第21話 黄金の一閃と、素顔の英雄

「――再試合を始める! 両者、構え!」


 大演習場に、審判の声が響き渡る。

 午後の日差しが降り注ぐフィールドの中央。そこには、数時間前とは全く違う空気が張り詰めていた。


(あわわわ……頼むわよ、私の即席インプラント……!)


 私は観客席最前列の隅っこ、ゴミ箱の陰でモップを握りしめ、心臓をバクバクさせていた。

 私の視線の先には、漆黒のマントをなびかせる近衛騎士団長、ベアトリクス・ガードナー様がいる。


 対するは、帝国騎士団のガレス卿。

 彼は先ほどまで王国の騎士たちを嘲笑っていたが、今は少し警戒した様子で剣を構えている。歴戦の勘が告げているのだろう。目の前の「鉄仮面」が、さっきまでとは別人であると。


「……行くぞ、我が友よ」


 ベアトリクス様が、静かに聖剣『ドラゴン・スレイヤー』の柄に手をかけた。


 チャキッ。


 鯉口を切る音が、妙に澄んで響く。

 そして、一気に抜刀した。


 シュヴァァァァァァァッ!!


 その瞬間、会場中がどよめいた。


「な、なんだあの光は!?」

「聖剣の白い光じゃない……黄金(ゴールド)だ!」


 鞘から放たれた剣身は、かつての神聖な銀色ではない。

 半透明の飴色を帯びたプラチナ・シルバー。その内部を、血管のように走る黄金のラインが激しく脈打ち、キラキラとした金粉のような粒子を撒き散らしている。


(うっひょー、派手すぎた!? ぷるんちゃんの粘液、発光作用あったの忘れてた!)


 私は顔を引きつらせた。

 あれじゃまるで、某・光る棒(サイリウム)の特大版じゃない。


「ふん、剣の色を変えたところで、中身が腐っていては同じこと!」


 ガレス卿が吼え、大地を蹴った。

 速い。帝国の実戦剣術は、飾り気のない一直線の刺突だ。鋼鉄の盾をも貫くという、必殺の一撃。


「受けてみろ! 重装突撃(ヘヴィ・チャージ)ッ!」


 ドォォォォォンッ!


 凄まじい衝撃音が響き、土煙が舞い上がった。

 観客が悲鳴を上げる。直撃だ。誰もがそう思った。


 だが。


「……軽いな」


 土煙の中から、涼やかな声が聞こえた。


 煙が晴れると、そこには信じられない光景があった。


 ベアトリクス様が、片手一本で――聖剣の腹だけで、ガレス卿の全力の突きを受け止めていたのだ。


「な、バカな!? 衝撃は……俺の体重と魔力を乗せた運動エネルギーはどこへ行った!?」


 ガレス卿が愕然と目を見開く。

 当然だ。今の『ドラゴン・スレイヤー』の中身は、スライム由来の「生体金属(バイオ・メタル)」だもの。


 衝撃吸収率99%。


 運動エネルギーをスライム状の分子構造が分散・吸収し、反発力へと変換する。いわば、最強のクッションを剣の中に仕込んでいるようなものだ。


「貴公の剣は重いが、鋭さがない。……私の剣は、違うぞ」


 ベアトリクス様が、不敵に笑った(兜の下で)。

 彼女の手首が返る。


 ブォンッ!


 吸収したエネルギーを、一気に解放。

 ガレス卿の剣が、まるでゴムまりのように弾き飛ばされた。


「しまっ――」


 体勢を崩したガレス卿。

 その隙を、新生・聖剣が見逃すはずがない。


「――『黄金一閃(ゴールデン・フラッシュ)』」


 ベアトリクス様が横薙ぎに剣を振るった。


 音はなかった。

 あまりにも速く、あまりにも抵抗がない一撃。


 アリア特製『摩擦係数ゼロ・コーティング』が施された刃は、空気の壁すら素通りし、ガレス卿が咄嗟に構えた鋼鉄の盾を通り抜けた。


 パカァーンッ!!


 遅れて、高い金属音が響く。

 厚さ3センチの鋼鉄の盾が、まるでバターのように上下に両断され、地面に落ちた。

 ガレス卿の鎧の胸元に、浅く、しかし鋭い一筋の切り傷が走る。


「…………」


 会場が静まり返る。

 ガレス卿は、切断された自分の盾を呆然と見下ろし、膝をついた。


「……完敗だ。なんだ、その剣は。魔法か? いや、魔法障壁すら抜けてきたぞ……」


「ただの手入れ(メンテナンス)の差だ」


 ベアトリクス様は剣を鞘に納めた。

 カチャン。その音と共に、黄金の輝きが収束する。


 わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!


 一拍置いて、割れんばかりの歓声が爆発した。


「勝った! 鉄仮面の勝利だ!」

「見たか、あの一撃! 黄金の光!」

「やっぱり騎士団長様は最強だー!」


 熱狂の渦。

 その中心で、ベアトリクス様は肩で息をしていた。


 そして、ふと何かに気づいたように、鬱陶しそうに兜に手をかけた。


(あ、待って。まさか……ここで?)


 私の予感が的中する。

 勝利の高揚感、そして「生まれ変わった自分」への自信。それが彼女を大胆にさせたのだ。


「……暑苦しいな」


 プシュゥ……。


 彼女は、長年その顔を隠し続けてきた「鉄仮面」を、衆人環視の中で脱ぎ捨てた。


 バサァッ!


 汗に濡れたブロンドの髪が、風に解き放たれる。


 そして露わになったのは――。


「え……?」


 最前列の貴族が息を呑んだ。


 続いて、会場中の視線が一点に釘付けになる。


 そこにいたのは、赤くただれた怪物でも、傷だらけの鬼でもなかった。

 透き通るような白磁の肌。

 夕日を浴びて桜色に輝く頬。

 凛とした瞳を縁取る、長く艶やかな睫毛。


 誰もが言葉を失うほどの、神々しいまでの「美」がそこにあった。


「う、嘘だろ……あんな美女が、仮面の下に……?」

「女神だ……戦いの女神(ヴァルキリー)だ……!」

「お肌が……トゥルトゥルよ!? 私より綺麗じゃない!」(これはエルザ様の悲鳴)


 私の『精密洗浄』と『スライム・ピーリング』のフルコースによって、全ての汚れと過去(ダメージ)を剥ぎ取られた素顔。

 それは間違いなく、この会場にいる誰よりも輝いていた。


「あ、あー……やっちゃった」


 私は額を押さえた。

 綺麗になりすぎた。これじゃあ明日から、「どこのエステに通ったんですか!?」って問い合わせが殺到するじゃない。


 いや、まてよ?

 それってつまり、とんでもないビジネスチャンスなのでは?


 ステージ上のベアトリクス様は、観客の反応に少し驚いたようだったが、すぐに自信に満ちた笑みを浮かべた。

 そして、ゆっくりと視線を巡らせ――。


 ゴミ箱の陰にいる私と、目が合った。


 バチンッ☆


 ウインク。

 あの堅物騎士団長が、茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばしてきたのだ。


『――ありがとう、アリア』


 口の動きだけで、そう告げている。


(ひぃぃッ! こっち見ないで! 私と知り合いだとバレたら、平穏な清掃員ライフが終わっちゃう!)


 私は慌ててモップで顔を隠し、必死に「私はただのゴミです」オーラを出した。

 でも、マスクの下の口元はニヤケてしまう。


 勝った。

 試合にも勝ったし、私の「賭け」にも勝った。

 これで最強の騎士団長は、私の最高の上客(リピーター)確定だ。


 ――しかし。

 私は気づいていなかった。


 この熱狂の裏で、もう一つの視線が、私を射抜いていることに。


「……やはり、君か」


 観客席の上段。


 学級委員長ギデオン・アイアンサイドは、興奮する周囲とは対照的に、冷ややかな汗を流しながら私を見下ろしていた。


 彼の手帳には、震える文字でこう記されていた。


 『仮説実証:アリア・ミレットの介入により、聖剣の性能が300%向上。彼女は、物質の定義を書き換える神の如き力を持っている』


「あの黄金の輝き……昨夜、倉庫で見た光と同じだ。彼女は剣だけでなく、騎士団長の顔まで『作り直した』というのか……?」


 ギデオンは眼鏡を押し上げ、私から視線を外さなかった。


「もう『掃除が好き』などという言い訳は通用しないぞ。……君の秘密は、僕がすべて暴く」


 英雄の誕生に湧く光の裏で、厄介すぎる影が、私の足元に忍び寄っていた。

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