第27話 ポルターガイストの正体見たり

ギィィィィ……。


 錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、私は『旧・錬金術研究塔』のホールへと足を踏み入れた。


「うへぇ……。外見以上に酷いわね、これ」


 ゴーグル越しに見える景色は、まさに廃墟のそれだった。

 天井からはボロボロのタペストリーが垂れ下がり、床には割れたフラスコや正体不明の器具が散乱している。

 そして何より、空気が重い。


 数年間、窓を閉め切っていたせいで澱みきった空気は、埃とカビ、そして例の「ドブのような異臭」が混ざり合い、肺に入れるだけで寿命が縮みそうだ。


「きゅぅ……(いきできないぃ……)」


 マスクをしていないぷるんちゃんが、私のポケットの中で苦しそうに縮こまる。


「ごめんね、すぐ綺麗にするから。……まずは現状把握っと」


 私はモップを構え、埃の積もった床を慎重に進もうとした。

 その時だった。


 ガタッ……。


 ホールの奥、闇に沈む本棚から、乾いた音がした。


「え?」


 私が足を止めた瞬間。


 ヒュオオオオオオオッ!!


 突如として、何もない空間から突風が巻き起こった。

 いや、ただの風じゃない。螺旋を描くような不規則な気流だ。


 ガタガタガタガタッ!

 パリーンッ! ドササッ!


 周囲の家具が一斉に震え出し、本棚から数冊の魔道書が飛び出したかと思うと、空中で停止し、まるで意志を持ったように私の方へと向き直った。

 さらに、割れたガラス片がキラキラと舞い上がり、鋭利な切っ先をこちらに向けて浮遊する。


「う、嘘……」


 心霊現象(ポルターガイスト)。


 噂は本当だったのか。やっぱり、ここは呪われているのか。

 無念の死を遂げた錬金術師たちの霊が、侵入者を排除しようとしているのか――?


「キャアアアアッ!?」


 私は思わず、乙女のような悲鳴を上げた。

 怖い! 無理! 私、お化けとか精神的な攻撃してくるヤツ一番苦手なの!

 物理的な汚れならいくらでもドンと来いだけど、実体のない怨念とかどうやって掃除すればいいのよ!


 ヒュンッ!


 一冊の本が、弾丸のように飛んできた。

 私は反射的にモップで叩き落とす。


「ひぃッ! ごめんなさいぃ! 悪気はないんですぅ! ただちょっと換気扇の詰まりを見に来ただけでぇ!」


 私は半泣きでモップを振り回し、飛来するガラス片や本を迎撃した。

 しかし、攻撃は止まない。

 ガタガタと揺れる椅子。宙を舞う机。ホール全体が、まるで巨大な洗濯機の中のように荒れ狂っている。


(もうだめ……帰りたい……お風呂入りたい……)


 心が折れかけた、その時。


 ピピピッ。


 私の『精密洗浄眼(クリーナーズ・アイ)』が、勝手に解析結果を弾き出した。


 【警告:局所的な魔力乱流を検知】

 【原因:地下から噴出する高密度『揮発性魔力ガス』の滞留による、気圧差および魔力干渉】

 【霊的反応:なし】


「……は?」


 私は動きを止めた。

 目の前に迫っていた椅子が、私の顔の寸前でふわりと軌道を逸れ、壁に激突して砕ける。


 魔力ガス?

 気圧差?

 霊的反応、なし?


「――なんだ」


 私の中から、急速に「恐怖」が引いていった。

 代わりに、ふつふつと湧き上がってくるのは、職業的な「憤り」だ。


「なーんだ、ただの『換気不良』じゃん!!」


 私は叫んだ。

 幽霊じゃない。呪いでもない。


 地下で何かが漏れていて、そのガスが逃げ場を失って充満し、濃度の違いで乱気流を起こしているだけだ。

 物が浮いているのも、ガスの魔力が重力に干渉している物理現象に過ぎない。


「紛らわしいのよ! お化け屋敷みたいな演出してんじゃないわよ!」


 原因が分かれば、こっちのものだ。

 相手が「ガス(気体汚れ)」なら、私の専門分野(テリトリー)だ。


「いいでしょう。部屋の空気が読めないなら、私が強制的に入れ替えてあげるわ!」


 私は背中のタンクに手を回し、スイッチを「最大出力」に叩き込んだ。


 この『高出力魔力吸引機(改造サイクロン掃除機・改)』は、ただの掃除機ではない。

 内部には、ぷるんちゃんから採取した粘液を加工した『スライム・フィルター』が何層にも重ねてあり、物理的なゴミだけでなく、魔力そのものを吸着・濾過する機能があるのだ。


「ぷるんちゃん! フィルター連結! しっかり捕まえててよ!」


「きゅッ!(了解!)」


 私は極太のホースを構え、乱気流の中心――空中で本や椅子が踊り狂っている空間へと突きつけた。


「吸えぇぇぇぇッ!! 不純物を一粒残らずッ!!」


 ブオオオオオオオオオオオオオンッ!!!


 爆音が塔内に轟いた。

 ノズルの先端に、小型のブラックホールが生まれたかのような猛烈な吸引力が発生する。


 ヒュオッ!


 宙を舞っていたガラス片が、真っ直ぐにノズルへ吸い込まれる。

 続いて、舞い上がっていた本、椅子、そして目には見えない淀んだガスが、渦を巻いて私のタンクへと収束していく。


「あーらよっと! ハウスダストも、カビの胞子も、残留思念っぽいガスも、全部まとめて回収(いただき)よ!」


 シュゴオオオオオッ!


 私の掃除機は、慈悲を知らない。

 数年間、この塔を支配していた「恐怖の正体」は、わずか数十秒で、私の背中のダストボックスへと圧縮・封印されていった。


 ――スンッ。


 やがて、音が止んだ。

 宙に浮いていた重い家具が、重力に従ってドスンと床に落ちる。


 空気は澄み渡り、さっきまでの重苦しい圧迫感は嘘のように消え失せていた。


「ふぅ……。換気完了。スッキリしたぁ」


 私はゴーグルを上げ、額の汗を拭った。

 やっぱり、お部屋の基本は換気よね。


***


 一方その頃。

 塔の入り口付近、崩れた柱の陰で。


「……信じられん」


 ギデオン・アイアンサイドは、全身を震わせていた。

 彼の目には、先ほどの光景が、まったく別のものとして映っていたのだ。


 彼が見たのは、アリアが巨大な「聖櫃(アーク)」の封印を解き、そこから伸びる「杖(ホース)」を天に掲げた姿。

 そして、襲い来る数多の「ポルターガイスト(悪霊)」に対し、一歩も引かずに立ち向かう聖女の背中だった。


『吸えぇぇぇぇッ!! 不純物を一粒残らずッ!!』


 彼女の裂帛の気合と共に、黄金の風が巻き起こった(ように見えた)。

 それは物理的な風ではない。

 荒ぶる霊魂を鎮め、穢れを祓い、強制的に成仏させる「浄化の光」だ。


「詠唱破棄(ノー・キャスト)による……広域浄化魔法(エリア・ピュリフィケーション)だと……!?」


 ギデオンは戦慄した。

 通常、これほどの規模の霊障(実際はガス)を鎮めるには、高位の神官が数人がかりで、一晩かけて儀式を行う必要がある。

 それを彼女は、たった一人で、しかも一瞬で。


「なんという慈愛……。彼女は、彷徨える魂たちを『消滅』させるのではなく、自らの聖櫃(掃除機)の中に『受け入れ』、その身一つで背負おうというのか」


 ガタガタと震える手で、彼は手帳を開いた。


『観察記録:対象(アリア)は、死霊術(ネクロマンシー)の逆位相、すなわち「魂の救済」においても達人の領域にある。荒れ狂う数千の悪霊を、瞬きする間に鎮魂せしめた。……彼女こそ、現代に降り立った救世主かもしれぬ』


「ああ、アリア……。君はどこまで高潔なんだ」


 ギデオンは涙で曇った眼鏡を拭うことも忘れ、静まり返ったホールに佇む彼女を見つめた。

 その背中は、どんな英雄よりも大きく見えた。


***


「さてと」


 そんな熱視線など露知らず、私はピカピカになった(余計なものがなくなって廃墟らしくはなったが)ホールを見渡していた。


 空気は入れ替えた。

 物理的な障害物も片付けた。

 これでようやく、本格的な「調査」ができる。


「問題は、このガスの発生源ね」


 私は『精密洗浄眼』を再び発動させ、床や壁をスキャンした。

 ガスは地下から噴き上げていた。

 しかし、その通り道となった壁や床には、奇妙な「汚れ」が付着している。


 それは、ただの煤(すす)ではない。

 赤黒く、粘り気があり、微かに脈打つような……。


「……何これ」


 私は壁に近づき、ライトを当てた。


 中層階へと続く階段の壁一面に、その「汚れ」はへばりついていた。

 一見すると、おぞましい血痕のようにも見える。

 普通の人なら悲鳴を上げて逃げ出すレベルのホラー映像だ。


 しかし。

 私の目は、その「成分」を見逃さなかった。


 【鑑定結果:高純度・魔力焦げ(マジック・カーボン)】

 【純度:98.5%】

 【備考:数十年にわたる実験失敗の爆発により、壁面に焼き付いた希少魔力触媒の結晶】


「――!」


 私の目が、チャリーンという音と共に「¥」の形になった(気がした)。


「嘘……これ、ただの汚れじゃない」


 魔力焦げ(マジック・カーボン)。

 それは、高度な錬金術の失敗(爆発)によってのみ生成される、極めて稀な副産物だ。

 現代の安全基準が厳しい実験室ではまずお目にかかれない、言わば「ヴィンテージ物の汚れ」。

 研磨剤として使えばミスリルすら鏡のように磨けるし、燃料にすれば一欠片で暖炉が一晩燃え続ける。


 市場価格、グラム単価――金貨一枚。


「宝の山じゃない……!」


 私はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 恐怖? 何それ美味しいの?

 今の私に見えているのは、壁一面に張り付いた「札束」だけだ。


「ぷるんちゃん、スクレイパー(削り器具)出して! ここからは『収穫』の時間よ!」


 私は工具ベルトから金属製のヘラを抜き放ち、ギラついた目で階段を見上げた。

 元凶である「黒いヘドロ」を倒す前に、まずはこの美味しい前菜(壁の汚れ)をいただきましょう。


 私は舌なめずりをし、ギデオンが見たら卒倒しそうなほどの邪悪な笑みを浮かべて、階段へと足をかけた。


 だが、私はまだ気づいていない。

 この上の階には、私の掃除機でも吸いきれないほどの「学園の闇」そのものが、ドロドロと口を開けて待ち構えていることを。

 そして、その闇が、私の大切な地下スパだけでなく、学園全体を巻き込む大騒動のトリガーになることを――。

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