第43話 逆襲の大掃除計画(クリアリング・ミッション)
地下スパ『ロイヤル・スライム・スパ』の支配人室。
重厚な革張りのソファに深く腰掛けたマーサ・ヴァン・ダインは、私が提出した「害獣駆除に関する報告書(兼・略奪許可申請書)」を、優雅な手つきで読み上げていた。
「……なるほど。当寮の地下施設に侵入した数百匹のネズミは、立ち入り禁止区域である『旧・排水処理施設』から発生したものである、と」
「はいぃ、さようでございますぅ」
私は直立不動で、揉み手をしながら答えた。
今日の私は、いつもの清掃員スタイルではない。
対魔力コーティングが施された純白の防護服に、ガスマスク(今は首にかけている)、そして背中には、改造に改造を重ねた魔導吸引機『ダイソン・改(吸引力三〇〇倍)』を背負った、完全武装モードである。
「アリア。貴女の調査によると、その『発生源』には、高価な魔石の粉塵や、錬金術の実験廃棄物が大量に存在する……という見解で間違いないかしら?」
マーサ先生が、眼鏡の奥で鋭い光を放った。
その瞳は、獲物を狙う猛禽類のようにギラついている。
「はいぃ! ネズミさんの胃袋から発見された残留物は、市場価格にして金貨数枚分の純度を持っておりましたぁ! これほどの素材を垂れ流す場所には、必ずや……その、さらに高価な『発生源(機材)』が眠っているかと!」
私は言葉を選びつつ、本音(お宝の匂い)を滲ませた。
マーサ先生は、ふふっ、と艶やかに笑い、書類にサインをした。
「よろしい。害獣の駆除は、寮監である私の義務ですもの。学園の衛生環境を守るため、その『発生源』を徹底的に掃除しなさい」
彼女はサインした書類を私に手渡すと、意味深に付け加えた。
「ただし……現場で発見された『落とし物』に関しては、当スパの運営備品として『有効活用』させていただきます。……分かっているわね?」
「もちろんでございますぅ! すべてはスパの発展と、先生の美肌のために!」
悪魔の契約成立だ。
これで私は、大手を振ってグレイブスの隠し工房へカチコミ……もとい、お掃除に向かうことができる。
「行って参りますぅ!」
私は深々と頭を下げ、部屋を飛び出した。
背中で「期待しているわよ、掃除屋さん」という、頼もしくも恐ろしい声を浴びながら。
◇
地下水道、第3ブロック。
ここはまだ学園の管理下にあるエリアだが、空気は湿り気を帯び、カビと鉄錆の臭いが充満していた。
「きゅ~(くさい~)」
私の肩に乗ったぷるんちゃんが、不快そうに身をよじっている。
「我慢なさいぷるんちゃん。この先に、あなたが大好きな魔石(おやつ)と、私が大好きな換金アイテム(おたから)が山ほどあるのよ」
私はガスマスクを装着し、地下への階段を下りていった。
私の足取りは軽い。
これまでは「見つからないように」コソコソしていたけれど、今は違う。
向こうから喧嘩を売ってきたのだ。しかも、私の聖域(スパ)を汚すという最悪の形で。
「待ってなさいよ、グレイブス……。あなたの工房にある遠心分離機も、魔力恒温槽も、裏帳簿も。全部まとめて『不燃ごみ』として回収してあげるから!」
私の脳内では、すでに略奪後の収支計算が始まっていた。
最新型の遠心分離機なら、中古でも金貨五〇枚は下らない。それをスパのミキサーに改造すれば、ジュース一杯の単価を三倍に跳ね上げられる……!
ふふ、ふふふふふ!
笑いが止まらないわ!
ザッ、ザッ、ザッ……。
私の長靴の音が、暗い回廊に響く。
だが、私は気づいていなかった。
その足音に紛れて、もう一つの「足音」が、背後からひっそりとついてきていることに。
「……アリアさん」
暗闇の奥、柱の陰から私を見つめる一つの影。
丸眼鏡を光らせた、学級委員長のギデオンである。
「なんてことだ……。その姿は、まるで『儀礼用聖衣(ホワイト・ローブ)』」
彼は私の防護服を見て、独りごちた。
「背負っているのは……伝説の『銀の聖櫃(アーク)』か。穢れを吸い込み、封印するための聖具……」
いや、掃除機です。
「彼女は一人で向かうつもりだ。学園の闇が吹き溜まる、呪われた地へ……。自らの身を汚泥に晒し、僕たちの代わりに『業(カルマ)』を背負うために」
ギデオンは胸の前で手を組み、感極まったように涙ぐんだ。
「行かせはしない。……いや、止めはしない。それが君の選んだ『聖女の道』ならば」
彼は腰の剣(実際には儀礼用の模造刀だが、彼の中では聖剣)の柄に手をかけた。
「だが、露払いくらいはさせてもらう。僕、ギデオン・アイアンサイドが、君の影となり、盾となろう……!」
彼は決意の表情で、私のストーカー……もとい、護衛任務を開始した。
◇
さらに奥へ。地下水道、第4ブロック。
ここからは地図にも載っていない、廃棄された区画だ。
壁には青白い燐光を放つ苔『深淵の青苔』がびっしりと生え、足元の水はドス黒く濁っている。
「うへぇ……不潔レベルMAXね」
私は『精密洗浄眼』を起動し、周囲をスキャンしながら進んだ。
足跡、魔力の残滓、そして微かな薬品の臭い。
グレイブスがここを通った痕跡は、隠しようもなく残っている。潔癖症のくせに、自分の足元はお留守なのが笑えるわね。
そして、突き当たり。
巨大な鉄扉が、行く手を阻んでいた。
「……ここね」
私は扉の前で足を止めた。
扉には鎖が巻かれ、さらにその上から、肉眼でも見えるほど濃密な紫色の光が覆っている。
『対侵入者用・多重結界』。
物理的なピッキングはもちろん、魔法による解除も、正規の魔力キーがなければ即座に警報が鳴り、電撃が走る仕組みになっている。
「なるほど。結構お金かかってるじゃない」
私は結界の表面を指先でツンとつついた。バチッ! と静電気が弾ける。
「クラスAの防壁魔法。普通なら、解除コード解析に三日はかかる代物ね」
私は腰のツールベルトから、スプレーボトルを取り出した。
中に入っているのは、特製の『魔力分解酵素入り・超強力アルカリ洗剤』。
本来は、実験釜にこびりついた頑固な魔法薬の焦げ付きを落とすためのものだが――。
「魔法も結局は『魔力の配列』。つまり、汚れの成分構造と変わらないのよ」
私はスプレーを構え、結界に向かってシュッシュッと吹き付けた。
ジュワワワワ……!
紫色の光が、洗剤に触れたところから泡立って溶け始めた。
「ほらね。油膜取りと一緒」
私はゴム製のスクイージー(水切りワイパー)を取り出し、溶けかけた結界の表面を、スーッとなぞった。
キュッ、キュッ。
小気味よい音と共に、鉄壁の防御魔法が、まるで汚れた窓ガラスのように「拭き取られて」いく。
「構成式ごと拭き取っちゃえば、警報なんて鳴る暇もないわ」
私は仕上げに雑巾で乾拭きをし、ピカピカになった(結界が消滅した)扉を見上げた。
「チョロいわね。さあ、オープン!」
私が扉のハンドルを回そうとした、その時。
背後の物陰から、押し殺したような感嘆の声が漏れた。
「……詠唱破棄による……『解呪(ディスペル)』だと……?」
「ん?」
私は振り返った。
誰もいない。ただ、暗闇の中に、誰かの熱っぽい視線の気配だけが残っていた。
「気のせいか。ネズミの生き残りかしら?」
私は肩をすくめると、重い鉄扉をギギギ……と押し開けた。
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