第6話 雨供養

 目を覚ますと、私は家族を失ったことを思い出していた。


 それまでは心が拒否していたのに、今は、その現実を素直に受け入れている。

 それでも尚、こんなにも晴々とした気分でいるのは何故だろう。


 私の世界に色が戻ってきた。


 さっきまでは、色のない世界を一人で生きていたのに、今は、色の付いた世界を、沢山の人と一緒に生きているという実感がある。


 私は生きているのだ。


 こんなにも爽やかな目覚めはいつ以来だろう。

多分、おっかさんが狐に憑かれる前、いや、おとっさんに女が出来る前だと思う。

家族が仲良く笑い合っていた頃のことだ。


 治療の時は、正座の上に丸めた布団を乗せられていたが、今は、布団の上に仰向けに寝かされている。


 私は、ゆっくりと上半身を起こした。

心だけでなく身体も軽い。

そして、左に顔を向けると白川先生が笑顔で私を見詰めている。

何だか、それだけで涙が溢れてきた。


「どんな感じだい?」と聞かれたので、久しぶりに笑顔を浮かべて、「良い気分です」と本音を吐露する。

 私は、笑顔を寂しげに曇らせてから素直に告白した。


「私の治療が終わると、おっかさんの治療をして欲しいと約束していましたが、その必要はありません。

私が、思い違いをしておりました」


 優しく頷いた白川先生が、「悲しい思い違いだったね」と言ったので、思わず白川先生の顔を見ると、続けて、「でも、おなつの治療はまだ終わっていないよ」と告げられたのだ。


 驚いた私が、「私は、もう大丈夫です。良くなりました」と言うと、白川先生が優しく首を左右に振った。


「私が取り込んだ、おなつの雨はまだ浄化されていないし、おなつの中に有る雨を生み出す魂魄の痼りも消えていない」

私が、「どうすれば浄化できるのですか?」と聞くと、私の質問を無視した白川先生がこう言った。


「私と少し話をしよう」


 その言葉に、私は戸惑いながらも小さく頷いた。


「おなつは身体が小さいから、七つか八つくらいかと思っていたが、もう十になるのだね。

しっかりしているはずだ。

それでも、正気を失ったおときさんを支えながら、弟の幸太と妹のおみつの面倒をよくみていたね。

だが、無情にも大火が全てを奪ってしまった。

残されたのは、おときさんが駆け落ちする際に、実家の母親に持たされた紙入れと一分金貨が二枚だけ…

しかし、おなつが一番心残りなのは、家族と最後の別れが出来なかったことだ。

だから、家族を失ったことを受け入れられなかったのだね」


 私は、白川先生の言葉に感動していた。

この人は本物なのだ。


おっかさんが元気な頃、おとっさんのことで有名な易者や観相家などにも観てもらったが、どこか胡散臭さかったり、仕掛けが見え隠れしていたのだが、この人は違う。


 この人に比べれば、神社のお祓いなんてまるで童の遊びだ。


 小娘の私にだって、その格の違いが分かる。


 私は、白川先生に何の情報も与えていない。

生まれた日も住んでる場所も、家族の名前さえ…

しかも、突然訪ねて来たのだから、事前に調べることも出来ないのに、私しか知らないことをスラスラと喋り始めたのだ。


 だが、そんな私の感動を余所に白川先生の話は続いていた。


「実は、おなつの雨を取り込んだといっても、雨だけを取り込んでいるわけではないのだ。

雨と一緒に、聖気の欠片や身体の内部にこびり付いている思念なども同時に取り込んでしまっている。

そこに、おときさんの最後の思念が残されていたんだ。

通常、母親の思念は誰の身体にも残っている。

それは、赤子として母親の体内に居たのだから当然だが、おなつの場合は、おときさんの亡骸を抱きしめた際に、その炭を吸い込んだことで、おときさんの最後の思念が残された。

聞いてみたいかい?」


 私は、泣き崩れる顔を隠すことも忘れて大きく頷いた。

すると、白川先生がおっかさんみたに優しい声音で喋り始める。


「おなつ、お前にばかりに苦労を掛けてすまなかったね。

私は弱い母親だったよ。

裕福な商家の末っ子に生まれて、甘やかされて育ったもんだから、こんなにも軟弱になっちまって。

なのに気位だけは高いから、長屋のおかみさん達にも上手く馴染めなかったのさ。

それで、一人で全部を抱え込んじまった。

おなつの次に産まれるはずだった赤子が流れちまった時も、旦那に女が出来て出て行っちまった時も…

馬鹿だね。

いま考えりゃあ、大したこともないのにさ。

どこにでも転がってる、誰もが経験する小さな不幸なのに、そんな小さな不幸に押し潰されて正気を失った挙句に、大切な我が子を三人も道連れにしちまった。

悔やんでも悔やみきれないよ。

おなつ、こんな馬鹿で弱虫な母親を許しておくれ。

そして、お前は、お前だけは、こんな母親みたいになっちゃ駄目だよ。

おなつ、お前は強く生きるんだ。

幸太やおみつ、お腹に居た赤子の分まで強く生きておくれ。

頼んだよ」


私は、泣きながら首を激しく振った。


「おっかさんは弱虫なんかじゃあない。

一生懸命に生きて、私達を産んで、必死に育ててくれたじゃあないか。

おとっさんが酒を飲んで暴れた時も、自分が盾になって、私達には指一本触れさせなかった。

自分は殴られて血を流しているっていうのに、子供達に怪我がないって分かると、安心して笑っていた。

私も、おっかさんみたいに強くて優しい人になるんだ」


 私の言葉に白川先生が優しく微笑んだ。


「お前には、何も残してあげられなかったけど、この紙入れだけは渡したかった。

この紙入れは、私が家を出る朝に、母親がこっそり渡してくれたんだ。

今なら分かる。

渡されたのは、紙入れでも銭でもなかった。

母親からの深い愛情だったんだよ。

だから私も、この紙入れだけはおなつに渡してあげたかった」


 私は、真っ黒な炭の塊になっても、必死に手を差し伸べて、紙入れを渡そうとしていたおっかさんを思い出していた。


 我慢しているのに、勝手に後から後から涙が溢れてくる。

 気付いたら、私は赤子みたいに声を上げて泣いていた。


 すると、私の中にある硬い水晶玉みたいな痼りにヒビが入って、次の瞬間、その水晶玉は内側から爆発するみたいに砕け散っていたのだ。


 その不思議な衝撃を体内に感じながら、私は、より一層激しく泣き続ける。


 白川先生は、そんな私を優しく見詰めていた。

そして、囁くようにこう言ったのだ。


「泣けば良いのだ。

涙が、何もかも洗い流してくれる。

赤子だって泣きながら産まれて来るのだから、おなつも、泣きながら生まれ変われば良いのだ。

案ずることは何もない。

私の中に有ったおなつの雨も、おなつの中に有った魂魄の痼りも綺麗に浄化されたのだから…」


 私は、泣きながら大きく頷いた。

そして、何度もしゃくり上げながら、途切れ途切れの震える声で礼を言う。

「私の中の雨が供養されたのですね。

おっかさんも安心していると思います。

ありがとうございました」

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