第15話 勘違いの清掃と、火力至上主義の弊害
「はぁ……はぁ……っ! たまらないわ、この芳醇な鉄の香り……!」
王立魔法学園に隣接する、近衛騎士団・王都駐屯地。
その一角にある巨大な武器保管庫の片隅で、私は恍惚の溜息を漏らしていた。
薄暗い庫内に立ち込めるのは、汗と革油、そして金属が酸化した独特の匂い。
一般の令嬢なら眉をしかめてハンカチで鼻を覆うところだろう。
だが、私にとっては違う。これは、熟成されたヴィンテージ・ワインのコルクを抜いた瞬間のアロマだ。
「見て、ぷるんちゃん(分裂体)。あそこの棚、宝の山よ」
私は、こっそりと懐に忍ばせた小瓶の中のスライムに囁いた。
私の視線の先には、壁一面にずらりと並べられた予備の剣や槍があった。
数百本はあるだろうか。一見すると、どれも銀色に輝き、手入れが行き届いているように見える。
――しかし。
私の『精密洗浄眼(クリーナーズ・アイ)』は誤魔化せない。
ピピピッ。
視界に青白いグリッドが走る。
【解析対象:制式ロングソード(量産型)】
【表面状態:光沢魔法による偽装コーティング(厚さ0.5mm)】
【内部状態:鍔元に深刻な赤錆の堆積(ランクB)。刃こぼれの魔力パテ埋めによる強度低下(-30%)。刀身内部に微細なクラック(金属疲労)あり】
(……うわぁ。見た目だけピカピカにして、中身ガタガタじゃない)
私は心の中で舌打ちした。
これが、この国のエリート騎士団の実態か。
「火力至上主義」の弊害が、こんなところにも出ている。
彼らは道具を愛していない。
ただ「見栄え」と「威力」があればいいと思っているのだ。錆びたら魔法で隠せばいい、切れ味が落ちたら魔力で補えばいい。そんな安直な考えが、武器の悲鳴をかき消している。
――許せない。
掃除屋として、そして何より「素材ハンター」として、こんな勿体ない放置プレイは許せない!
(せっかくイイ感じに『魔力錆』が育ってるのに、変なコーティングのせいで台無しよ! 素材の味が死んじゃう!)
私はゴム手袋をバチンと装着し、やる気に満ちた目で獲物(ボロボロの剣たち)を見据えた。
「待っててね、可哀想な剣ちゃんたち。今、悪いおじさんたちが塗った厚化粧を剥がして、私が綺麗サッパリ『食べて』あげるから!」
私は掃除用具入れから、特殊加工した雑巾(スライム粘液配合の超吸着クロス)を取り出し、いざ鎌倉ならぬ、いざ武器ラックへと突撃しようとした。
その時だ。
「おい、そこの女。何をしている」
背後から、野太い声が掛かった。
ビクッとして振り返ると、三人の若手騎士が立っていた。
銀色のプレートアーマーに身を包み、腰には剣を帯びている。その顔には、露骨な侮蔑の色が浮かんでいた。
「ひぃッ! も、申し訳ございませんぅ~! 清掃ボランティアのアリアでございますぅ!」
私は脊髄反射で「弱者のポーズ(背中を丸めて小刻みに震える)」を取り、ヘコヘコと頭を下げた。
「ああ、寮監殿が寄越したという物好きか」
リーダー格らしき金髪の騎士が、鼻で笑った。
「こんな埃っぽい場所でボランティアとはな。学園の落ちこぼれは、やることも底辺らしい」
「まったくだ。魔法も使えないから、雑巾がけしか能がないんだろう?」
取り巻きの騎士たちも追従して笑う。
「おい、あまり俺たちの神聖な武器に触るなよ? 貧乏神が移ると、切れ味が鈍るからな」
「ひぃぃ、めっ、滅相もございません! ただ、少し汚れが気になりましてぇ……」
私は怯えたフリをしながら、チラリと彼らの腰にある剣を見た。
うん、彼らの剣も「美味しそう」だ。特に鞘の口周りの金具なんて、皮脂と混ざった黒錆が絶妙なミルフィーユ層を作っている。
「汚れ? はっ、何を言っている」
金髪の騎士が、自分の剣をガシャリと抜いた。
刀身が魔法の光でギラギラと輝く。
「見ろ、この輝きを! 俺たちは毎日、炎魔法で刀身を炙り、不純物を焼き切っているんだ。雑巾なんかでちまちま拭くより、よほど効率的で衛生的だろうが!」
ボウッ!
騎士が剣に魔力を込めると、刀身が赤熱し、チリチリと音を立てた。
(うわぁぁぁやめてぇぇぇッ!!)
私は心の中で絶叫した。
焼き入れ? 違う、それはただの虐待よ!
すでに完成された剣を無闇に加熱したら、金属組織が変質して強度が落ちるじゃない! 「焼きなまし」になっちゃってるわよ!
だからアンタたちの剣は、芯が脆くなって中から腐っていくのよ!
「す、素晴らしい輝きですぅ~! さすがエリート様ですぅ~!」
口ではお世辞を言いながら、内心ではドン引きしていた。
無知とは罪だ。そして、その罪こそが私への供物となる。
「フン、分かればいい。……おい、行くぞ。こんなネズミの相手をしていても時間の無駄だ」
「へいへい。……おい女、俺たちが戻るまでに床くらいは舐めれるように磨いておけよ?」
騎士たちはゲラゲラと笑いながら、演習場の方へと去っていった。
パタン、と重い扉が閉まる。
静寂が戻った倉庫内。
私はゆっくりと顔を上げた。
卑屈な笑みは消え失せ、そこには獲物を前にした捕食者の顔があった。
「……言ったわね、三流騎士ども」
私は彼らが去った扉に向かって、あっかんべーをした。
「炎で汚れを焼く? 笑わせないで。アンタたちがやっているのは、汚れごと剣の寿命を削ってるだけよ。……ま、おかげで極上の『魔力錆(メタル・スラグ)』が育ってるんだけどね」
私はニヤリと笑い、武器ラックの前に立った。
「さあ、始めましょうか。時間がないわ」
私はクロスを構え、一番手前のロングソードに手を伸ばした。
シュッ。
私の手が動く。
それは、ただ「拭く」という動作ではない。
クロス越しに魔力を通し、対象の表面にある「不要な物質」だけを定義し、分子レベルで吸着・剥離させる超高等技術。
名付けて――『神速・錆取り拭き(ソニック・ラスト・ワイパー)』!
シュバババババッ!!
私の手は残像と化した。
剣の根元から切っ先まで、一瞬で駆け抜ける。
その瞬間、刀身を覆っていた魔法の偽装コーティングが剥がれ落ち、その下にあった分厚い赤錆が、まるで掃除機に吸われる埃のように私のクロスへと吸い込まれていく。
「んんっ! 重い! いい手応え!」
クロスがずっしりと重くなる。
錆だ。
何年もかけて蓄積され、高濃度の魔力を吸って変質した、純度100%の「魔力酸化鉄」。
普通の錆落としなら、剣そのものを削ってしまうだろう。
だが、私の『精密洗浄』は違う。
正常な鉄の分子は一切傷つけず、酸化して結合が弱まった部分だけを、外科手術のように精密に切り離すのだ。
キュピーン!
一往復が終わった後、そこには一本の剣が残された。
以前のようなギラギラした派手な輝きはない。
魔法のコーティングが剥がれ、地金が露出したその剣は、一見すると薄暗く、地味な鉄の棒に見えるかもしれない。
だが、違う。
その表面は、ナノレベルで平滑化され、鈍く、しかし深みのある「本物の鋼の色」を放っていた。
刃こぼれの原因となっていた脆い部分は除去され、重心バランスは新品同様――いや、余計な重りが取れた分、それ以上に最適化されている。
「うん、いい仕事。……次!」
私は休むことなく次の剣へ。
シュバッ! シュバババッ!
一本、また一本。
倉庫内の剣たちが、私の手によって次々と「皮」を剥かれ、素っ裸にされていく。
私の手元にある回収用の瓶には、赤、黒、緑……様々な色の美しいパウダーが溜まっていく。
「ふふふ……溜まる、溜まるわぁ! 見てよこれ、最高級のスクラブ素材よ!」
私は作業しながら、独り言が止まらなかった。
「こっちの槍の錆は粒子が荒いから『足裏の角質用』ね。……お、こっちの短剣の錆はキメが細かい! これはベアトリクス様の『小鼻の黒ずみケア』に使えそう!」
選別。回収。洗浄。
私にとってここは戦場であり、ビュッフェ会場だった。
騎士たちが「魔法を使えない雑用係」と見下したその掃除婦は、今、彼らの数年分のメンテナンス不備を、わずか数十分で帳消しにするという神業を行っていたのだ。
――ガチャリ。
一時間ほど経った頃だろうか。
再び扉が開く音がした。
「おい、掃除婦。まだ終わらんのか」
さっきの騎士たちが戻ってきたのだ。
私は慌てて作業の手を止め、満タンになった小瓶をポケットに隠した。
「あ、お疲れ様ですぅ! 今、ちょうど終わりましたぁ!」
私は額の汗を拭い(演技)、輝く笑顔を向けた。
騎士たちは、ラックに戻された剣を見て、眉をひそめた。
「あ? なんだこれ」
金髪の騎士が、一本の剣を手に取った。
私が「洗浄」を終えたばかりの剣だ。
「おい、輝きが消えてるじゃねえか! なんかボロくなってねえか!?」
騎士が怒鳴った。
やはり、そう来るか。
彼らの節穴な目には、魔法のピカピカコーティングがなくなったことで、剣が劣化したように見えているのだ。
「てめぇ、何をした! まさか変な薬品でも使いやがったか!?」
騎士が私に詰め寄ってくる。
「ひぃっ! ち、違いますぅ! ただ汚れを拭き取っただけで……!」
「拭いただけで光沢が消えるかよ! 弁償モンだぞこれは!」
騎士は忌々しそうに舌打ちをし、その剣を無造作に振り回した。
「チッ、こんな鈍そうな剣で、午後の演習に出ろってのか。……ん?」
ブンッ。
剣が空を切った瞬間。
騎士の表情が、わずかに固まった。
「……あれ?」
彼は不思議そうに剣を見つめ、もう一度振った。
ヒュンッ!
以前よりも高い、澄んだ風切り音が響く。
空気抵抗が、ない。
まるで剣そのものが空気と一体化したかのように、恐ろしく軽く、スムーズに振れたのだ。
「なんだ……? 妙に軽いぞ。……重心が、手元に吸い付くような……」
騎士は首を傾げた。
当然だ。刀身の表面にあった微細な凹凸と錆の重みが消え、完全な流線型になっているのだから。
「おい、どうした? 不良品にされたか?」
「いや……なんか、振りやすい気がするんだが……気のせいか?」
騎士は狐につままれたような顔で、私と剣を交互に見比べた。
チャンスだ。
私はここぞとばかりに畳み掛けた。
「あのぉ……古いワックスを剥がしたので、少し見た目は地味になりましたけど、その分『抜け』が良くなったと思いますぅ! たぶん!」
「抜け? ……ふん、まあいい。どうせ予備の剣だ」
騎士は剣をラックに戻し、私を睨んだ。
「今回は見逃してやる。だが、次は余計なことすんなよ。……とっとと失せろ!」
「は、はいぃぃ! 失礼いたしましたぁ!」
私はリュック(中身は鉄分たっぷりの戦利品)を抱え、逃げるように倉庫を飛び出した。
背後で扉が閉まる音を聞きながら、私は通路の陰で小さくガッツポーズを決めた。
「ちょろーい! 文句言われながら、お宝ゲットだぜ!」
ポケットの中の小瓶が、カチャリと音を立てる。
これだけの量があれば、ぷるんちゃんを一気に進化させられる。
あの「ゴールデン・スクラブ」を作るのに十分な量だ。
「待っててくださいね、ベアトリクス様。貴女の鋼鉄のお肌を溶かす、最強の美容液を作って差し上げますから!」
私は鼻歌混じりに、駐屯地の出口へと向かった。
騎士たちの勘違いと、私の野望。
すべては順調に進んでいる――はずだった。
そう。
私があまりにも調子に乗っていたせいで、背後の気配に気づかなかったこと以外は。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます