第42話 グレイブスの焦燥と「黒いバラ」の納期
魔法薬学準備室の隠し扉の奥、薄暗い地下研究室。
そこには、かつてのエリート教師の威厳など見る影もない、一人の男がいた。
「くそっ……! くそぉぉぉぉッ!!」
グレイブスは、実験台に拳を叩きつけた。
ガシャン、とフラスコが床に落ちて砕け散るが、彼は気にする余裕すらなかった。
彼の目の前には、一枚の黒い封筒が置かれている。
封蝋には、荊棘(いばら)の絡みついた薔薇の紋章――闇の組織『黒いバラ』の刻印が押されていた。
手紙の内容は、至極簡潔だ。
『納期は明日正午。契約通りの品(新型ドラッグの原液)を納品せよ。失敗に対する慈悲はない』
グレイブスの顔から血の気が引いていく。
震える指が、自身の首筋を掻きむしる。
「ない……。ないのだ! 肝心の『材料』が!」
新型ドラッグの精製には、彼が心血を注いで作り上げた合成魔獣(キマイラ)の体液が必要不可欠だった。
だが、そのキマイラの失敗作(廃棄ヘドロ)は、何者かによって持ち去られた。
さらに、その行方を探るために放った数百匹の「強化ネズミ」たちも、先ほど全滅した。
通信用の水晶玉が、反応を示さない。
あれだけ大量に放った使い魔の生体反応が、一瞬にして、同時に消失したのだ。
「ありえん……! たかが掃除婦一匹の隠れ家に、ドラゴンでも飼っているというのか!?」
グレイブスは髪を振り乱し、狂ったように部屋の中を歩き回った。
魔法による追跡は、洗浄された。
物理的な捜索は、殲滅された。
だが、納期は待ってくれない。明日までに納品できなければ、組織はグレイブスを「用済み」として処理するだろう。物理的に、だ。
「……こうなれば、手段を選んでいられるか」
彼は立ち止まり、歪んだ笑みを浮かべた。
その目は、すでに理性の光を失い、ドス黒い狂気だけが宿っていた。
「直接、叩く。あの不潔な掃除女を捕らえ、拷問にかけてでも『私の宝』のありかを吐かせる」
彼は棚から、禁忌の薬物が詰まったアンプルと、人間を拘束するための魔道具を掴み取った。
「待っていろ、ドブネズミ。貴様がどこの組織の工作員だろうと関係ない。私の研究を邪魔した報い……たっぷりと受けさせてやる」
◇
一方その頃。
地下スパのバックヤードでは、戦いの後の静寂(と悪臭)が漂っていた。
「うっわ……。改めて見ると地獄絵図ね」
私は鼻をつまみながら、部屋の隅に山積みになった「黒いゴミ袋」を見下ろした。
中身は、もちろん先ほどベアトリクス様が瞬殺した数百匹のネズミたちだ。
ベアトリクス様は「いい汗をかいた」と満足げに帰宅されたが、残された私は死体処理(後始末)に追われていた。
「きゅ~(くさい~)」
ぷるんちゃんも嫌そうに顔をしかめている(スライムに顔はないけど、雰囲気で分かる)。
「我慢なさいぷるんちゃん。これは『証拠』なんだから」
私はゴム手袋を装着し、ピンセットを手に取った。
ただ処分するだけじゃ、プロの清掃員とは言えない。
ゴミには、持ち主の生活情報(プライバシー)が詰まっている。
これだけの量の「害獣」を送り込んできた相手に対し、こちらも相応の「お礼」をするためには、情報が必要なのだ。
「さて、解剖(ブンベツ)の時間よ」
私は、一番太ったネズミの死体を実験台に乗せた。
『精密洗浄眼(クリーナーズ・アイ)』、解析モード起動。
ピピッ。
視界が青く反転し、ネズミの体内構造が透けて見える。
魔力で強化された筋肉、不自然に肥大化した嗅覚器官。間違いなく錬金術による改造生物だ。
「問題は、こいつらが『どこ』から来たか、だけど……」
私はメスを入れ、胃袋を取り出した。
うげぇ、グロテスク。でも、これも老後資金のため。
胃の内容物をシャーレに広げ、拡大解析を行う。
ドブのヘドロ、配管の錆、カビ……。
一般的な下水道の汚れだ。これだけじゃ場所の特定は――。
ピピピッ!
アラートが鳴った。
私の視線が、ヘドロの中に混じった「微細な粒子」に釘付けになる。
「……見つけた」
ピンセットで摘み上げたのは、砂粒よりも小さな、二種類の物体。
一つは、鮮やかな青色をした苔の断片。
もう一つは、キラキラと輝く、ガラス質の粉末。
【解析結果1:『深淵の青苔(ディープ・ブルー・モス)』】
・特性:高濃度の魔力汚染地帯かつ、湿度が90%以上の暗所にのみ自生。
・分布エリア:学園地下水道・第4ブロック『旧・排水処理施設』最深部のみ。
【解析結果2:『高純度・魔力結晶(マナ・クリスタル)の粉塵』】
・推定価格:1グラムあたり金貨10枚相当の魔石を、加工した際に出る削りカス。
「…………へぇ」
私の口角が、自然と吊り上がった。
場所は割れた。
『旧・排水処理施設』。数十年前に廃棄され、今は立ち入り禁止になっているエリアだ。
あそこなら、人の目を避けて大規模な実験施設を作ることができる。
だが、私が注目したのはそこじゃない。
二つ目の解析結果だ。
『高純度・魔力結晶の粉塵』。
「ネズミがこれを飲み込んでいたってことは……その巣(アジト)には、日常的に高級な魔石を削ったり加工したりする設備があるってことよね?」
私の脳内で、そろばんを弾く音が高速で響き渡った。
魔石を精製するための遠心分離機。
魔力を安定させるための恒温槽。
そして何より、そんな高価な実験を行えるだけの「裏金」の存在。
「きゅッ?(たから?)」
ぷるんちゃんが、私の邪悪な気配を察知して小首をかしげる。
「ええ、そうよぷるんちゃん。これはただのゴミじゃないわ」
私はピンセットを置き、ゴム手袋をパンッ! と鳴らして外した。
今まで私は、「平穏な生活」を守るために逃げ回っていた。
でも、向こうから私のテリトリーにゴミを投げ込んできたのだ。
これは宣戦布告と受け取っていいわよね?
それに、あんな高価な粉塵が出るような場所なら、きっと私のスパをさらにグレードアップさせるための「素敵な粗大ゴミ(機材)」がたくさん眠っているに違いない。
「やられっぱなしは趣味じゃないの」
私は壁の清掃用具入れを開け放った。
そこには、私のとっておきの装備が眠っている。
対・高濃度汚染区域用フルフェイスマスク。
耐酸性・耐魔力コーティング済みの作業着。
そして、改造に改造を重ねた、吸引力300倍の『魔導バキューム・クリーナー(改)』。
「ぷるんちゃん、出動準備よ」
「きゅイッ!(アイアイサー!)」
私は瞳に、¥マークの炎を燃え上がらせた。
「方針変更。防衛戦は終了」
私は不敵に笑った。
「これより、害獣の発生源(グレイブスの工房)への『大掃除(クリアリング)』を開始するわ。……根こそぎ、ピッカピカに回収してあげるから覚悟しなさい!」
グレイブス先生。
あなたは知らなかったでしょうね。
掃除屋(クリーナー)を怒らせると、汚れだけでなく、財産も社会的地位も、すべてきれいに「洗浄」されてしまうってことを。
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