第3話 兄が歩み出す道
ぼんやりした光がまぶたの裏を照らしている。
目を開けると、天井には見たこともない光の結晶が吊り下がっていた。紫がかった光が、まるで呼吸に合わせるように脈打っている。
昨日から違和感はあった──ここ、日本じゃない?
(……いや、違う。どう見ても違う)
木造の天井なのに、梁には未知の金属が埋め込まれ、壁には丸い魔石のようなものがはめ込まれている。
(まさか……異世界?)
「……やっと起きた?」
そんな俺の思考を引っぱたくように、ぶっきらぼうな声が飛んできた。
振り向くと、黒髪に紅い瞳の少女──灯莉が立っていた。
「ほら、水。別にあんたのためじゃなくて、余ってただけだから」
ツンとした声。
けど、差し出す手はかすかに震えている。
「ありがとう」
「……っ! あ、ありがとか言われても……別に嬉しくないし……!」
(……これって、いわゆるツンデレってやつか?)
水を飲むと、身体の奥に沈んでいた重さが少し抜けた。
「昨日の魔獣、よく生きてたね。普通、Cランク相手に無装備の子どもなんて瞬殺だよ」
「……魔獣、か」
昨日見た獣は“魔獣”と呼ばれているらしい。
「ここは〈エン=リュウ〉の森。魔獣の巣窟だよ。ほんと、よく死ななかったね」
「死なぬも、また運命だ」
静かな声が部屋に満ちた。
宗真だ。黒い外套に鋭い眼光。しかし、その奥には諦観にも似た優しさがあった。
「手を出してみろ」
言われるまま差し出すと、宗真が俺の手を包む。
次の瞬間、身体の奥に微かな震えが走った。
「……っ」
「ほう……昨日より流れが整っているな」
(なんだ……この感覚)
宗真は俺の目をまっすぐ見た。
「おまえ、昨日言っていたな。守りたいものがあると」
胸の奥から自然と声が出た。
「俺には、死んでも守りたい弟がいる。
自由に笑って、好きに喋って、バカみたいなこと言って──
それを守れるのは兄の俺だけだから」
一度、息を吸う。
「弟の笑顔も、自由も……全部、俺が守る」
言い切った瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。
灯莉は、なぜか少しだけ目をそらす。
「……そういうの、嫌いじゃないよ。
……べ、別に褒めてるわけじゃないけど!」
と、顔を赤くしながら言う灯莉。
「だがな、坊主」
宗真が静かに告げた。
「その肝心の弟は、どこにいるか分かっているのか? お前がいた近くに、人の気配はなかったぞ」
息が止まる。
「弟は……」
この世界にいるのか? 別の場所なのか?
「まずは、ここがどこか教えよう。ここはキラサギ国の禁忌の地──〈エン=リュウ〉の森だ」
(キラサギ国……)
湊が何気なく話していた記憶が蘇る。
──「れんにぃ、異世界ってさ、行ってみたくない? 魔法とか剣とかめっちゃ燃えるじゃん!」
──「そんなところあるわけないだろ」
──「絶対ある! そんでもって、俺がれんにぃを魔法で守るんだ!」
笑いながらそんなことを言っていた、あいつの顔。
(湊……お前も、この世界に来てるよな)
「坊主」
宗真が窓の外を指した。
外には朝靄が沈み、木々の間で淡い光が揺れている。
「昨日も言ったが、ここから森を抜けるには、最低でもAランク魔獣を倒す力が必要だ」
「Aランク……?」
「昨日のがCランクであれだからね?」
灯莉が肩をすくめる。
「アンタなんて、一撃でペシャンコだよ」
「……それでも、弟を探したい」
湊は絶対にこの世界にいる。
拳が震えていた。
「お願いします。俺、強くなりたい」
宗真はしばらく黙り──やがて、ゆっくりとうなずく。
「よかろう。ここで鍛えてやる」
小屋を出ると、背後に広がる訓練場が朝光に照らされていた。
木製の人形が並び、石柱が林立し、その周囲を淡い結界の光が走っている。
灯莉は腕を組み、じっと俺を睨んだ。
「ほんっとにやるんだ。師匠の修行はきついんだよ。死んでも知らないよ?」
「死なないように頑張るよ」
「べ、別に応援してないから!」
「坊主」
宗真の声は落ち着いていた。
「強くなりたい理由がある者は伸びる。だが──勘違いするな。基礎ができていなければ、すべて崩壊する」
「……うっす!」
湊の笑顔が浮かぶ。
雨の夜、手をつないで走った温もり。
あのとき守れたものを、今度はもっと守れるように。
(絶対に見つけて、俺が守る。)
胸の奥が、熱く脈打った。
「最後に名を名乗れ。修行する者としてな」
宗真に促され、俺はまっすぐ前を見すえる。
「蓮。
──俺は、蓮。
弟を守るために、強くなりたい」
言い終えた瞬間、体内で何かが静かに──しかし確かに──目を覚ました。
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