第14話 新クエスト「最高級の錆(スクラブ)を求めて」

「……硬い。あまりにも、硬すぎる」


 地下帝国の一室。

 私は腕組みをして、ホワイトボード(壁にスライム粘液を塗って代用したもの)の前で唸っていた。


 ボードに描かれているのは、先ほど帰宅した騎士団長ベアトリクス様の顔面構造図だ。

 私の『精密洗浄眼(クリーナーズ・アイ)』が捉えたデータを元に、攻略プランを練っていたのだが……壁は予想以上に厚かった。


「キュウ?(どうしたの?)」


 足元で、ぷるんが不思議そうに首を傾げている。


「聞いてよ、ぷるんちゃん。あの騎士団長様の肌、ただ荒れてるだけじゃないのよ」


 私は指示棒(モップの柄)で、図面の表面部分をバシバシと叩いた。


「長年の兜生活と、戦場での緊張感。それによって皮膚が過剰防衛反応を起こして、角質がまるで『ドラゴンの鱗』みたいに硬質化しちゃってるの」


 そう、あれはもう人間の肌というより、天然の鎧(アーマー)だ。


 普通のピーリングジェルやスクラブ洗顔じゃ、表面を滑るだけで終わってしまう。かといって、無理やり削ろうとすれば、下の柔らかな新生組織まで傷つけてしまうだろう。


 必要なのは、あの鋼鉄の角質だけをピンポイントで絡め取り、かつ肌を傷つけない「絶妙な硬度」を持った研磨剤。


「例えるなら……ダイヤモンドでダイヤモンドを磨くような、最強のスクラブが必要なのよ」


「キュウ~……(むずかしそう)」


「そうね。普通の砂や塩じゃ駄目。魔力が浸透して、粒子レベルで強度が上がっている『何か』じゃないと」


 私は腕を組み、地下室の中をうろうろと歩き回った。

 魔力を帯びた、硬い粒子。微細で、鋭くて、でも肌に馴染むもの。


 私の視界の隅に、掃除用具入れの中で眠っている古びた金タワシが映った。

 鉄。金属。酸化。


 ――ピコーン!


 私の脳内で、とんでもない閃きがスパークした。


「……あったわ」


 私は立ち止まり、ニヤリと口角を吊り上げた。


「灯台下暗し。……いえ、むしろ『現場』にこそ答えはある!」


 私はホワイトボードに、大きく花丸を描いた。


「金属よ、ぷるんちゃん! それも、ただの金属じゃない。歴戦の騎士たちが使い込み、高濃度の魔力を浴び続け、そして手入れ不足で酸化した『魔力錆(メタル・スラグ)』!」


 これだ。これしかない。


 魔力を帯びて変質した赤錆は、通常の錆よりも粒子が細かく、硬度が桁違いに高い。

 これを回収し、不純物を取り除いてペースト状に精製すれば……。


 世界最強にして最高級の『天然・魔力研磨スクラブ』が完成する!


「キャハッ! 天才! 私ってば天才!」


 私はその場で小躍りした。

 ターゲットは決まった。場所は、この国で最も魔力を帯びた武器が集まる場所。


 ――王国近衛騎士団・駐屯地。


 あそこは私にとって、ただの軍事施設じゃない。極上の美容素材が眠る、宝の山(ビュッフェ会場)だ!


「善は急げよ! ぷるんちゃん、出かける準備をして! 特大の保存瓶、全部持っていくわよ!」


「キュウッ!!(ご飯だー!)」


 私は防護服をひっ掴み、地下室を飛び出した。


 まずは「入館許可」をもらわなきゃ。それも、誰にも怪しまれない、完璧な理由でね。



「――駐屯地の、清掃ボランティア?」


 学園の特別応接室。

 優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいたマーサ・ヴァン・ダイン先生(会員番号1号)が、ティーカップを置いて眉をひそめた。


 今日の先生も仕上がっている。

 窓から差し込む午後の陽光が、先生の陶器のような肌に反射して、後光のように輝いている。向かいに座っている私の泥メイク顔が余計に薄汚く見えるほどだ。


「は、はいぃ! 僭越ながら、提案させていただきたくぅ……!」


 私は直立不動で、揉み手をしながら懇願した。


「昨夜、ベアトリクス様の……あ、いえ、騎士団長様のお肌を拝見して、胸が締め付けられる思いでした。あんなにお美しい方なのに、環境が悪すぎるのではないかと!」


「ふむ。……確かに、あの子は昔から無頓着だったわね」


 マーサ先生はほう、と溜息をついた。


「騎士団の駐屯地なんて、男臭くて、埃っぽくて、鉄と油の匂いが充満している最悪の環境よ。あんな所に住んでいれば、肌が荒れるのも当然だわ」


「で、ですよねぇ! そこで私、思ったんです!」


 私は一歩前に踏み出し、瞳を潤ませて(演技)訴えた。


「まずは環境から改善すべきではないかと! 騎士団の方々は訓練でお忙しく、細かい掃除まで手が回っていないはずです。そこで、掃除のプロである私が、ボランティアとして駐屯地をピカピカに磨き上げに行きたいのです!」


 嘘は言っていない。

 掃除はする。徹底的に。


 ただし、私の目的は「ゴミを捨てる」ことじゃなく、「ゴミ(お宝)を回収する」ことだけど。


 マーサ先生は眼鏡の奥で目を細め、私をじっと見つめた。

 その鋭い視線に、私は冷や汗をかきそうになる。

 バレたか? 素材狙いだってことが。


「……アリア」


「は、はいっ!」


「貴女……なんて健気なの」


 へ?


 先生が立ち上がり、感動に震える声で私の両手を握りしめた。


「まさか、そこまであの子のことを考えてくれていたなんて。……ただの顧客としてではなく、一人の女性として、ベアトリクスの幸せを願ってくれているのね?」


「えっ、あ、はい! もちろんですぅ! お客様の幸せこそが私の喜びですからぁ!」


 私は全力で話を合わせた。


 チョロい。いや、先生のピュアな友情が眩しすぎる。


「素晴らしいわ。その奉仕の精神、教育者として鼻が高いです」


 先生はハンカチで目元を拭うと、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、サラサラとサインをした。


「これは私の署名入りの紹介状よ。これがあれば、騎士団の施設に自由に出入りできるわ。……表向きは『学園からの慰問及び環境美化活動』として処理しておきましょう」


「ありがとうございますぅ! 先生、一生ついていきますぅ!」


 私は羊皮紙を押しいただき、深々と頭を下げた。


「頼んだわよ、アリア。あの子の職場を、私たちの『スパ』に相応しい清潔な場所に変えてちょうだい。……ああ、それと」


 先生はニヤリと笑った。


「ついでに、むさ苦しい騎士たちに『真の美』とは何か、背中で教えてあげなさい」


「イエス・マム! 埃ひとつ、錆ひとつ残しません!」


 私は敬礼し、スキップしたい気持ちを抑えて部屋を出た。


 パタン、と扉が閉まる。

 その瞬間。


「……っしゃオラァァァァァッ!!」


 私はガッツポーズを決めた。


 許可証ゲット!

 しかも「自由に出入りできる」フリーパスだ!


 私は羊皮紙にキスをし、地下への階段を駆け下りた。


「待っててね、私の可愛い錆ちゃんたち! 今すぐ迎えに行ってあげるから!」



 数十分後。

 私は巨大なリュックサックを背負い、王立魔法学園に隣接する「近衛騎士団・王都駐屯地」の正門前に立っていた。


 リュックの中身は、掃除用具に見せかけた採取キット。

 大量の空き瓶、スクレーパー、そして『採取用』に調整したスライムの分裂体たちだ。


「止まれ! 何奴だ!」


 門番の騎士が槍を交差させ、私を遮った。

 銀色の鎧に身を包んだ、若手の騎士たちだ。


「ひぃっ! あ、怪しいものではございませんぅ~!」


 私はすかさず「弱者のポーズ(背中を丸めて上目遣い)」を取り、震える手で紹介状を差し出した。


「が、学園の寮監、マーサ先生の指示で参りましたぁ……。環境美化ボランティアのアリアと申しますぅ……」


「環境美化? 掃除係か?」


 騎士の一人が、紹介状をひったくるように受け取り、怪訝な顔で中身を確認した。


「……本物の署名だな。しかも団長への言及もある」


「チッ、あの鬼寮監の使いかよ。断ると後が怖いな」


 もう一人の騎士が舌打ちをした。

 どうやらマーサ先生の悪名(威厳)は、騎士団にも轟いているらしい。さすが会員番号1号。


「いいだろう、通れ。……ただし、演習の邪魔はするなよ? あと、武器庫の奥には立ち入るな。お前のような薄汚れた女が触れていい場所じゃない」


 騎士は私のツギハギだらけの防護服を見て、露骨に鼻をつまむ仕草をした。


「まったく、学園も予算がないのか? こんな貧相な平民を寄越すなんて」

「おい、近づくなよ。俺の鎧に貧乏神が移りそうだ」


 ケラケラと笑う騎士たち。


 ああ、いつものやつね。

 学園でも毎日のように浴びせられる、貴族特有の平民差別。


 でも、今の私にはそんな言葉、痛くも痒くもない。

 なぜなら――。


 ピピピッ。


 私の『精密洗浄眼』が、彼らの鎧をスキャンしていたからだ。


 【解析結果】

 対象:制式プレートアーマー

 状態:表面は研磨されているが、リベット周辺に赤錆の堆積あり(ランクC)。関節部の油汚れと混合した黒錆(ランクB)を確認。


(……甘い)


 私は内心で嘲笑った。

 一見ピカピカに見えるその鎧、隙間が錆だらけじゃない。

 表面だけ取り繕って、中身が腐ってるなんて、まるであなた達の性格そのものね。


 でも、ありがとう。

 その「手入れ不足」こそが、私にとってはご馳走なのよ。


「あ、ありがとうございますぅ! 隅っこの方で、こっそり拭かせていただきますのでぇ~!」


 私はペコペコと頭を下げ、門をくぐった。


 一歩足を踏み入れると、そこは別世界だった。

 広大な演習場では、数百人の騎士たちが剣を振るい、模擬戦を行っている。

 魔法の爆発音、金属がぶつかる音、男たちの怒号。


 ムッとするような熱気と、土埃。

 そして何より、濃厚な「鉄」の匂い。


「……はぁ、たまらないわ」


 私は誰もいない資材置き場の影に入り、深く深呼吸をした。

 一般人なら「臭い」と顔をしかめるだろう。でも、私にとっては芳醇なアロマだ。


 私の目は、彼らが手に持っている剣や、地面に無造作に置かれた予備の槍に釘付けだった。


 そこら中に「ある」。

 刃こぼれした剣の断面に浮いた、鮮やかな赤錆。

 使い古された盾の裏側にこびりついた、緑青(ろくしょう)。

 放置された鉄屑から立ち昇る、熟成された酸化鉄の輝き。


 視界の全てが、キラキラと輝く宝の山に見える。

 

「すごい……これが、国の最前線……!」


 私はリュックから空き瓶を取り出し、震える手で握りしめた。


「見て、ぷるんちゃん(分裂体)。あそこの剣なんて、最高に『美味そう』よ。たぶん三年は手入れをサボって、魔力コーティングだけで誤魔化してるヴィンテージものだわ」


 リュックの中で、スライムたちが「じゅるり」と音を立てた気がした。


 これは掃除じゃない。

 収穫祭(ハーベスト・フェスティバル)だ。


「さあ、始めましょうか」


 私はゴム手袋を装着し、ボロボロの雑巾(に見せかけた高機能吸着クロス)を構えた。


「片っ端から『洗浄』してやるわ。……あなた達の剣についた錆も、誇りも、全部私が頂いていくから!」


 私は獲物を狙うハイエナのような足取りで、演習場の隅に置かれた武器ラックへと忍び寄った。


 騎士たちはまだ気づいていない。

 自分たちの神聖な武器庫に、史上最悪にして最強の「泥棒」が入り込んだことに。


 そして、この「清掃活動」が、後に騎士団全体を揺るがす大事件へと発展することになろうとは、この時の私は知る由もなかった。


(まずは手始めに、あそこの錆びた槍からいただきまーす!)


 私の新しいクエストが、今、幕を開けた。

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