第13話 父親の謝罪
私が戸惑いながらも頷くと、白川涼雨が喋り始めた。
「樋口さんの実父である長居広慎さんは、自らの不始末を詫び、何とか改易の沙汰を取り消してもらおうと、武士らしい切腹を試みますが、残念ながらしくじってしまいます。
切腹の作法である一文字腹をやり遂げられなかったばかりか、誉れである嫡子による介錯もかなわず、その上、心の臓への止め刺しなどは、まるで獣の如く甚だ不恰好な始末である。と評価されました。
しかし、この泰平の世にあってほとんどの侍が、良くて三方に扇子を置く扇子腹か、悪ければ末期の盃に毒を盛る一服(いっぷく)などが用いられる中で、武士の誇りを失わない見事な最後であったと思います。
それなのに、悪意を持った上役から過小に評価されてしまいました。
真に残念な仕儀であったと思います。
その上、まだ前髪が取れたばかりの樋口さんの心に、消したくても消せないほどの大きな傷を残しました。
ただ、それもこれも父親が息子を愛するが故の行いだったのです」
私は、驚きで言葉を失っていた。
白川涼雨とは一体何者なのだ。
ただ、神にしては甚だ小さく、霊能者にしては余りにも大きな存在に見える。
今、白川涼雨の語った諸々の事情は、私と長居家の用人である上野老人しか知らないことで、その上野老人も既にこの世の人ではない。
そして当然ながら、事の顛末はどこにも記されていないのだ。
では何故、白川涼雨がそれらの事情を知り得たのかと言えば、白川流霊枢治療が呪い(まじない)や易(えき)などのようにまやかしではなく、本物だという証なのだろう。
「貴方には、私の過去が見えているのですか?」
この言葉に、白川涼雨と私以外の三人が驚きの声をあげたが、白川涼雨だけは神妙に頷いたのだ。
私は、震える声でもう一度問い掛けてみる。
「貴方は神なのですか?」
この言葉に白川涼雨は首を左右に振った。
「いいえ。私は、ただの鍼医者ですよ」
そう言った白川涼雨は、「話を続けても大丈夫ですか?」と私に断ってから、「樋口さんは、実父の介錯を行った際に、大量の返り血を浴びてしまいましたね?」と確認してくる。
私が頷くと、「私が、樋口さんの雨を取り込んだと言っても、厳密に雨だけを取り込んだわけではありません」と打ち明けた。
「雨と一緒に、聖気の欠片や身体の内部にこびり付いていた思念なども、同時に取り込んでしまったのです。
その中に、長居広慎さんの最後の思念が残されていました。
お聞きになりたいですか?」
私は、この言葉に込み上げてくる感情を抑えながら、何とか震える顎を頷かせた。
すると、白川涼雨が優しい声音で喋り始める。
「慎之介、私はつくづく駄目な父親なのだ。
旗本としても人間としても…
正に負け犬のごとき人生であった。
私に誇れるものが有るとすれば、ご先祖様から受け継いできた家門と、亡くなった隆子(たかこ)の忘れ形見であるお前くらのものだ。
それでも、何とか新番衆に任じられて、お役目に励んでおったが、真面目なだけで融通の利かぬ私は、上役との折り合いも悪かった。
ある日、そろそろ息子の見習い務めをと願い出たのだが、軽くあしらわれた挙げ句に、身体が大きいだけで頭の軽い倅を、何処に推挙せよというのだ。と罵られた。
それだけでなく、そういえばお主の奥も見上げるほどの大女であったなと、笑いおったのだ。
私は、己れの悪口であれば何を言われても我慢ができる。
しかし、一族を辱められるのは許せなかった。
私は上役の襟首を掴み、いくら上役とはいえ、武家として一族を貶めのるは禁忌でござろう。間違いを詫びてくだされ。と揉み合いになったのだ。
私は間違ったことは言うておらぬ。
また、誰に恥じ入ることもない。
だが、十人目付に届けられた報告書の内容は、事実とは全く異なっておった。
私が、息子の見習い推挙に良き返答が得られなかった事を恨みに思い、あろうことか暴力に及んだというのだ。
しかも、あの折は私と上役の二人だけであったにも関わらず、それを裏付ける証人が同役から二人も現れた。
そして、長居家は若年寄りから改易を言い渡されたのだ。
何度も申し開きをしたが評定は変わらず、私は遂に、命を捨てて不服申し立てをすることに決めた。
そして、立派に父親の介錯を果たした息子に家督を譲ることで、何とか改易の沙汰を取り消してもらおうと考えたのだ。
どうしても、お前にご先祖様から受け継いだ家門を残してやりたかった。
それがどうだ…
あのように無様な仕儀に至ってしまい、そればかりか、慎之介の心に癒えぬほど大きな傷を負わせてしまった。
何故あの時、家門を残すことにこだわったのか…
格式ばかりを重んじる窮屈な侍など捨てて、息子の幸せを第一に、貧乏でも倹しく生きる道があったはずなのに。
この世に、我が子より大切なものなどないのだから…
誠に申し訳なかった。
慎之介、こんな馬鹿な父親を許してくれ」
私は、父親から泣くな笑うなと育てられてきた侍だが、我慢が出来ずに声をあげて泣き出してしまう。
「違うのです。
父上が悪いのではありません。
独活の大木と、周囲から罵られたのは私が悪いのです。
それなのに私は、処分の理由を知ろうともせずに、改易を言い渡された父上を心の中で恥じていました。
お詫びを申し上げねばならぬのは私の方なのです」
私を、真っ直ぐに見詰めていた白川涼雨が、ゆっくりと首を左右に振った。
「お前は何も悪くない。
お前は自慢の息子であった。
目を閉じれば今でも思い出すのだ。
赤子の頃の小さな小さなお前の姿を…
侍なのにと笑われても、お前が愛おしくてならなかった。
私は、その折に妻である隆子に誓ったのだ。
命に替えてもこの子を幸せにすると。
だから、お前が気に病むことなど何もない。
これは、父親としての私の務めなのだ。
だが、お前は私のように真面目なだけで融通の利かぬ者にはなるな。
もっと器用に生きねばならぬ。
良いな」
私は、嫌々をする童子のように首を振った。
「嫌です。私は父上のように生きるのです。
いや、父上のように生きてみたいのです!」
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