第3話 才能と努力の距離

「死ねぇ! 無能!」


 ガインが裂帛の気合いと共に、地面を蹴った。

 Bランクギフト『重戦士』。

 その特性は、筋力と耐久への高い補正値だ。

 彼が振り上げた鉄の剣は、風を唸らせて俺の頭上へと迫る。


 速い。

 村の子供たちの中では、間違いなくトップクラスの速度だ。

 まともに受ければ、俺のボロボロの木剣など一撃でへし折られ、その下の肉ごと断ち切られるだろう。

 取り巻きたちが「やった!」と快哉を叫ぶのが聞こえた。


 ――普通なら、そこで終わりだ。


(……遅い)


 俺の視界には、世界が凍りついたようにゆっくりと映っていた。

 ガインの剣の軌道。

 筋肉の収縮。

 踏み込んだ足の角度。

 それら全ての情報から、俺の脳内に赤いラインが走る。

 『正鵠の理』による未来予測ではない。

 圧倒的なステータス差と、毎日繰り返した「正しい観察」によって導き出された、必然の予測だ。


 俺は、半歩だけ左に動いた。

 ドゴォン!

 ガインの剣が、俺の残像を切り裂いて地面を叩く。

 土煙が舞い、地面が大きくえぐれる。

 威力だけは一人前だ。


「は……?」


 ガインが目を見開いて固まる。

 俺は彼の横に立っていた。

 汗一つかかず、息一つ乱さず。


「な、なんで避けやがった!」

「避けるだろ、普通。当たると思ってる方がおかしい」

「うるせぇ! まぐれだ! 死ね死ね死ねぇ!」


 ガインが顔を真っ赤にして、再び剣を振り回す。

 横薙ぎ。突き。袈裟斬り。

 怒りに任せたデタラメな連撃だ。

 才能に任せて力を振り回しているだけで、そこには「理」がない。


(……ああ、見える)


 俺はそれを、散歩でもするかのような速度で回避し続ける。

 右へ一歩。これは昨日の「歩法」の訓練と同じ。

 首を少し傾ける。これは今朝の「ストレッチ」の柔軟性が活きている。

 バックステップ。これは「ランニング」で培った足腰のバネだ。


 全てが繋がっている。

 俺が積み重ねてきた地味な努力のピースが、実戦というパズルの中でピタリとハマっていく。

 楽しい。

 身体が思う通りに動くことが、こんなにも快感だなんて。


「くそっ! ちょこまかと! なんで当たんねえんだよ!」


 ガインの額に脂汗が滲む。

 焦り。

 それが彼の動きをさらに雑にしていく。


(おかしい。こんなはずじゃねえ)


 ガインの脳裏に、過去の栄光がフラッシュバックする。

 ギフト判定の日。

 村中から称賛された自分。

 親父に買ってもらった剣。

 俺は選ばれた人間なんだ。

 俺は特別なんだ。

 それなのに、なんでこんな「無能」ごときに攻撃が当たらない?


「動きが大振りすぎる。予備動作でバレバレだ」

「黙れ無能がぁぁぁ!」


 ガインの焦りが頂点に達する。

 取り巻きたちも、最初は「いけー!」「やっちまえ!」と囃し立てていたが、今はぽかんと口を開けて静まり返っていた。

 無理もない。

 いつもなら一方的に殴られるはずの「無能」が、村一番の有望株を、手も触れさせずに翻弄しているのだから。

 その光景は、彼らの常識を根底から覆すものだった。


(……そろそろ、終わらせるか)


 俺は小さく息を吐いた。

 これ以上付き合っても、得られる経験値はない。

 ガインの動きは単調で、もう「攻略ルート」は見え透いている。


 ガインが大振りの一撃を放ち、体勢を崩した瞬間。

 俺はその懐へと踏み込んだ。


『対象動作:踏み込み。最適化……Perfect』


 縮地。

 地面を蹴る音すらさせず、俺の身体は瞬時にガインの目の前へと移動していた。

 AGI(敏捷)500オーバーの速度は、常人の目には瞬間移動にしか映らないだろう。


「ひっ……!?」


 ガインが驚愕に顔を引きつらせる。

 俺は木剣を軽く振り上げた。

 狙うのは、剣を握る右手首。

 殺す必要はない。心を折れば十分だ。

 俺は、毎日1000回繰り返してきた「小手打ち」の軌道をなぞる。


『対象動作:小手打ち。最適化……Perfect』


 ――パァンッ!!


 乾いた音が響いた。

 俺の木剣が、ガインの手首を正確に捉えた音だ。

 力は入れていない。

 ただ、脱力し、インパクトの瞬間にのみ重さを乗せる。

 「正しい」打ち方をしただけだ。


 だが、その結果は破壊的だった。


「ぎゃあああああああ!?」


 ガインの手から鉄の剣が弾き飛ばされ、きりもみ回転しながら空高く舞い上がる。

 それだけではない。

 衝撃は手首から全身へと伝播し、ガインの身体そのものを独楽のように回転させ、数メートル後方へと吹き飛ばしたのだ。

 ズザザザッ! と地面を削りながら、ガインが転がる。


「えっ」


 俺は自分の手を見た。

 軽く、本当に軽く叩いただけだ。

 ハエを追い払うくらいの力加減だったはずなのに。

 STR(筋力)480の補正が乗った一撃は、俺の想像を遥かに超えていたらしい。


「ガ、ガインさん!?」

「おい、大丈夫か!?」


 取り巻きたちが慌てて駆け寄る。

 ガインは地面に転がり、手首を押さえて涙目で呻いていた。

 骨は折れていないようだが、手首が赤く腫れ上がっている。剣を握ることは当分できないだろう。


「お、お前……何しやがった……!」


 ガインが震える声で俺を睨む。

 そこにはもう、侮蔑の色はなかった。

 あるのは、理解不能な存在への恐怖だけ。

 「無能」だと思っていた相手が、自分を遥かに凌駕する怪物だったと気づいた時の、根源的な恐怖。


「……ただの素振りだよ」


 俺は正直に答えた。

 嘘ではない。

 毎日1000回繰り返してきた、ただの素振り。

 その中の一動作を、そのまま実行しただけだ。


「ふ、ふざけんな! 無能のくせに! 何か汚い手を使ったんだろ!」

「そうだ! 魔法道具か何か隠し持ってるんだ! 卑怯だぞ!」


 取り巻きたちが騒ぎ出す。

 認めたくないのだろう。

 自分たちが馬鹿にしていた「無能」が、純粋な実力で「才能」を凌駕したという事実を。

 認めてしまえば、自分たちの価値観が崩壊してしまうから。


 その時だった。


「――そこまでだ」


 凛とした、よく通る声が修練場に響いた。

 場の空気が一瞬で張り詰める。

 入り口に、一人の男が立っていた。

 歴戦の傷跡が残る顔。鍛え上げられた肉体。

 村の自警団長、オーウェンだ。

 元Aランク冒険者であり、この村で唯一、本物の強さを知る男。


「団長……! こいつが、アルが卑怯な手を!」

「黙れ」


 オーウェンの一喝で、ガインたちが縮み上がる。

 オーウェンは鋭い眼光で俺を見据え、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 その足取りには、一切の隙がない。

 俺の背筋に冷たいものが走る。

 ガインとは違う。この人は、本物だ。


「アルヴィン。……見事な『体捌き』だったな」

「! ……見ていたんですか」

「ああ。最初からな」


 オーウェンは俺の木剣へと視線を落とす。


「無駄のない足運び。呼吸。そして最後の一撃のインパクト。……どれも、一朝一夕で身につくものじゃない。特にあの『小手打ち』。脱力からインパクトの瞬間への力の伝達、完璧だったぞ」


 見抜かれている。

 俺が適当に振ったのではなく、技術として完成された一撃を放ったことを。


「相当な修練を積んだな? 誰に教わった?」

「……誰にも。ただ、毎日素振りをしていただけです」

「ほう……独学か」


 オーウェンはニヤリと笑った。

 それは、獲物を見つけた猛獣のような、獰猛な笑みだった。

 俺の肌が粟立つ。


「少し、試させてもらおうか」

「え?」

「ガイン、お前たちは帰れ。今日はもう修練場の使用は終わりだ」

「で、でも! 俺の仇を!」

「帰れと言っている。……邪魔だ」


 ドッ、と放たれた殺気に、ガインたちは悲鳴を上げて逃げ出した。

 修練場には、俺とオーウェンだけが残された。

 風が止まる。

 鳥の声さえ消えたような静寂。


「さて、アルヴィン」


 オーウェンが腰の剣を抜く。

 それは模擬戦用の木剣ではなく、本物の鉄の剣だった。

 刃が鈍く光る。


「俺とやろうか」

「……はい?」

「ガイン相手じゃ物足りなかっただろう? 俺が相手をしてやる。……本気で来い。殺す気でな」


 空気が変わった。

 肌がピリピリと痛むほどの圧力。

 元Aランク冒険者の本気。

 

 俺はゴクリと喉を鳴らした。

 怖い。

 足が震えそうだ。

 けれど、それ以上に。

 俺の身体中の細胞が、歓喜で震えていた。


(……試せる)


 村一番の強者。

 今の俺の「正しい努力」がどこまで通用するのか。

 最高の検体だ。


「……よろしくお願いします」


 俺は木剣を構える。

 視界には、オーウェンの身体中に無数の「危険信号」が表示されていた。

 ガインの時には見えなかった、複雑で高度な攻撃予測ライン。

 だが、その中にかすかに見える「攻略ルート」。


 俺は口元を緩めた。

 第2ラウンドの開始だ。

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