Chapter 7 Blood 血縁
第21話 ぐぅ
梓さんの言葉が夜の木々に消えた後、しばらく誰も言葉を発しなかった。
重い沈黙。
木々を揺らす風の音だけが、耳に届く。
真夏の夜だというのに、汗が冷たく感じた。
その時だった。
――ぐぅぅぅ。
静寂を破って、何かが鳴いた。
誰かのお腹が。
「……っ」
梓さんが、ぎゅっと自分のお腹を押さえた。
街灯に照らされた横顔が、見る見るうちに赤くなっていく。
「……今の」
探偵さんが口を開きかけた瞬間、
――ぐぅぅぅぅぅぅ。
もう一度、盛大に鳴った。
「…………」
梓さんの肩が、小刻みに震えている。
泣いてる?
いや、違う――恥ずかしさで固まってる。
耳まで赤くなってるよね?
「梓さん……もしかして、ちゃんとご飯食べてない?」
私が恐る恐る聞くと、梓さんは顔を背けた。
「……食べてる」
「嘘だ」
即答した。
「だって今の音、絶対お腹空いてる音だもん」
「…………コンビニで、買ってる」
蚊の鳴くような声。
「朝は?」
「……パンとか?」
「昼は?」
「……おにぎり?」
「夜は?」
「……カップ麺?」
探偵さんが、ぽりぽりとパッキーを齧りながら呟いた。
「それは、食べてるとは言わないね」
「…………」
梓さんは完全に俯いてしまった。
久我さんが心配そうに覗き込む。
「矢野さん、ホテル暮らしなんだろ? ちゃんとした食事、してないのか?」
「……お金は、あります。村が出してくれてるから」
「でも使ってないんだね」
探偵さんの言葉に、梓さんは小さく頷いた。
「……任務中だから。贅沢は、できないの」
「食事は贅沢じゃないよ」
私は思わず立ち上がっていた。
うん、梓さんが誰だろうが何だろうが放っておけない!!
身体の傷がすぐ治るのがなんだ、よくわかんない弓をひゅんひゅんしてるのがなんだ!
「梓さん、うち来て」
私の選択肢に、お腹すかしてくぅくぅ鳴らしている女子を見捨てるものはないっ!
「……え?」
「ご飯、食べに来て。お母さん料理上手だから」
「で、でも……」
「ダメ! そんな食生活してたら倒れちゃうよ! この暑さなのに!」
気がつけば、梓さんの手を掴んでいた。
「ほんとだよ! 真弓くんの言うとおりだとも!!」
尻馬に乗って探偵さんがしたり顔で何か言ってるけど、私はこの人が行き倒れていたのを忘れてないからね!!
「清音さんを助けたいんでしょ? だったら、ちゃんと食べなきゃ!」
「…………」
梓さんは、困ったような、でも少し嬉しそうな顔をした。
「……迷惑じゃ、ない?」
「迷惑なわけないよ! むしろ、放っておけない!」
久我さんが苦笑する。
「真弓ちゃん、本当に世話焼きだね」
「ほっとけないんです!」
「いいね。真弓くんらしい」
そう言って探偵さんも、ふわりと笑った。
◇
梓さんと私が歩き出すと、探偵さんと久我さんも自然とついてきた。
弓は三つに折りたたまれて、梓さんの太ももについてるベルトに装着されている。
――ちょっと女スパイみたいで格好いい。
和弓でも洋弓でもない。
聞いてみたら、村の神事に使う神具だそうな。
だから似ているだけで正確には弓でもなく、
どちらかというと楽器に近いものらしい。
「え、探偵さんたちも?」
「当然だろう。夜道を女子高生二人だけで歩かせるわけにはいかない」
久我さんが、当たり前のように言う。
「僕も送っていくよ。段ボールハウスは逃げないからね」
探偵さんも、軽い調子で笑った。
「ありがとうございます……」
梓さんが小さく頭を下げる。
四人で夜道を歩く。
生ぬるい夜風が頬を撫でていく。
さっきまでの緊張感が嘘みたいに、普通の帰り道だった。
「……ごめんなさい」
梓さんが、小さく謝った。
「何が?」
「迷惑、かけて」
「迷惑じゃないって言ったでしょ」
私は笑って、梓さんの手をもう一度握った。
梓さんの手、思ったより冷たい。
「それに……梓さん、一人で頑張りすぎだよ」
「…………」
「清音さんのこと、大切なんだよね」
「……うん」
「だったら、ちゃんと食べて、ちゃんと休まなきゃ」
梓さんは、少しだけ笑った。
「……真弓さん、お母さんみたい」
「え、やだ、私まだ高校生なんだけど!」
「ふふ……冗談」
その笑顔を見て、私も笑った。
後ろから、探偵さんと久我さんの声が聞こえる。
「真弓くん、本当にいい子だね」
「ああ。ああいう優しさは、なかなか持てるもんじゃないね。さすがは柳田先生の教え子だよ」
二人が何か話してるけど、聞こえないふりをした。
久我さんが、さらっと惚気ているのにちょっとイラってする。
真夏の夜道を四人で歩く。
奇妙な四人連れ。
でも、不思議な穏やかな空気が流れているような、そんな気がした。
◇
家に着くと、玄関の前で探偵さんと久我さんが立ち止まった。
「じゃあ、ここまでで」
久我さんが言う。
「ありがとうございました、久我さん。探偵さんも」
「いいよ。また明日、部室に顔を出すかも知れないから、よろしくね」
久我さんは軽く手を振って歩いて行く。
「探偵さんは……本当に段ボールハウスで大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫。むしろ風通しが良くて快適だよ」
探偵さんは、いつものふわりとした笑顔を浮かべた。
「それに、ちょっと調べたいことがあるんだ。
もしかしたらしばらく家にはいないかもだけど、心配しないでね」
――家。
家っていったよ、この人。
「……調べたいことって何です?」
「ああ、この街の地下を探ってくるよ。
あの影はどうにも地面の下が好きみたいだしね」
「あの、探偵さん!」
探偵さんの言葉を聞いて、梓さんが声を掛けた
「どうか……お気をつけて。
地下はあれの領域ですから」
「うん、大丈夫。
僕はまだ強いからね!」
ふわりと探偵さんは笑みを浮かべると、その場を後にする。
「気をつけて帰ってくださいね」
「うん。じゃあ、おやすみ」
去って行く背中に声をかける。
そうして、二人は夜の中へ消えていった。
◇
私と梓さん、玄関の扉を開ける。
エアコンの効いた涼しい空気が流れ出てくる。
「おかえり、真弓。遅かったわね」
母が玄関で待っていてくれた。
「ごめん、お母さん。あのね、友達連れてきたんだけど……今日泊めてあげてもいいかな?」
「あら、いらっしゃい! もちろんよ?」
母は、梓さんを見て目を丸くした。
「まあ、綺麗な子ね……あら、どこかで見たような? どこだったかしら?」
「いえ、初対面でだと思うんですけど……お邪魔します」
梓さんが、丁寧にお辞儀をする。
「どうぞどうぞ! ちょうど夕飯の残りがあるから、温め直すわね。暑いでしょう、冷たいお茶も用意するわ」
「あ、ありがとうございます……」
梓さんは、少し戸惑いながらも、家に上がってくれた。
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