第9話

 しのめさんは真っ白いパネルを背景に考え続ける。しかし、彼女でも思いつかないようだ。結局機器をそのままパネルに固定して戻ることになった。

 来るときに張ったハーネスを伝って宇宙船に戻ると、足元の感覚が返ってきた。やはり人間は地に足をつけていないとおかしくなるな。


 超長距離ハーネスを回収し、巻き取って体に固定。エアロックに入る前に工具を確認してみたが、一つもなくなっているものはなかった。


 はあというため息がどちらからか聞こえてくる。しのめさんなのか、はたまた無意識で俺がこぼしているのか……とにかく、なんの成果もなかったことが悔しくて仕方なかった。動いてくれよ。


 エアロックのドアを閉める時、球体は宇宙の闇を背景にただ存在しているのが見えた。

 ガチャンと音が鳴りエアロックは完全に密閉される。段々と空気が入り、宇宙服の締め付けを感じるようになってきた。宇宙船のジーとしたイライラとした音も聞こえる。


 俺はヘルメットを外してしのめさんに話しかける。


「まだまだこれからですよね。数日繰り返していけば何らかの反応が得られるはず」


「そう……そうよね」


 おもっ苦しい宇宙服を脱ぎ、俺たちは冥王星基地に戻った。

 コックピットに戻ると、上司はただ「おかえり」というだけで、そのままエンジンスロットを前に倒した。

 エンジンの緩やかな反動の中、背後の球体は段々と遠ざかっていく。

 俺たちをあざ笑うかのようにただそいつは浮かんでいた。


◇◇◇


 次の日、俺たちはとりあえず次の策をまとめることにした。

 上司がカタカタとホワイトボードに書きなぐる。


「昨日は仕方なかった。まあ一日で解決する問題じゃない、気落ちせずに着々と積み上げていくだけだ」


「そうですよね」


「いいじゃないか浅木。やっぱりお前を選んでおいて正解だった。

 それでなんだが、今日から三交代制で一日中張り付いてみることにしたんだ。俺と、浅木としのめ研究員。俺たちがやっていることは上の承認を受けていないからなるべく内密に済ませる。

 俺たちの発進した電波はこれまでと違い人間の肉声がはっきりと入っている。彼らがこれを言語として受け取ってくれるのかは分からない。が、毎日毎日同じものが流れ続けているとなっては興味を示すかもしれない」


 しのめさんが合いの手を打つ。


「だからこそ何らかの反応があればすぐにこっちから返せるように……これは意思をもって送られていることを示すため」


「そうだ」


 きっと届いてくれる。

 俺は根拠のない自信をその瞬間持った。球体を送り込んだ彼らなら、こっちがコンタクトを取ろうとしていることを分かってくれるはず。

 俺は二人に向かって前のめりになりながら言った。


「やりましょう!」


「ありがとう、浅木くん」


 こんな風に言ってみたはいいものの、とりあえず準備が必要だ。機器の充電は半年は持つので大丈夫だとして、球体監視衛星のデータを使わせてもらわないといけない。

 話すためのマイクと録音機器はすぐに集まるだろう。ファーストコンタクトの記録は貴重な資料になる、それこそ俺たちが死んだ後でさえ語り継がれるはずだ。


 俺たちは準備を整え、午後から許可取りに動き始めた。 

 上司は最難関の衛星データ、俺としのめさんは必要な機器をそろえに研究室に向かう。


 俺たちを後押ししてくれているかのように空から燦燦と光が照り付ける。じっとりと汗をかくことすらも高ぶった気持ちを静かに冷やしていた。横を歩くしのめさんも同じ思いを抱いているはずだ――彼女は真っ直ぐ前だけを向き、ぽつりぽつりと声を漏らす。


「……あちらからの贈り物だとしたら?――こちらのことをどこまで知っているの?――彼らは一体どこから私たちを見つめているの?」


「しのめさん」


 彼女ははっと顔を上げ、俺の方を向いた。彼女の顔をはっきりと見たのは今日が初めてかもしれない。今までテレビの向こう側にいる『有名人』としか思っていなかった。

 だけど、彼女はただ知りたいだけなんだ。俺なんかが決めつけるのはおこがましいかな?


「どうしたの浅木君?」


「その、たまには俺のことも頼ってくださいね。これでも一応、雑用はできる口なので」


「ありがとう。もうちょっとだけ私と一緒にやってくれるとありがたいです。きっと彼らは私たちに気が付いてくれるから」


「絶対待ちますよ。しのめさんがあの球体について解明してくれることをどこまでも待ってますから。さっき言ったことと違うんですけど、俺はただ雑用だけのために来たんじゃないですから……あれについて知りたい思いはきっと同じ? です」


「やってみる。期待しといて」


 彼女は眉を優しく下した。きりっとした目は変わらないが、その鋭い視線はあの球体に向けられている。

 そこからはあの球体について話し合いながら歩みを進めた。


 数分歩くと目的の建物に入った。空調が聞いているのか、からっと乾いた空気が俺の頬を撫でる。

 俺たちはエレベーターで研究所に向かった。上がるまでの時間がソワソワと心を駆り立てる。チンと音を鳴らして目的のフロアについた。


 ――研究機器保管室。様々な機械がシートにかぶされて保管してある。電話で話はしていたが、受付の人と小部屋に入った。

 管理人も貸すことには渋っている。もちろん責任は負いたくないし、こんなことをしてどうなるかも分からない。その気持ちは十二分に理解できる……でも、な。


 俺たちと管理人はテーブルをはさんで互いに座った。管理人はソファに浅く腰掛けながら手のひらを固く組むんでいた。

 俺たちはいったん社交辞令をすます。そして、やっと本題に入った。


 彼は言いたくなさそうに声を出す。


「こちらとしては機材を貸す、ということはあまり考えていません」


「分かります。もちろんこちら側としても一切合切そちらに責任を負わせようなんて考えていない。すべての責任は私たちが負いたいと考えています」


「そうはいってもね」


「ええ、そのことはよくわかります。お時間は取らせません、少しだけ今回の計画について聞いていただけませんか?」


「聞くだけ」


 彼はお尻をもぞもぞと動かした。

 俺はカバンから書類を取り出す――今日三時間をかけて作ったばかりだが、説明する分には問題ない。貸してもらえさえすればいい。


「こちらが資料になります。今私たちは球体に対して音声信号を送っており、私たちの計画では、あの球体について一日中監視する予定です。何らかの反応を調べるためですね。

 もちろん全く勝算がないわけではありません。ご存知でしょうが、こちらのしのめ研究員が本計画に参加しており、彼女の考えでは彼らはこのコンタクトを一日程度で理解するはずとのことです」


 彼は続きを待つ。


「つまるところ、機材を貸してさえいただければ私たちがすべて終わらせますし、責任についてはこちらが負わせていただきます」


 彼は頭をポリポリとかいた。正直こんな説明で納得してもらえるとは思わない。そもそも彼女は機材を貸してもらう立場の人――失敗についてわざわざいうわけもないのだから。

 だけど信用してもらわないと後には進めない。

 しのめさんは俺の説明に科学的な根拠を付け加えた。


 彼はまたお尻を動かす。エアコンのファンが鳴る音が部屋の中に響いていき、じっとりとした埃が積もっていく。

 俺は余計なことを言わずにただ返答を待った。そもそもの詰めが甘いのだから、彼が勝手に補完してくれたらいい。


 彼は重たい口を開いた。


「分かりました……いや、そうですね。私としては機材を貸すだけなら協力いたしましょう。もちろんあれはお願いできますね」


「分かりました」


「あまり表にはしたくないので、古い型になると思います。ちなみにここからは私個人の好奇心なんですが、あなたたちはどこまであれについて知っているんですか?」


 ……俺としのめさんは顔を合わせた。

 「おそらくあなたが知っているだけのことしか知らない」――けれどもこんなことを言えるわけがないし、貸してもらえるって決まりそうになっているんだ。申し訳ないが俺は自信たっぷりに答えた。


「きっとすべてを知ることになると思います」


 彼は納得したのかしていないのかわかないような声ではあ、とだけ答えた。応接室を出てる際中メールを見ると、上司も機材を設置する部屋に、直接データを送ってもらえることで決まったみたいだ。

一体あの人はどこまで口が上手いんだろうか? 普通だったら無理なのに。


 しかしどんな手でもいい、残りはただ待つだけだ。


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