【正解】が見える俺は、努力の効率がバグっているらしい

すーぱーたなかやま

第1話 努力の天才、あるいは「正解」への接続


 努力は裏切らない。

 そんな言葉は、成功者が後付けで語る、ただの生存バイアスだ。


 少なくとも、前世の俺にとって「努力」とは、都合よく搾取されるためのタグでしかなかった。


          ◇


「おい佐藤、この資料まだ終わってないのか? 明日クライアントに見せるんだぞ」

「すみません課長、今やってます。……でもこれ、本来は田中さんの担当じゃ」

「あー、田中は今日デートだってよ。お前と違ってあいつは要領がいいからな、もう上がったぞ」


 深夜2時のオフィス。

 蛍光灯の寒々しい光の下で、俺はキーボードを叩き続けていた。

 システムエンジニアとして入社して5年。

 俺は誰よりも真面目だった。マニュアルは全て暗記し、コードの規約も完璧に守り、誰かが残したバグも黙って修正した。

 「佐藤に任せておけば安心だ」。最初はそう言われた。

 だが、いつしかそれは「佐藤に押し付けておけばいい」に変わった。


 翌朝のミーティング。

 俺が徹夜で仕上げたプロジェクトの成果発表で、壇上に立っていたのは田中だった。


「いやー、今回の実装は苦労しましたけど、なんとか形になりました」

「さすがだな田中! 効率的な仕事ぶり、見事だ」

「ありがとうございます! いやあ、チームの勝利ですよ」


 拍手が起きる。

 俺は会議室の隅で、重たい瞼をこすりながらそれを見ていた。

 反論する気力もなかった。

 俺が作った資料。俺が書いたコード。俺が修正したバグ。

 それらは全て、声の大きい、要領のいい人間の手柄として吸い上げられていく。


(……馬鹿みたいだ)


 コツコツやることが正義だと教わった。

 真面目にやっていれば誰かが見ていてくれると信じていた。

 でも現実は、ズル賢い奴がショートカットしてゴールテープを切るのを、泥だらけになって眺めるだけ。


 その日の帰り道だった。

 駅のホームで、ふと意識が遠のいたのは。

 連日の徹夜。栄養ドリンクだけの食事。限界などとうに超えていた心臓が、悲鳴を上げたのだ。


 線路に落ちていく視界の中で、俺は走馬灯のように自分の人生を振り返った。

 勉強も、部活も、仕事も。

 全部、全部、頑張ったつもりだった。

 でも、何一つ報われなかった。


(もしも……)


 薄れゆく意識の底で、俺は神様なんていう不確かな存在に、最期の祈りを捧げた。


(もしも、もう一度やり直せるなら)

(要領とか、才能とか、運とか、そんな不確定なものじゃなくて)

(流した汗が、費やした時間が、正しく結果に繋がる……そんな世界がいい)


          ◇


 そんな願いが届いたのか。

 あるいは、神様の気まぐれな悪戯か。


 俺は、アルヴィンという名の赤ん坊として、異世界に生を受けた。

 剣と魔法。魔物が跋扈し、英雄が称えられるファンタジーの世界。

 ここなら、俺の努力も報われるかもしれない。

 幼い俺は、希望に胸を膨らませていた。


 ――10歳になる、あの日までは。


「ギフト判定の儀を執り行う!」


 村の教会。神官の厳かな声が響く。

 この世界では、10歳になると神から『ギフト(才能)』を授かる。

 剣の才能があれば『剣士』、魔法の才能があれば『魔術師』。

 ギフトの有無とランクが、その後の人生の全てを決定づけると言っても過言ではない。


「次、村長の息子、ガイン!」

「うおおおお! 俺は絶対に『聖騎士』になってやるぜ!」


 ガキ大将のガインが水晶に手をかざす。

 まばゆい光が溢れ出し、空中に文字が浮かんだ。


【ギフト:重戦士(ランクB)】


「おおっ! Bランク! しかも重戦士とは将来有望だ!」

「見たかよアル! 俺は選ばれたんだ!」


 村中が歓声に包まれる。

 そして、俺の番が回ってきた。


「次、アルヴィン」


 緊張で手汗が滲む。

 大丈夫だ。前世であれだけ苦労したんだ。今度こそ、何か特別な力がもらえるはずだ。

 俺は祈るように水晶に触れた。


 ……シーン。


 光らない。

 水晶は沈黙したまま、ただ冷たく俺の手のひらを吸いつけるだけ。

 神官が困惑したように眉をひそめ、判定紙を確認する。


「……ギフト、なし」

「え?」

「判定不能、ではないな。魔力反応ゼロ。スキル適性ゼロ。……正真正銘の『無(なし)』だ」


 教会の空気が凍りついた。

 ギフトなし。それは、この世界において「人権がない」に等しい宣告だった。

 農民ですら『農業(ランクD)』などのギフトを持つのに。

 完全なる無能。


「……なんだ、期待させやがって」

「親父さんが元冒険者だから期待してたんだがな」

「無能かよ。村の恥晒しだな」


 ヒソヒソという陰口が、大音量で鼓膜を叩く。

 両親の落胆した顔。ガインの嘲笑。

 ああ、知っている。この空気。

 前世で何度も味わった、あの「お前には価値がない」と断じられる瞬間だ。


 世界が変わっても、俺はまた、負け犬なのか。


          ◇


 それから5年。

 俺は15歳になった。


 村の修練場には、今日も活気ある声が響いている。

 ガインを中心とした「才能ある」若者たちが、華麗な剣技や魔法の練習をしているのだ。


「おい見ろよ、また『無能』が来てるぜ」

「懲りないねぇ。ギフトがないのに剣なんて振って、何になるんだか」


 修練場の隅。

 誰の邪魔にもならない場所が、俺の定位置だった。

 ボロボロの木剣。手には無数のマメと、それが潰れて固まったタコ。

 俺はただひたすらに、剣を上から下へ振り下ろしていた。


「……991、992……ッ」


 腕が鉛のように重い。

 肺が焼けつくように熱い。

 汗が目に入り、視界が滲む。


 5年間。

 俺は諦めなかった。

 才能がないなら、人の倍、いや十倍努力すればいい。

 そう信じて、雨の日も風の日も、こうして基礎練習を続けてきた。


 だが、現実は残酷な数字として突きつけられる。


【ステータス】

 筋力:5

 敏捷:6

 魔力:2


 これは、5年前とほとんど変わっていない数値だ。

 一般的な成人男性の平均が20前後。

 俺は、5年間死ぬ気で努力して、子供レベルのままなのだ。


「おいアル! ちょっと手伝えよ!」


 ガインの声が飛んでくる。

 彼は立派な鉄の剣を腰に差し、見下すような笑みを浮かべていた。


「荷物持ちが足りねえんだ。これから森の入り口まで狩りに行くから、お前、荷車引けよ」

「……俺は今、修練中だ」

「はあ? 修練? お前のそれは修練じゃなくて、ただの『お遊戯』だろ? 結果が出ない努力なんて、時間の無駄なんだよ!」


 ドッ、と取り巻きたちが笑う。

 反論できなかった。

 結果が出ていないのは事実だ。

 彼らはギフトのおかげで、適当に剣を振るだけでステータスが上がり、スキルを覚える。

 俺が1万回振って得られないものを、彼らは10回振るだけで手に入れる。


「……断る」

「チッ、ノリわりーな無能が。一生そこで棒切れ振り回してろ!」


 彼らは去っていった。

 残されたのは、静寂と、惨めな自分だけ。


(……分かってるよ)


 俺は木剣を握り直す。

 ガインの言う通りだ。無駄なのかもしれない。

 この世界でも、努力は裏切るのかもしれない。


 それでも。

 ここで止めてしまったら、俺は本当に、前世も含めて何一つ成し遂げられないまま終わってしまう。

 それだけは嫌だった。

 意地でも、執念でもいい。

 俺は、俺の努力を肯定したい。


「……993、994!」


 歯を食いしばり、剣を振る。

 一振りごとに、身体の節々が悲鳴を上げる。

 限界なんてとうに超えている。


「998……999……!」


 意識が朦朧とする。

 視界が白く明滅する。

 最後の一回。

 渾身の力を込めて、振りかぶった時だった。


『――規定の累積反復回数、および精神負荷が閾値を超過』

『条件達成。固有概念【正鵠(せいこく)の理】……起動します』


 脳内に、無機質な女性のような『声』が響いた。


「……あ?」


 幻聴かと思った。

 酸欠で頭がおかしくなったのかと。

 だが、次の瞬間。

 世界の色が変わった。


『対象動作:素振り。最適化(リンク)を開始』


 俺の視界に、一本の『光のライン』が走ったのだ。

 それは、俺がこれから剣を振り下ろすべき軌道を、空中に鮮烈に描いていた。


(なんだ、これ……?)


 その光は、俺が今まで何万回と振ってきた軌道とは、微妙にズレていた。

 ほんの数センチ。角度にして数度。

 だが、直感が告げていた。

 

 ――そのラインこそが、『正解』なのだと。


 俺の身体は、限界で悲鳴を上げている。

 いつも通りに振れば楽だ。慣れたフォームの方が動きやすい。

 けれど、その光のラインは、俺に「そこを通せ」と強烈に訴えかけてくる。


(……やってやるよ)


 俺は、最後の力を振り絞った。

 足の指先で地面を掴み、腰を捻り、背中の筋肉を連動させる。

 光の粒子が、俺の身体のズレを修正するようにガイドする。

 窮屈だ。苦しい。

 まるで針の穴に糸を通すような、極限の集中力。


 そして、剣先が光のラインに乗った、その瞬間。


 ――ヒュンッ!!


 音が、違った。

 今まで聞いてきた「ブォン」という鈍い風切り音ではない。

 空気を裂き、空間そのものを断ち切るような、鋭利で澄んだ音色。


 手応えがなかった。

 あまりにも完璧な軌道を描いた剣は、空気抵抗すら置き去りにして、一瞬で振り抜かれていた。


『判定:Perfect』

『基礎動作【素振り】の精度 100% を確認』

『特殊効果発動:才能による成長減衰を完全無効化』

『修練補正:適用。経験値倍率……100倍』


 ドクン、と心臓が大きく跳ねた。

 直後、身体の内側から爆発的な熱量が湧き上がってくる。

 疲労で鉛のようだった手足に、力が満ちていく。

 ただの回復ではない。

 細胞の一つ一つが作り変えられ、強靭に進化していくような感覚。


「……な、んだ……これ……」


 呆然とする俺の目の前に、半透明のウィンドウがポップアップした。


【剣術スキル(Lv.1)の熟練度が上昇しました】

【……規定値に到達。剣術スキルが(Lv.2)に上昇しました】


 俺は、自分の目を疑った。

 剣術スキル。

 それは、才能ある者でも習得に数ヶ月、レベルを上げるにはさらに半年の修行が必要とされるものだ。

 ましてや俺のような『無能』は、通常の人間の百分の一も経験値が入らないと言われている。だからこそ、1万回振っても無駄だったのだ。


 それが。


「たった、一回で……?」


 震える手が、木剣を取り落としそうになる。

 成長減衰の無効化。そして、100倍の補正。

 つまり、今の俺の一振りは、才能ある者の100回分。

 俺のような凡人にとっては、1万回分以上の価値があるということか。


 俺が今まで積み重ねてきた、泥のような努力。

 それが「正しい形」を得た瞬間、爆発的な成果となって返ってきたのだ。


 涙が溢れてきた。

 悲しいからじゃない。痛いからでもない。

 ただ、嬉しかった。


 あったんだ。

 この世界には、本当にあったんだ。

 努力が、正しく報われる理屈が。


「……はは、は」


 乾いた笑いが漏れる。

 全身は汗だくで、手は血まみれで、傍から見ればボロボロだろう。

 でも、今の俺は、誰よりも満たされていた。


 俺はもう一度、木剣を握りしめる。

 光のラインは、まだ消えていない。

 さっきよりも鮮明に、俺を導くように輝いている。


「……1001回目、いくぞ」


 俺は構えた。

 夕暮れの修練場。

 誰にも見られていない、孤独な場所。

 けれど、ここから俺の「本当の努力」が始まるのだ。

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