第16話 ギデオンの疑惑と戦慄
シュバババババッ!!
薄暗い武器倉庫の中、私の手は神速の領域に達していた。
「んんっ~! この手応え、最高ぉッ!」
手にした雑巾(特殊吸着クロス)が、まるで磁石のように剣の表面を滑る。
私の『精密洗浄(マイクロ・クリーン)』が発動するたびに、長年放置されて熟成された赤錆、手汗による黒ずみ、そして間違った手入れによる魔力煤(すす)が、分子レベルで剥離されていく。
カシャン、カシャン。
綺麗になった剣をラックに戻し、次なる獲物(ボロ剣)を手に取る。
今の私は、誰がどう見ても「健気な清掃ボランティア」だ。
だが、その内実は「収穫祭に狂喜乱舞するハンター」に他ならない。
(見てよ、このショートソード! 鞘の内部が湿気で蒸れて、極上の『緑青(ろくしょう)スラグ』が育ってるじゃない! これ、抗酸化作用のある美容パックに使えるわ!)
私はこっそりと、剥ぎ取った緑色の粉末を小瓶に詰め込んだ。
騎士団のエリート様たちは、見た目の輝きばかり気にして、剣の本質を見ていない。
彼らは炎魔法で剣を炙り、「消毒完了!」などと悦に入っているが、それは金属組織を熱で劣化させているだけだ。いわば、高級ステーキをウェルダンになるまで焼き焦がしているようなもの。
その「焦げ」と「傷み」を、私が掃除してあげているのだ。
感謝してほしいくらいよ、本当に。
「ふぅ……。これで50本目、と」
私は額の汗を拭い(演技)、満足げに息をついた。
リュックの中には、色とりどりの「魔力錆(メタル・スラグ)」が詰まった瓶がぎっしり。大漁だ。これだけの量があれば、ベアトリクス様の鋼鉄肌を削り落とす『最強のスクラブ』が作れるはず。
「さて、そろそろ撤収しないと。騎士様たちが戻ってくると面倒だし――」
私が帰り支度を始めようとした、その時だった。
「……やはり、君か」
背後から、冷徹で、しかしどこか震えを含んだ声が響いた。
ビクッ!!
私の心臓が跳ね上がった。
騎士たちが戻ってきた? いや、違う。この声は、もっと若くて、そして理屈っぽい。私が一番苦手とするタイプの人間の声だ。
恐る恐る振り返ると、倉庫の入り口の影に、一人の男子生徒が立っていた。
銀縁メガネの奥で、鋭い瞳が光っている。
「ギ、ギデオン様ぁ……!?」
学級委員長、ギデオン・アイアンサイド。
なんでここに? ここは駐屯地よ? 一般生徒は立ち入り禁止のはずじゃ……。
彼はゆっくりと、私の方へ歩み寄ってきた。その視線は、私の顔ではなく、私の手元――つい先ほど「洗浄」を終えたばかりのロングソードに釘付けになっている。
「清掃ボランティアと聞いて、まさかとは思ったが……。アリア・ミレット。君はここで何をしていた?」
「ひぃッ! お、お掃除ですぅ! マーサ先生に言いつかりまして、汚れた剣を拭いていただけですぅ~!」
私は反射的に「弱者のポーズ」を取り、モップの柄を盾にして後ずさった。
ヤバい。錆を盗んでいたのがバレた? それとも、騎士団の備品を勝手に触った罪で告発される?
しかし、ギデオンの反応は予想外だった。
「拭いていただけ、か……」
彼は私の言葉を反芻しながら、ラックに置かれた剣に手を伸ばした。
私がさっき、サビ取りをしたばかりの剣だ。
魔法のコーティングを剥がしたせいで、ピカピカの光沢は消え、鈍い鉄色をしている。
「……見る影もないな。光沢が消え、まるで打ち捨てられた古鉄のようだ」
ギデオンが呟く。
ああ、やっぱり怒られる。騎士たちと同じ反応だ。「輝きがない=劣化させた」って思ってるんでしょ?
「も、申し訳ありませんぅ! すぐに魔法ワックスでお返ししますからぁ……!」
「――静かに」
ギデオンが片手を上げて私を制した。
彼は剣の柄を握り、ゆっくりと構えた。
その顔つきは、まるで実験結果を検証する学者のように真剣だ。
ヒュンッ。
彼が軽く剣を振った。
空気を切り裂く音が、静寂な倉庫に響く。
その瞬間。
ギデオンの目が、カッ! と見開かれた。
「……なっ!?」
彼は驚愕の表情で、手元の剣を凝視した。
「バカな……。なんだ、この『軽さ』は?」
彼は信じられないといった様子で、もう一度、今度は少し力を込めて剣を振った。
シュパァァァンッ!!
鋭い。
素人の私でも分かるほど、風切り音が澄んでいる。
空気が剣を避けているかのような、抵抗のない軌道。
「重心(バランス)が……修正されている? いや、それだけじゃない。刀身の微細な歪みが消え、刃筋が分子レベルで直列化している……!」
ギデオンがブツブツと譫言(うわごと)のように呟き始めた。
「あり得ない。砥石も使わず、炉にも入れず、ただ『布で拭いただけ』で? ……数年分の金属疲労を除去し、焼き入れの失敗による組織のムラを均一化したというのか?」
彼は震える手で刀身に触れ、指先を切った。
ツーッと赤い血が滲む。
触れただけで切れるほどの、恐ろしい切れ味。
ギデオンはゆっくりと顔を上げ、私を見た。
その目は、もはやゴミを見る目ではない。
未知の怪物(モンスター)を見るような、戦慄と畏怖に満ちた目だった。
「君は……一体、何をした?」
「へ? い、いえ……だから、拭いただけですけどぉ……」
私は困惑した。
何言ってるのこの人。
サビが取れて軽くなったのは当たり前だし、汚れ(凸凹)がなくなれば空気抵抗が減るのも物理的に当然でしょ?
分子レベルとか難しいこと言わないでよ。私はただ「邪魔なもの」をどかしただけなんだから。
「拭くだけで、名剣『竜の爪』の切れ味を蘇らせたとでも言うのか……!」
ギデオンが一歩詰め寄ってくる。
「白状しろ、アリア・ミレット! 君はただの汚物係ではないな? その技術……どこで習得した? ドワーフの鍛冶師か? それとも古代錬金術の秘伝か!?」
「ひぃぃぃッ! ち、違いますぅ! 私、ただの掃除オタクですからぁ! サビ見ると興奮しちゃう変態なだけですぅ!」
私は全力で否定した。
変な誤解をされたくない。
もし私が「剣を直せる」なんて噂が広まったら、面倒な武器の手入れ係に任命されちゃうじゃない!
私はあくまで「ゴミ」が欲しいだけで、騎士様のお世話なんて真っ平御免よ!
「嘘をつくな! これは『掃除』の領域を超えている! これは『再錬成(リ・フォージ)』だ!」
「あ、あの! 私、そろそろ門限なので! 失礼しまぁぁぁすッ!」
これ以上ここにいたら、何を問い詰められるか分からない。
私はギデオンの脇をすり抜け、脱兎のごとく倉庫から逃げ出した。
「あっ、おい待て! アリア!」
背後でギデオンの声がしたが、私は振り返らなかった。
(怖かったぁ……! なんなのよ委員長、目つきがガチすぎてホラーだったわ!)
私はリュックを抱きしめ、駐屯地の出口へと走った。
でもまあ、いいわ。
最大の目的である「魔力錆」は確保したんだもの。
あんな勘違いメガネ君のことなんて忘れて、早く地下に帰ってぷるんちゃんにご飯をあげなきゃ!
◇
アリアが嵐のように去った後。
静寂が戻った武器倉庫に、ギデオン・アイアンサイドは一人佇んでいた。
彼の手には、まだあの剣が握られている。
「……ふぅー、ふぅー……」
荒くなった呼吸を整えながら、ギデオンは眼鏡の位置を直した。
だが、指先の震えは止まらない。
彼は改めて、手の中の剣を見つめた。
一見すると、光沢のないボロ剣だ。
だが、魔力を通す「眼」を持つ彼には見えていた。
その刀身の表面に、一切の無駄がない、極限まで整えられた魔力伝導のラインが。
「魔法陣も刻まず、魔石も埋め込まず……ただの物質的な『完全性』のみで、ここまでの性能を引き出すとは」
ギデオンは魔法至上主義の教育を受けてきた。
威力は魔力量で決まる。性能は付与魔法で決まる。そう教わってきた。
だが、アリアの仕事は、その常識を根底から覆すものだった。
彼女は、魔法を「付与(プラス)」したのではない。
ただ、不純物を「除去(マイナス)」しただけだ。
それだけで、剣は本来のポテンシャルを100%、いや120%発揮できるようになった。
「……マイナスの美学、か」
ギデオンは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
アリア・ミレット。
いつも汚れた服を着て、卑屈な笑みを浮かべている底辺の少女。
誰も彼女に見向きもしない。汚物扱いして避けている。
だが、その正体は――。
「伝説の武器職人(マイスター)……いや、それを超える『修復の神』の御業を持つ者……」
ギデオンの中で、一つの仮説が確信へと変わっていく。
彼女は、ただの落ちこぼれではない。
何らかの理由で力を隠し、世を忍んでいる超重要人物なのだ。
でなければ、あんな神業を平然と、しかも「掃除」と言い張って行うはずがない。
「……なぜだ? なぜ隠す? それほどの才能があれば、国中がひれ伏すだろうに」
彼は剣をラックに戻し、拳を握りしめた。
悔しさ。嫉妬。
そして何より、抗いがたい「知的好奇心」。
「アリア・ミレット。……僕は君を暴く」
ギデオンの眼鏡が、ギラリと光った。
「君がその泥にまみれた仮面の下に、何を隠しているのか。……僕だけは、見逃さないぞ」
大いなる誤解と、一方的な熱情。
学級委員長の執拗な追跡(ストーキング)が、ここに確定した瞬間だった。
◇
一方、そんな重い決意など露知らず。
地下帝国に帰還した私は、鼻歌交じりに「収穫の儀」を行っていた。
「たっだいまー! ぷるんちゃん、見て見て~!」
地下室のテーブルに、戦利品の小瓶を並べる。
赤、黒、緑、そして虹色に輝く酸化被膜。
「キュウッ!?」
スライムのぷるんが、触手を伸ばして目を輝かせた(目はないけど)。
「ふふふ、すごいでしょ? 騎士団長クラスの剣から取れた『特級赤錆』よ! 鉄分たっぷりで、栄養満点!」
私は瓶の蓋を開け、中身をスライムの核(コア)に向かって振りかけた。
「さあ、お食べ。これを食べて、もっと強くて硬い『イイ男』になるのよ……!」
私の目的は一つ。
ベアトリクス様の顔面にこびりついた、ダイヤモンド級に硬い角質を削り取るための「研磨能力」を手に入れること。
「キュウウウウウウッ……!」
錆を食べたぷるんの体が、激しく脈打ち始めた。
桜色の半透明なボディが、内側から発光し始める。
それも、ただの光じゃない。
重厚で、煌びやかな――「黄金」の輝きだ。
「……お?」
私は目を見開いた。
地上では、一人の秀才が私の正体について深刻な悩み(妄想)を抱えていたが、そんなことはどうでもいい。
今、私の目の前で、とんでもないものが爆誕しようとしていたのだから。
――次回の地下スパは、少しばかり「リッチ」な輝きに包まれることになりそうだ。
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