第2話 正しい努力の検証、そして一ヶ月後
翌朝、俺は全身を襲う激痛で目を覚ました。
筋肉痛だ。それも、ただの筋肉痛ではない。
指の先から足の裏まで、身体中のあらゆる繊維が悲鳴を上げている。まるで全身を一度バラバラにして、無理やり繋ぎ直したかのような感覚。
「……ぐ、ぅ……」
ベッドから起き上がるだけで、脂汗が滲む。
だが、俺は自然と笑みをこぼしていた。
「効いてる……。間違いなく、昨日の素振りが効いてる」
前世の俺なら、これを不健康な疲労として湿布を貼っていただろう。
だが今は違う。この痛みは、俺の筋肉が破壊され、より強靭に再構築されようとしている「成長の証」なのだ。
5年間、どれだけ剣を振っても感じられなかった、確かな手応えがそこにあった。
『――おはようございます。マスター』
脳内に、あの無機質な声が響く。
昨日、俺を目覚めさせた『正鵠(せいこく)の理』のナビゲーターだ。
「おはよう。……昨日のあれは、夢じゃなかったんだな」
『はい。マスターの身体情報のスキャンを完了。昨日の負荷により、筋繊維の断裂と修復を確認。基礎ステータス【筋力】が 0.5 上昇しました』
「寝て起きただけで0.5も!?」
俺は驚愕した。
ステータス「1」を上げるのに、普通の人間なら数ヶ月のトレーニングが必要だ。
それを、たった一晩で。
『本日の推奨メニューを作成します。実行しますか?』
「ああ、頼む。俺を最強にしてくれ」
俺が念じると、視界に半透明のウィンドウが開いた。
**【本日のデイリーミッション】**
* **基礎代謝の最適化(呼吸法)**:常時実行
* **筋繊維の超回復促進(ストレッチ)**:起床後10分
* **基礎動作確認(素振り)**:1000回
* **心肺機能強化(ランニング)**:10km
「……結構ハードだな。筋肉痛の身体でこれかよ」
『現在の身体状態に合わせて、最も効率的に回復と強化を行えるメニューです。特に【呼吸法】は、常時行うことでステータス底上げに寄与します』
なるほど。
俺が強くなればなるほど、トレーニングの質も上がっていくわけか。
望むところだ。
俺は深く息を吸い込む。
すると、視界に青いガイドラインが表示された。
空気の流れ、肺の膨らませ方、横隔膜の動き。すべてが可視化される。
『吸気角度、肺への充填率……Perfect。酸素摂取効率、20%上昇』
指示通りに呼吸をするだけで、身体が内側からカッと熱くなる。
血流が加速し、筋肉痛の痛みが心地よい熱に変わっていくのが分かった。
「すげえ……。息をしてるだけで、強くなってる気がする」
俺は狭いボロ家を出て、走り出した。
村の誰よりも早く、誰よりも地味に。
ただひたすらに「正解」をなぞる日々が始まった。
◇
トレーニングを終えた俺は、朝食をとることにした。
メニューはいつもの通り、硬い黒パンと、薄い野菜スープ。
「無能」である俺に与えられる食事は、家畜の餌と大差ない。
だが、今日は違った。
『咀嚼回数、および唾液分泌量を最適化。消化吸収率を最大化します』
パンを一口かじる。
いつもなら砂を噛むような味気なさだが、ナビゲーターの指示通りに顎を動かすと、不思議なことにパンの甘みが口いっぱいに広がった。
「……うまい」
よく噛むことで、デンプンが糖に変わる。
そのプロセスさえもが最適化されているのだ。
『摂取した栄養素を、損傷した筋繊維へ優先的に供給。エネルギー変換効率、150%』
胃袋に落ちたパンが、即座にエネルギーへと変わっていくのが分かる。
粗末な食事でも、食べ方一つで最高の栄養源になる。
これなら、高価な肉やポーションがなくても強くなれる。
「ごちそうさまでした」
俺は満足げに手を合わせた。
身体が喜んでいる。
今日もまた、強くなれる予感がした。
◇
それから、一ヶ月が過ぎた。
村の修練場。
俺はいつものように、木剣を振っていた。
季節は夏に差し掛かり、日差しが強い。
だが、俺の肌には汗一滴流れていなかった。
「……998、999、1000」
風が歌うような音が鳴る。
一ヶ月前は死ぬ思いで振り絞った1000回が、今では準備運動にすらならない。
剣を振るたびに、身体が勝手に最適な軌道を描く。
無駄な力みが一切ない、完全なる運動。
『本日のノルマ達成。動作精度、平均99.9%。継続ボーナス適用』
『特殊効果:才能による成長減衰を完全無効化』
『現在の修練倍率……**200倍**』
最初は100倍だった倍率は、俺が「正しい努力」を毎日途切れさせずに継続したことで、コンボボーナスが加算され、200倍にまで跳ね上がっていた。
つまり、今の俺の1000回は、才能ある天才たちの20万回分に相当する。
修練場の外では、村人たちがヒソヒソと噂話をしていた。
「おい見ろよ、またアルヴィンの奴だ」
「毎日毎日、飽きもせずに素振りばっかり……」
「でもよ、なんか最近、あいつの雰囲気変わったと思わねえか?」
「雰囲気?」
「ああ。なんていうか……剣を振る音が、妙に静かなんだよ。気味が悪いくらいにな」
彼らは気づき始めている。
俺の変化に。
だが、それが「強さ」によるものだとは、まだ理解できていないようだ。
「よし……ステータスオープン」
俺は周囲に誰もいないことを確認して、ステータス画面を開いた。
この一ヶ月、あえて直視してこなかった数値。
毎日のログで「レベルアップ」の通知は来ていたが、詳細を見るのは楽しみに取っておいたのだ。
**【名前】** アルヴィン(15歳)
**【職業】** 村人
**【レベル】** 1 → **25**
**【ステータス】**
* **筋力(STR)**:5 → **480**
* **耐久(VIT)**:4 → **350**
* **敏捷(AGI)**:6 → **520**
* **魔力(MAG)**:2 → **150**
* **器用(DEX)**:5 → **600**
**【スキル】**
* **剣術**:Lv.1 → **Lv.MAX**(限界突破可能)
* **体術**:Lv.1 → **Lv.50**
* **歩法**:Lv.1 → **Lv.55**
* **呼吸法**:Lv.1 → **Lv.MAX**
* **精神耐性**:Lv.1 → **Lv.30**
「……はは、やりすぎたか?」
俺は思わず乾いた笑いを漏らした。
この世界の一般的な成人男性のステータス平均が「20」前後。
村一番の戦士である自警団長ですら、筋力は「100」程度だと言われている。
レベルに至っては、村の周辺で安全に暮らすなら「5」もあれば十分だ。
それが、レベル25。
ステータスは平均の20倍以上。
たった一ヶ月。
ただ「正しく」走って、「正しく」剣を振っていただけで、俺は村の誰よりも強くなってしまったらしい。
しかも、剣術スキルに至っては『MAX』表記だ。これ以上レベルが上がらない極致に達してしまった。
「おい、アル! またそんなところでサボってるのか?」
背後から、聞き覚えのある不快な声がかかる。
振り返ると、同い年のガインが立っていた。
村長の息子で、『重戦士(ランクB)』のギフトを持つガキ大将だ。
後ろには、いつもの取り巻き二人を連れている。
「サボってないよ。素振りが終わったところだ」
「ハッ! お前、一ヶ月も毎日素振りばっかりやってるらしいな。馬鹿じゃねえの?」
ガインが嘲笑う。
彼らの目には、俺が相変わらず「才能のない無能が、無駄な努力をしている」ようにしか映っていないのだろう。
だが、俺の目には違った。
(……遅い)
ガインが近づいてくる動作。
足の運び。重心のブレ。呼吸のリズム。
すべてがスローモーションのように見えた。
いや、実際に遅いわけではない。俺の動体視力と処理能力(DEX)が上がりすぎて、相対的に止まって見えるのだ。
『正解』を知ってしまった俺の目には、彼の全てが『隙』だらけに見える。
あそこを突けば転ぶ。あそこを叩けば気絶する。
そんな「攻略ルート」が、無数に赤いラインとして表示されていた。
「……で、何の用だ?」
「へっ、余裕だな無能のくせに。……実はな、親父に新しい剣を買ってもらったんだよ」
ガインが腰に差した剣を自慢げに叩く。
業物だ。村の鍛冶屋ではなく、街から取り寄せたものだろう。
「すげえ切れ味なんだぜ。でもよ、木人相手じゃ手応えがなくてな」
「……それで?」
「お前、動く的になれよ。防具くらいは貸してやるからさ」
ガインがニヤリと笑う。
取り巻きたちも「いいっすねガインさん!」「アルなら頑丈だから大丈夫っすよ!」と囃し立てる。
ひどい言い草だ。
以前の俺なら、恐怖で足がすくんでいただろう。断れば何をされるか分からないという怯えがあった。
けれど今は。
「……本気か?」
「あ? ビビってんのか? 安心しろよ、寸止めしてやるからさぁ!」
ガインが剣を抜き放つ。
切っ先が俺に向けられる。
殺気はない。ただの悪ふざけ。弱者をいたぶって優越感に浸りたいだけの、子供の遊び。
俺は小さく溜息をついて、自分のボロボロの木剣を拾い上げた。
「分かった。……ただし、怪我しても知らないぞ」
「はっ! 何言ってんだこいつ! 無能が調子乗んなよ!」
ガインが顔を真っ赤にして踏み込んでくる。
ちょうどいい。
この一ヶ月、ひたすら基礎だけを積み上げてきた俺の「正しい努力」が、才能(ギフト)にどこまで通用するのか。
実戦形式のテストといこうか。
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