第7話 地下大改装! スライム・インテリア

「よし、今日の『汚しメイク』も完璧ね」


 早朝の女子寮、最下層にある狭い自室。

 私は鏡の前で、茶色い染料と泥を混ぜた特製のファンデーションを、あえて頬や鼻筋に塗りたくっていた。


 ブラシで少しムラを作るのがポイントだ。これで「風呂にも入れず、長時間労働で薄汚れた可哀想な平民」の出来上がり。


 なぜこんなことをするのかって?

 そりゃあ、隠すためよ。

 この泥の下にある、ゆで卵の薄皮を剥いたような、つるっつるの国宝級美肌を!


(ふふふ……誰も気づいてない。私が毎晩、超高級エステ並みのケアをしてるなんて)


 私は深く帽子を目深に被り、防護服のジッパーを顎まで上げた。

 鏡に映るのは、いつもの猫背でうだつの上がらない「汚物係」のアリアだ。


「いってきまーすぅ……」


 わざとらしく気弱な声を練習して、私は部屋を出た。



 昼下がりの廊下。

 貴族科の生徒たちが優雅に行き交う中、私は壁のシミになりきって移動していた。


「あーもう、最悪! 昨日買った保湿クリーム、全然効かないじゃない!」

「私の肌、また乾燥して粉吹いてる……昨日の水属性魔法の練習しすぎかしら」


 前方から、エルザ様とその取り巻きたちが歩いてくるのが見えた。

 今日も今日とて、お肌のトラブル談義に花を咲かせているようだ。


 チラリと観察する。

 うわぁ……。今日のエルザ様、目の下のクマをコンシーラーで埋めすぎて、逆に浮いてる。まるで左官屋さんが壁の穴を埋めた直後みたいだ。魔力中毒の初期症状である「血行不良」が出てる証拠ね。


「あ、汚物係がいるわよ」

「げっ、こっち見んな。目が腐る」


 彼女たちは私に気づくと、露骨に顔をしかめて鼻をつまんだ。


「あ、エルザ様ぁ! ごきげんようございますぅ!」


 私は脊髄反射で最敬礼をした。

 心の中では舌を出して笑いながら。


(どうぞどうぞ、もっと軽蔑してくださいな。あなたたちが私を「汚い」と思い込んでくれているおかげで、私は誰にも邪魔されずに宝物を独り占めできるんですから!)


「フン、相変わらず薄汚い女ね。私の視界に入らないでちょうだい」


 エルザ様は扇子で私を追い払う仕草をして、通り過ぎていった。

 その背中を見送りながら、私は小さくガッツポーズを決める。


 勝った。

 今日も完全に騙しきった。


 さあ、面倒な地上での業務(という名の宝探し)をさっさと終わらせて、私の城へ帰ろう!



「ただいまー! みんなー!」


 地下室の重い扉を開けた瞬間、私の声色は一変した。


 そこはもう、カビ臭いコンクリートの倉庫ではない。

 淡い光に包まれた、幻想的な「癒やしの空間」だ。


「キュウッ!(お帰り!)」

「ピギッ!(ごはん?)」

「ポヨヨン!(遊ぼう!)」


 色とりどりのスライムたちが、弾むような音を立てて出迎えてくれる。


 そう。今の地下室には、相棒の「ぷるん」だけじゃない。


 ここ数日、私が地上から回収してきた様々な属性のスラグ(廃棄魔力)を、ぷるんの分裂体たちに食べさせてみた結果、素晴らしいことが起きたのだ。


 風属性の廃棄物を食べた子は、爽やかなエメラルドグリーンに。

 水属性の廃棄物を食べた子は、涼しげなサファイアブルーに。

 そして光属性の廃棄物(珍しい!)を食べた子は、照明代わりのトパーズイエローに。


 それぞれが宝石のように内側から発光し、薄暗かった地下室を極上のイルミネーション会場に変えていた。


「はいはい、順番ね! 今日のお土産は、2年生の実験棟から出た『雷属性のビリビリスラグ』だよー!」


 私がタンクを開けると、黄色いスライムたちが嬉しそうに飛びついてくる。

 彼らにとってはご馳走、私にとってはゴミ処理完了。まさにWin-Winの関係!


「さてと……今日も改装の続きをやりますか!」


 私は泥メイクを洗い流し、防護服を脱ぎ捨てた。

 現れたのは、ぷるん印の『ロイヤル・ゼリー・スライムコア』を全身に塗りたくって手に入れた、発光するような白磁の肌。

 地下のひんやりとした空気が、敏感になった肌を撫でて気持ちいい。


「まずは、この無機質な床と壁ね。もっとリラックスできる空間にしないと」


 私は杖を構え(といっても掃除用のモップだけど)、魔力を集中させた。


「――『精密洗浄(マイクロ・クリーン)』、対象『床面の微細な凹凸』および『空間の淀み』!」


 キュイイイイーン……!


 私の目には、コンクリートの表面にあるミクロ単位のザラつきが「汚れ」として映る。

 それを魔力で削り取り、磨き上げ、分子レベルで平滑化する。


 ジャッ!


 一瞬で、灰色の床が、鏡のように私とスライムたちを映し出す「大理石風ミラーフロア」へと変貌した。

 摩擦係数はゼロに近いが、私の制御下にある空間なので滑って転ぶことはない。歩くたびにツルツルとした感触が足裏を刺激して、最高に気持ちいいのだ。


「よし、次はインテリア!」


 私が指を鳴らすと、待機していたスライムたちが「待ってました!」とばかりに動き出した。


 ぷるん(リーダー格の桜色)が中央に陣取り、形を変える。

 横に広がり、中央をくぼませ、背もたれのような突起を作る。


 ボヨンッ。


 あっという間に、高級ラウンジにありそうな、流線型の巨大ソファが完成した。

 素材はスライム100%。

 適度な弾力、ひんやりとした触感、そして体温に合わせて形状記憶するフィット感。


「ナイスだよ、ぷるんちゃん!」


 私はそのスライム・ソファに背中からダイブした。


 ムニュゥ……。


「はぁぁぁぁ……生き返るぅ……」


 全身が極上のゼリーに包まれる感覚。

 重力が消えたみたいだ。

 腰の疲れも、足のむくみも、スライムの微弱な魔力振動(マッサージ機能付き)が優しく解きほぐしてくれる。


「キュウ~(えっへん)」


 背中越しにぷるんのドヤ顔が伝わってくる。


 さらに、緑色のスライムたちが部屋の隅に移動し、空気清浄機モードに変形した。彼らの体を通った空気は、森の中にいるようなフィトンチッドの香りを帯びて排出される。

 青いスライムたちは天井に張り付き、水面のような揺らぎのある光を投射して、プラネタリウムのような演出を始めた。


「完璧……」


 私は天井を見上げながら、うっとりと呟いた。


 ここはもう、ただの地下倉庫じゃない。

 王都の最高級ホテルだって、こんな設備は用意できないだろう。

 だって、家具そのものが生きていて、主人の体調に合わせて最適な環境を自動生成してくれるんだから。


「これを独り占めできるなんて、バチが当たらないかしら?」


 いいえ、当たらない。

 だって私は毎日、泥水をすすって(比喩)、汚物まみれになって働いているんだもの。これくらいの役得、あって然るべきよ。


 私はポーチから、例の『ロイヤル・ゼリー』を取り出した。

 指先ですくい取り、目の周りと唇に塗る。


 スーッとしみ込む感覚。

 日中の紫外線ダメージも、演技による表情筋の疲れも、一瞬でリセットされる。


「あー、幸せ」


 地上の貴族たちが、高いお金を払って効果の薄いクリームを塗りたくっている頃、私はゴミから作った最高級品で全身エステ。この背徳感が、さらに美容効果を高めている気がする。


「ねえ、ぷるんちゃん。ここを『ロイヤル・スライム・スパ』って名付けようか」


「キュウッ!(賛成!)」


「会員は私ひとり。完全紹介制、というか紹介不可の秘密クラブ。ふふっ、響きがいいわね」


 私はクスクスと笑い、スライム・ソファの中で寝返りを打った。


 ――その時だった。


 カツ、カツ、カツ……。


 遠くから、規則正しい、そしてどこか威圧感のある足音が響いてきたのは。


「……ん?」


 私は体を起こした。

 スライムたちもピタリと動きを止め、入り口の方を凝視する。


 ここは学園の最深部。

 普段なら、こんな時間に人が来るはずがない。

 教師? 警備員?

 いや、あの足音の独特なリズムは、もっと恐ろしい、学園中の生徒が震え上がる「あの人」のものだ。


「ま、まさか……」


 私の背筋に冷たいものが走る。


 重い鉄の扉が、ゆっくりと、軋んだ音を立てて開かれた。


 ギイィィィィ……。


 逆光の中に立っていたのは、完璧にプレスされた制服を着こなし、氷のような眼鏡を光らせた、長身の女性。

 手には出席簿ではなく、違反者を取り締まるための鞭のような指示棒が握られている。


「――こんな夜更けに、地下から甘い匂いがすると思えば」


 低く、冷徹な声が響いた。


「ここで何をしているのですか、汚物係のアリアさん?」


 学園の生ける伝説。

 規則の鬼。

 歩く校則違反チェッカー。


 マーサ・ヴァン・ダイン寮監先生が、仁王立ちしていた。


「ひぃっ!? りょ、寮監先生ぇぇぇ!?」


 終わった。

 私の楽園生活、第7話にして強制終了のお知らせ!?


 いや、待って。

 先生の顔色が、いつもより悪い気がする。

 眉間のシワが深いし、腰を押さえている手が震えているような……?

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