第23話 ギデオンの苦悩と、すれ違う探求心

「……少し、話があるんだ。……君のその、『魔法のような掃除』について」


 月明かりが差し込む深夜の廊下。

 私の目の前には、学園一の堅物として知られる学級委員長、ギデオン・アイアンサイドが立ちはだかっていた。


 その眼鏡の奥の瞳は、まるで凶悪犯罪者を追い詰めた刑事のように鋭く、そしてどこか狂気じみた熱を帯びている。


「ひぃッ! い、委員長様? こ、こんな時間に何の御用でしょうかぁ……?」


 私は反射的にモップを盾のように構え、背中を壁に押し付けた。

 心臓が早鐘を打つ。


(ヤバい、ヤバい! 完全に見られてた!?)

(武器庫への不法侵入? それとも国宝損壊未遂? どっちにしても退学、最悪は投獄コースだわ!)


 私が脳内で必死に言い訳を検索していると、ギデオンが一歩、また一歩と距離を詰めてきた。


「とぼけないでくれ。……僕は見たんだ」


 彼が懐から分厚い手帳を取り出し、パラパラとめくる。そこには、私の行動記録がびっしりと書き込まれていた。


「昨日、23時15分。君は近衛騎士団の武器庫へ入った。そしてそのわずか18分後、あのような光――黄金の輝きと共に退出した」


 ギデオンが眼鏡を中指で押し上げる。


「そして今日、死に体だったはずの聖剣『ドラゴン・スレイヤー』は、新品以上の性能を持って蘇っていた。……これを『偶然』と言うつもりか?」


「あ、あー……それはですねぇ……」


 私は視線を泳がせた。

 事実だ。ぐうの音も出ないほど事実だ。


「そ、掃除です! 騎士団長様に頼まれて、ちょっと『念入りなお手入れ』をしただけですぅ!」


「掃除……だと?」


 ギデオンの眉間のシワが深くなる。


「君は、あれを掃除と呼ぶのか? 魔力腐食(マジック・カリエス)で崩壊寸前だった魔剣の回路を、炉も金槌も使わずに再構築することを?」


「は、はいぃ。……頑固な汚れ(腐食)だったので、強力な洗剤(スライム)を使って、キュキュッと……」


「洗剤……」


 ギデオンが口元を手で覆い、ブツブツと呟き始めた。


「……そうか。『センザイ』とは、古代錬金術における『賢者の触媒』の隠語か……? 物質の構成要素を分解・再結合させるナノマシンのような……」


(えっ、なんか変な解釈してる?)


 私が首を傾げていると、ギデオンがバッと顔を上げ、私の両肩をガシッと掴んだ。


「きゃっ!?」


「アリア・ミレット。……君は一体、何者なんだ?」


 至近距離。

 整っているけれど暑苦しい顔が、私の目の前にある。


「宮廷鍛冶師ですら匙を投げた聖剣を、君は布一枚と謎の液体だけで『治療』した。……それはもはや技術の枠を超えている。神の御業、あるいは失われた古代文明の遺産(アーティファクト)の使い手か?」


「い、いいえぇ! 私なんてただの貧乏な汚物係ですよぉ! お掃除が趣味なだけの、地味で根暗な平民ですぅ!」


 私は必死に否定した。

 ここで「実はスライム使って魔改造しました」なんて言えるわけがない。言ったら最後、私の可愛いぷるんちゃんが実験動物として解剖されてしまう。


 しかし、私の否定は、ギデオンというフィルターを通すと、全く別の意味に変換されてしまったようだ。


 彼の手の力が、ふっと弱まった。

 その瞳に、なぜか深い「哀れみ」と「義憤」の色が宿る。


「……そうか。そうだったな」


 ギデオンが悲痛な面持ちで首を振った。


「この学園は腐っている。才能ではなく、家柄と魔力量だけで全てが決まる。……君ほどの『才媛』が、その力を隠し、『汚物係』などという蔑称に甘んじなければならない理由……想像に難くない」


「へ?」


「迫害、だろう? 君のその、常識を覆すような革新的な技術(掃除)が、既得権益を持つ貴族や旧態依然とした鍛冶ギルドに目をつけられるのを恐れているんだな?」


(……はあ?)


 私の思考が停止した。

 何言ってるの、この人。

 私はただ、目立たず騒がず、ゴミ(お宝)を集めてリッチになりたいだけなんだけど。


 だが、ギデオンの暴走機関車のような妄想は止まらない。


「すまない、僕としたことが配慮に欠けていた。……君は、自らを守るために『無能な掃除婦』という仮面(ペルソナ)を被り、孤独に戦っていたんだな」


 ギデオンの目から、一筋の涙がツーッと流れた。

 え、泣いてる? なんで?


「君の技術は国益レベルだ。いや、人類の宝だ。それをこんな地下の暗がりに埋もれさせておくなんて、国家的な損失だ!」


 彼が再び、私の手を熱っぽく握りしめた。手汗がすごい。


「アリアさん。……僕に任せてくれないか」


「は、はい……?(何を?)」


「君を、正当な場所へ引き上げる。この学園の愚かな貴族たちに、君の真価を認めさせてみせる。……僕が、君の『代理人(エージェント)』になろう」


 キランッ。


 眼鏡が光った。


 うわぁ。面倒くさいことになった。

 一番面倒くさいタイプの勘違い野郎に絡まれた。


 私が求めているのは「隠匿」と「独占」であって、「名声」とか「正当な評価」とか、一番いらないものなのだ。目立てば目立つほど、裏稼業(スラグ回収)がやりづらくなるじゃないか!


(どうしよう。ここで断ったら、逆に怪しまれて調査を続けられるかも……)


 私は瞬時に計算した。

 ここは一旦、彼の勘違いに乗っかって、適当に煙に巻くのが正解だ。


「……うぅ、ありがとうございますぅ」


 私は嘘泣きを装って、目元を拭うフリをした。


「でもぉ、私、まだ心の準備が……。今はただ、静かに『お掃除』を続けたいんですぅ。……委員長様のご迷惑にはなりたくないのでぇ」


 健気で弱気な少女を演じる。

 これで「今はそっとしておいて」というメッセージが伝わるはずだ。


 しかし。


「……なんて謙虚なんだ」


 ギデオンは天を仰ぎ、さらに感動してしまった。


「自分の才能を誇示することなく、ただ黙々と『世界の浄化(掃除)』に尽くす……。まさに、真の職人(マイスター)の姿だ」


 ダメだこいつ。フィルターが分厚すぎる。


「分かった。無理強いはしない。君のペースでいい」


 ギデオンは優しく(と本人は思っているであろうキメ顔で)微笑んだ。


「だが、覚えておいてくれ。君は一人じゃない。……僕だけは、君の本当の価値を知っている」


 彼はそう言って、私の手を放した。

 そして、まるで聖騎士のような足取りで、颯爽と背を向ける。


「夜分にすまなかった。……寮まで送ろうか?」


「いえっ! 大丈夫ですぅ! 私、足には自信ありますからぁ!」


 私はこれ幸いとばかりに、脱兎のごとく駆け出した。


「失礼しますぅ~! おやすみなさいぃ~!」


 タタタタタタッ!


 私は廊下を全力疾走し、角を曲がって姿を消した。


――残されたギデオンは、誰もいない廊下で、自身の手帳に万年筆を走らせていた。


『観察記録:対象(アリア)は、極度の自己評価の低さと対人恐怖の傾向あり。過去のトラウマによるものと推測される。……保護と精神的ケアが必要』


「……守らねば」


 ギデオンは、夜の闇に向かって独りごちた。


「あの純粋な才能が、無理解な連中に潰される前に。……僕が、彼女の『盾』となり、『剣』となろう」


 彼の瞳には、使命感という名の、粘着質で厄介極まりない炎が燃え上がっていた。


***


「……はぁ、はぁ、はぁ」


 地下室に滑り込み、重い扉を閉めた私は、その場にへたり込んだ。


「怖かった……。エルザ様より怖かった……」


 あんな純粋培養の正義感、私みたいな日陰者には毒すぎる。

 私の「最強の盾」は騎士団長様だけで十分よ。あんな暑苦しい委員長まで背負い込んだら、胃に穴が開いてしまう。


「きゅぅ?(どしたの?)」


 部屋の隅から、黄金色から元の桜色に戻ったぷるんが、心配そうに寄ってきた。

 そのプニプニした体を抱きしめると、ようやく生きた心地がする。


「ううん、なんでもないよ。ちょっと変な人に絡まれただけ」


 私はぷるんの体を撫でながら、ため息をついた。


「ま、適当にあしらっておけば、そのうち飽きるでしょ。……それより見て、ぷるんちゃん! 今日の収穫!」


 私はポケットから、騎士団長様からもらった契約書と、機密費の入った革袋を取り出した。


「これがあれば、設備投資し放題! 新しい培養槽も買えるし、高級な魔力促進剤も輸入できるわ!」


「キュウウゥッ!(肉ぅぅぅ!)」


「ふふ、そうね。まずはぷるんちゃんへのご褒美が先ね」


 私は立ち上がり、地下帝国の棚を眺めた。

 そこには、今日回収したばかりの、まだ手付かずの「汚染素材」が並んでいる。


 すべてが順調だ。

 厄介な委員長に目をつけられたのは計算外だけど、まあ実害はないだろう。

 私はこの地下で、誰にも邪魔されず、好きなだけ汚物をこね回して、大金持ちになるのだ。

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