻害をかけたエリザが、体育座りをしていた。
「……暇だ。眼鏡、帰るぞ」
「仕事中ですよ、先輩。あと商品は読まないでください」
私は唇を動かさずに、念話だけで返事をした。
彼女は放っておくと、店内の商品を勝手に食べかねない。監視が必要なのだ。
「腹が減った」
「さっき廃棄のおにぎりを食べたばかりでしょう」
「米など空気と同じだ。……甘いものが必要だ」
エリザは不機嫌そうに立ち上がると、カゴを片手に店内を徘徊し始めた。
やれやれ。また私のバイト代が減る予感がする。
数分後。
エリザがドン、とカゴをレジ台に置いた。
「これを所望する。会計しておけ」
「はいはい……って、先輩?」
私はカゴの中身を見て、眉をひそめた。
入っていたのは、以下の通りだ。
・海苔の佃煮
・ブラックチョコレート
・イカスミパスタソース(レトルト)
・黒飴
ここまではいい。問題は残りの二つだ。
・竹炭配合・洗顔フォーム
・黒綿棒
「……なんですか、この闇属性のラインナップは」
「知れたこと。黒は闇の色だ。私の魔力を最も効率よく回復させる」
「あのですね……タピオカで復活したからって、黒ければ何でもいいわけじゃありませんよ」
私はカゴから洗顔フォームと綿棒を取り出した。
「これは食べられません。口に入れたら泡を吹いて死にます」
「なっ!? 貴様、私に毒を盛ろうとしていたのか?」
「あなたが勝手に持ってきたんでしょう。……はぁ。とりあえず食べられるものだけ買っておきますから、大人しくしていてください」
私は溜息をつきながら、従業員割引でチョコと海苔を購入した。
エリザは「チッ、ケチな男だ」と悪態をつきながら、その場でブラックサンダーを齧り始めた。
最強の死神の威厳は、もはや欠片もない。
その時だ。
私は、デザートコーナーの前に「異物」がいることに気がついた。
「……あいつ、まだいるな」
プリンが陳列された棚の前。
そこに、少し透けたサラリーマンの男が立っていた。
生きた人間ではない。死後数日が経過した地縛霊だ。
彼はここ数日、毎晩こうしてプリンの棚を亡霊のように(実際、亡霊なのだが)見つめ続けている。
エリザもチョコを齧りながら、その霊に気づいたようだ。
「……邪魔だな。あの浮遊霊」
エリザが瞳を剣呑に細める。
「私のデザート物色の邪魔だ。眼鏡、許可する。刈り取ってしまえ」
「待ってください。彼、悪霊化はしていませんよ。ただの未練持ちです」
「知らん。そもそも、あいつが見ている『黄色い物体(プリン)』が気に食わん」
「プリンですが?」
「黄色は膨張色だ。あんな軟弱な色の食べ物に、魔力などあるはずがない。見るだけで腹が立つ」
エリザは偏見に満ちた暴論を吐き捨てると、虚空から大鎌を取り出そうとした。
まずい。店内で鎌を振り回されたら、プリンごと棚が消し飛ぶ。
「ストップ! 私が対応しますから!」
私は慌ててレジを出て、「休憩入ります」とバックヤードに向かうフリをして、指を鳴らした。
――灰色の境界、展開。
世界から色彩が消え、時間が停止する。
私は、プリン棚の前の霊に歩み寄った。
「こんばんは。少しよろしいですか」
「……あ、あぁ……」
男は力なく私を見た。その顔色は土気色で、過労の相が出ていた。
「あなたはもう死んでいます。お分かりですね?」
「……はい。終電の後、駅の階段で胸が苦しくなって……気づいたら、ここに」
「なぜ、成仏せずにここへ? 何か心残りが?」
男は、震える指で棚の一角を指差した。
そこには『発売延期』の札が貼られたスペースと、本日入荷したばかりの新作商品があった。
『プレミアム極(きわみ)プリン』。一個五百円もする高級品だ。
「……これを、食べたかったんです」
「プリン、ですか」
「笑うでしょう? でも、俺……毎日残業続きで、唯一の楽しみがコンビニスイーツの新商品で……。このプリン、発売延期になってて、やっと今日入荷されたのに……死んじゃって、触れないんです」
男が泣き崩れる。
小さな未練かもしれない。だが、本人にとっては死んでも死にきれないほどの渇望なのだ。
「……くだらん」
背後でエリザが鼻を鳴らした。
だが、私は構わず棚から『極プリン』を一つ手に取った。
そして、霊に向かって差し出す。
「どうぞ。私が許可しました。これなら、あなたでも味わえます」
「え……いいんですか? 」
「ええ。私の奢りです」
男はおそるおそるプリンを受け取り、蓋を開けた。
一口、口に運ぶ。
途端に、男の目から大粒の涙が溢れ出した。
「……うめぇ……。濃厚だ……」
「それは良かった」
「あぁ……生きててよかった……いや、死んでるけど。でも、やっと報われた気がします……」
男は泣きながら、それでも幸せそうにプリンを完食した。
憑き物が落ちたように、彼の体が光の粒子となって崩れていく。
「ごちそうさまでした。ありがとう……」
最期に深々と頭を下げ、男は消滅した。
美しい成仏だ。
私は空になった容器をゴミ箱に捨て、境界を解除しようとした。
「……眼鏡」
いつの間にか、エリザが背後に立っていた。
彼女は、棚に残った最後の『極プリン』をジッと睨んでいる。
「そんなに美味いのか? その軟弱な色の塊は」
「気になりますか?」
「まさか。黄色など認めん。だが……死人が泣いて喜ぶほどの味というのは、検証の余地がある」
素直じゃないな、この人は。
私は苦笑し、最後の一個をカゴに入れた。
「じゃあ、これも買いましょう。私の奢りです」
「フン。毒見をしてやるだけだ。感謝しろ」
***
境界を解除し、レジで会計を済ませた後。
私たちは店の裏口で、プリンを開封した。
「……やはり気に入らん。なんだこのふざけた黄色は」
エリザはスプーンを持ったまま、警戒心剥き出しでプリンを突っついている。
「黄色は卵の色ですよ。栄養満点です」
「黒くない食べ物に用はない」
「おや、知りませんか先輩? プリンという食べ物は、見かけによらないんですよ」
私は眼鏡を光らせ、悪魔的な囁きを口にした。
「底を見てください。そこには**『カラメルソース』**という、漆黒の液体が眠っているんです」
「……なんだと?」
エリザの表情が変わった。
彼女は容器を持ち上げ、底を覗き込む。確かにそこには、黒い液体が溜まっている。
「……本当だ。闇が、封印されている」
「ええ。上の黄色い部分は、その闇を封じるための蓋に過ぎません。混ぜて食べることで、真の力が解放されるのです(適当)」
「……なるほど。理にかなっている」
エリザは私のデタラメにあっさり納得し、スプーンを突き刺した。
底のカラメルを掬い出し、カスタードと絡めて口へ運ぶ。
ぱく。
一瞬の静寂。
夜風が、彼女の黒髪を揺らす。
次の瞬間、エリザの深紅の瞳孔がカッと開いた。
「……!!」
「どうですか?」
「……苦い。いや、甘い……? 深い闇の味がする……!」
エリザのスプーンが加速した。
一口、二口。あっという間に高級プリンが彼女の胃袋へ消えていく。
「悪くない……いや、見事だ。この『カラメル』という黒い闇、タピオカに匹敵する魔力を感じる……!」
「(ただの焦がし砂糖ですけどね)」
「眼鏡! 明日の配給はこれにしろ。一日三個だ!」
「……三個も食ったら太りますよ、お姫様」
私は空になった容器を満足げに眺める彼女を見て、小さく笑った。
チョロい。
だがまあ、機嫌が直ったのなら安いものだ。五百円だけど。
こうして、最強の死神の好物リストに、また一つ「黒い(と信じ込んだ)食べ物」が追加されたのだった。
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