第22話 会員番号2号の誓いと、最強の盾

「――ただいま戻ったぞ、我が魂の故郷よ」


 その夜、地下帝国のVIPルームの扉が開かれると同時に、重々しい声が響いた。


 現れたのは、日中の熱狂の主役、近衛騎士団長ベアトリクス・ガードナー様だ。

 ただし、今の彼女は「鉄仮面」ではない。

 豪奢なドレスを纏い、昼間の演習で見せつけた「奇跡の美貌」を惜しげもなく晒している。……いや、むしろ輝きが増している気がする。


「お疲れ様でしたぁ、団長様! 素晴らしい勝利でしたねぇ!」


 私は満面の営業スマイルで出迎えた。

 背後には、同じく上機嫌なマーサ先生(会員番号1号)が、年代物のワインを開けて待機している。


「うむ。……だが、あの勝利は私のものではない」


 ベアトリクス様は私の前まで歩み寄ると、ドレスの裾を翻し――


 ザッ。


 その場に、片膝をついた。


「えっ!?」


 私は仰天して後ずさる。

 騎士の最敬礼。それも、国の英雄が、ただの掃除婦(私)に対して?


「あ、あのぉ! 頭を上げてくださいぃ! 私みたいなゴミあさりの前で、そんな……!」


「いいや、立たん。……アリア殿。君は私の顔だけでなく、騎士としての誇り、そして国の威信まで救ってくれた」


 彼女が顔を上げる。

 その瞳は、昼間の演習場よりも熱く、そして真剣だった。


「あの剣、『ドラゴン・スレイヤー』の輝きを見たか? 君が施してくれた『治療』のおかげで、あいつは生まれ変わった。以前よりも強く、しなやかに。……まるで、君が私の肌にしてくれたことと同じだ」


 ベアトリクス様は、愛おしそうに腰の剣(今は鞘に収まっている)を撫でた。


「魔法医も、鍛冶師も、誰もが諦めたものを、君だけが救い上げた。……これはもはや、技術ではない。慈愛だ」


(い、いやぁ、慈愛というか……ただの「リサイクル」と「魔改造」なんですけどね……)


 内心で冷や汗をかく私をよそに、彼女は力強く宣言した。


「ここに誓おう。近衛騎士団長ベアトリクス・ガードナーは、本日をもって貴殿の『剣』となり、貴殿に害なすものを防ぐ『最強の盾』となることを」


 ゴクリ。

 私は生唾を飲み込んだ。


 最強の盾。


 つまり、私が学園で何かやらかしても、あるいは地下スパがバレて監査が入っても、国家最高戦力が「ここは私が許可した聖域だ」と言って追い返してくれるってこと?


(……キタコレ)


 私の脳内で、ファンファーレが鳴り響いた。


 これこそが、私が欲しかったものだ。

 金でも名誉でもない。「絶対的な安全保障」。

 この人がバックにいれば、汚物係だろうが何だろうが、誰も私に手出しできない。実質的な「治外法権」ゲットだぜ!


(よし! これで私が多少法律スレスレの実験をしても、団長様が揉み消してくれる権利ゲット! 最高の保険だわ!)


 私は歓喜のあまり震える膝を抑え込み、努めて殊勝な顔を作った。


「も、勿体ないお言葉ですぅ……! 私こそ、これからも精一杯、団長様の『美』と『武』を磨かせていただきますぅ!」


「うむ! 頼りにしているぞ、私の専属エステティシャン(兼・主治医)よ!」


 ベアトリクス様が私の手を取り、ガッチリと握手した。

 こうして、地下帝国に新たな重鎮――**会員番号2号**が誕生した瞬間だった。


***


「さて、感動の儀式はそこまでにして」


 グラスを傾けていたマーサ先生が、テーブルの上にドン! と重そうな革袋と、一枚の羊皮紙を置いた。


「アリア。これが今回の『報酬』よ」


「……!」


 私は反射的に革袋に飛びついた。

 ズシリと重い。紐を緩めると、中から溢れんばかりの金貨の輝きが。


「こ、これは……!?」


「騎士団の『機密費』から捻出した、特別技術顧問料よ。……ま、本来なら新しい聖剣を買う予算だったものだけど、修理で済んだから浮いたのよね」


 先生が悪代官のような笑みを浮かべる。

 なるほど、裏金か。最高だ。領収書のいらない金ほど美しいものはない。


「それと、こっちが本命よ」


 先生が羊皮紙を指先で弾く。


「ベアトリクスの署名入り契約書。『王立騎士団が討伐した魔物及び、廃棄武具の独占回収権譲渡』の書類よ」


「――は?」


 私の思考が一瞬停止し、次の瞬間、爆発的なスピードで回転し始めた。


 騎士団が討伐した魔物。


 それはつまり、ドラゴンの鱗、キマイラの血、ヒュドラの毒袋……そういった、普通なら危険すぎて廃棄される「S級素材」の山だ。

 彼らにとっては「汚らわしい死骸」でも、私とスライム(ぷるん)にとっては?


「きゅ、きゅううううううッ!!(ごちそうぅぅぅぅぅ!!)」


 私の肩に乗っていたぷるんが、歓喜のあまり液状化して垂れ落ちた。


「そ、そんな……いいんですか!? ドラゴンのウン……排泄物とかも、全部私がもらっていいんですか!?」


「ええ。むしろ『処理に困るから全部持って行ってくれ』だそうよ」


 ベアトリクス様が苦笑しながら頷く。


「魔物の死骸処理は、騎士団にとっても頭痛の種でな。毒素が土壌を汚染するし、焼却処分も一苦労なのだ。君が引き取ってくれるなら、我々としても助かる」


(神か。この人たちは神様か)


 Win-Winなんてもんじゃない。私はゴミ処理代を貰いながら、国宝級の素材を手に入れることになる。

 これをぷるんに食わせれば……。


 無限の美容液。

 未知の合金。

 そして、まだ見ぬ新機能。


 私の地下帝国は、文字通り「宝の山」の上に立つことになる。


「ありがとうございますぅ! 一生ついていきますぅ!」


 私は契約書を抱きしめ、頬ずりした。

 演技ではない。心の底からの感謝だった。


「ふふ、現金な子ね。……でも、これで盤石よ」


 マーサ先生が立ち上がり、私たちを見渡した。


「学園の管理権を持つ私。国の武力を持つベアトリクス。そして、神の如き技術を持つアリア。……この地下スパは、名実ともに『王国最強のサロン』になったわ」


「ああ。ここなら、私は本当の自分でいられる。……マーサ、次回の予約を入れたいのだが」


「ええ、もちろん。アリア、来週のシフトは?」


「空いてます! いつでもどうぞぉ!」


 地下室に、明るい笑い声が響く。


***


 完璧だ。

 何もかもが順調すぎる。

 お金も、権力も、素材も手に入れた。

 地上のエルザたちがどんなに騒ごうと、私には最強の盾がある。


 私はこの時、本気でそう思っていた。

 自分の未来は、このピカピカに磨き上げられた床のように、一点の曇りもないと。


 ――だが。

 私は忘れていたのだ。


 光が強くなればなるほど、影もまた、濃く深くなるということを。

 そして、「掃除屋」に興味を持つ人間が、必ずしも「客」だけとは限らないということを。


***


「……アリアさん」


 帰り際。

 私が上機嫌で地下室の扉を開け、人気のない校舎の廊下に出た、その時だった。


 暗闇の中から、ゆらりと人影が浮かび上がった。


「ひぃッ!?」


 私は心臓が止まりそうになりながら、モップを構えた。

 誰? エルザ様の取り巻き? それとも泥棒?


 月明かりが、その人物の顔を照らす。


 銀縁の眼鏡。

 常に眉間に刻まれた深いシワ。

 そして、手には分厚い手帳。


「……こんばんは。遅くまで『お仕事』、ご苦労様」


 学級委員長、ギデオン・アイアンサイド。


 彼の瞳は、私が今まで見たどの貴族よりも冷たく、そして熱狂的な光を宿していた。


「少し、話があるんだ。……君のその、『魔法のような掃除』について」


 最強の盾を手に入れたばかりの私に、最初にして最大の「監査」が突きつけられようとしていた。

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