第4話 忘れられた誕生日

11月5日金曜日


金曜日の夕方。

オフィスのホワイトボードには、新しく赤いマーカーで数字が書かれていた。


《あと8回 日曜日が来たらクリスマス!》


その数字を見るだけで、なんとなく胸がざわつく。

焦っているわけじゃない…はずなのに。


舞が書類をまとめていると、隣の席から早瀬が声をかけた。


「高梨さん、今日やる予定だった校正、終わってないですよね?」


「え、なんで分かるの?」


「顔に書いてあります。“まだ半分です”って。」


「そんな顔してた!?」


「だいぶ。」


むかっ、としつつ、笑ってしまう。

ほんと、いちいち正確だ。


「焦るとだいたいミスしますよ。いつものことなんで。」


「もう!それ言わなくていいから!」


ぷん、と口を膨らませると、新は少しだけ口元を緩めた。



資料整理を続けていると、ふと新の方から話を振ってきた。


「高梨さんって、前の彼氏とは長かったんですよね。」


「あ、うん。三年くらい?」


「へえ。どんな人だったんですか?」


恋バナを振ってくるタイプじゃないと思っていたので、舞は少し驚いた。


「いい人だったよ。優しいし、怒らないし、ご飯行ったらだいたい奢ってくれたし。」


「…完璧じゃないですか。」


「ただね、ひとつだけ欠点があって、、」


「なんですか?」


舞は小さく笑った。


「誕生日、覚えてもらえなかった笑」


新の手が止まる。


「三年で一度も?ありえないでしょう。」


「いやいや、そんな怒ることじゃないでしょ。私の誕生日、ポッキーの日なんだけどね。“あれ?今日だっけ?”って毎年聞かれてた。」


自分でも笑えるくらい、もう痛くない。


「まあ、忘れちゃう人はいるし。忙しい時期だったしね。」


新は渋い顔をする。


「言い訳ですね。」


「きびし〜。」


「簡単なことじゃないですか、誕生日って。」


ぼそっと言ったあと、少しだけ目をそらす。


そういう新の元恋人は毎年祝われてたのかと思うと少し羨ましかった。



仕事終わり。

帰り支度をしていると、新が通りすがりに言った。


「高梨さん。」


「ん?」


「さっきの話ですけど。誕生日、覚えてもらえないのに三年続けたの、すごいですね。」


「え、すごいってなに?」


「だって—」


少し考えて、彼は言葉を選ぶみたいに続けた。


「…それでも相手を嫌いにならなかったってことですよね。」


ふっと胸が温かくなる。

誰にも言われたことのない言い方だった。


「まあ、好きだったしね。」


「そういうの、ちゃんと言えるのも高梨さんの長所だと思います。」


「なにそれ、珍しく褒めた?」


「別に。事実言っただけです。」


ツンとした口調なのに、目は優しい。

そのギャップにまた心が揺れる。



エレベーターの前。

開いた扉に乗り込む直前、新がぽつりと呟く。


「…次の人は、ちゃんと覚えてくれるといいですね。」


「え、誰のこと?」


「高梨さんが探してる未来の恋人ですよ。」


返す言葉が見つからなくて、舞は思わず立ち止まった。


扉が閉まる直前、新がこちらをちらりと見る。


その視線はいつもより少しだけ柔らかかった。


クリスマスまで、あと8回。

でも舞の心は、もう静かに動き始めていた。

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